広島の神社仏閣★千光寺 観音堂 毘沙門堂編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先週、尾道市の千光寺へ参ったRieruです

鳥居をくぐる前に、鼓岩の音を聴きました。
すでに、感無量。

ん?鳥居?千光寺に、鳥居?⋯鳥居?

素材と言い、色の合わせ方と言い、全国でも珍しい鳥居なのではないでしょうか。


この鳥居の脇には説明板があり、このように書かれていました。

千光寺(真言宗)

開基は平安時代の始め大同元(806)年で、後に源氏の名将 多田満仲の中興と伝えられている。
  境内中央の巨石「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には竜宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。
  本堂は貞享3(1686)年の建立で、この地方には珍しい舞台造り、堂内に置かれた須弥壇は応永から永享(1394〜1440)年頃の作で、和様に唐様を加味した形式で、ここに安置された本尊は秘仏の千手観世音菩薩。
  鐘楼の鐘は除夜の鐘でもおなじみのもの「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里ひびく」と俚謡にまでうたわれている。
  本堂までの長い石段の左右には、かつて若杉慧の「野の仏」にも紹介された古い石仏や除虫菊の創始者 上山英一郎翁の頌徳碑や児玉揺の筆塚などもある。
  この寺の眺望は我が国随一と言われ山頂から八合目あたりを巡る「文学のこみち」は、尾道の風光を愛でた文人墨客の作品を天然の岩に刻んだ遊歩道である。
(以下割愛)

ふむ、「玉の岩」⋯復路で参れたら参ろうぞ。



注:参れませんでした。

「三十三観音堂」へ。



千光寺のHPには、桜木で造られた百八煩悩滅除大念珠が下げてあり、幸せを念じながらゆっくりと引きますと珠が上から落ちてカチカチと音がします。この音で苦しみの根源である煩悩を打ち消して、観音様の御守護が頂けると言われています。⋯と書かれていました。


近くの石仏の口には、マスクが。



見慣れていても、つい撮影してしまいますね。


あっ、ロープウェイ!復路で利用しようと思います。


9.31 a.m.


行きは空いていますが、戻りは⋯予想以上の人出でしたので、先に撮影をさせていただいて正解。


「毘沙門堂」も撮影⋯あら、なんかボヤけていますね。



暑さで?というわけではないのでしょうが。汗でレンズが湿った?


近くには、古い手水鉢がありました。



淨⋯縁?と刻まれているのかな?

⋯分からん事は、ペラペラ喋らん方がええです。


アイタタタ


(某ブロガーさんから教えていただいたのですが『緑浄春深(りょくじょうしゅんすい⋯意味:清く澄んで水に映える緑。春は今が盛りの新しい色に輝いている。)という四字熟語があるそうです⋯『縁』じゃなくて『浄』!)