北九州市『旧門司三井倶楽部』にアインシュタイン博士が宿泊された件 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

『門司港レトロ』の建物の中でも必ず旅行雑誌に掲載されている『旧門司三井倶楽部』へ、ランチ後に訪ねてみたRieruです★


野菜入り焼きカレーを食べてお腹いっぱいでしたが、そこは切り替えて行GO(いごう)!


門司港桟橋から九州鉄道記念館へ行く道中で、目立っていた建物は案の定、国の重要文化財でした。


大正10(1921)年に三井物産の社交倶楽部として建てられました。

ハーフティンバー様式という、ヨーロッパ伝統の木造建築工法で建てられ、大正モダン溢れる建物に。


左隣は工事中のようでした。



『本館他2棟保存修理工事』を、令和5(2023)年3月15日までされているようです。


ん?『和洋レストラン 三井倶楽部』・・・こちらでもお食事が出来るのですね。



受け付けで『お食事か観光』かを尋ねられます。


観光はお2階へ・・・と、入館料1人100円を支払い、用意されているビニール袋に靴を入れ、それを持って階段を上がりました。



もちろん、スリッパ等は無し!暑い季節だと素足の方もいらっしゃるかも・・・カバンに靴下を忍ばせてると、気持ち良く見学出来ます。


AM 11:48


空いてはいましたが、貸切ではありませんでした。



自宅には無いけど、タッセル好き。



古いけど高級感ある!


さて、タイトルにあるように、あのアインシュタイン博士が奥さまとご一緒に、こちらの建物に滞在されたそうで。


△ 日本郵船『北野丸』にて


『ア博士はなぜ日本に来たのでしょう?』と問いかけるタイトルから始まる説明板があり、このように書かれていました。


  出版社『改造社』に招かれて、全国を公演する為に来日しました。

  当時、日本は大正デモクラシーの高揚期で自由な思想や科学など幅広い知識活動が盛んでした。

  上海から神戸へ向かうとき関門海峡に差しかかった博士は両岸に見える日本最初の街の灯を見て「日本は力のある国だ」と、言ったそうです。

  当日の新聞の見出し『温容春』のような笑顔で神戸港に上陸した時、博士のズボンには縫いのあとがありました。

  質素を旨とする博士の一面が窺えます。


△ 鏝絵じゃなくて木彫!


そして大正11(1922)年11月17日(神戸入港)〜12月29日 門司港を後にする迄、熱狂的な歓迎のなか、全国10ヶ所、43日間に渉る公演旅行をしました。


この頃はまだ、ベルリンの教授だったんですよね。

日本のいろんな場所で講演が行われたわけですが、広島県の宮島にも立ち寄られて、弥山に登山されたようです。


・・・広島県出身の私でさえ、弥山に登山した事無いのに!



イテテ



(宮島ホテル(現 みやじま杜の宿)に宿泊されたのだとか)


下関市へも観光に・・・山口県出身で、アインシュタイン博士と同じ年に生まれた方はいないかな?と、好奇心から検索して調べてみると、伊藤博文さんを暗殺した方が同い年のようです。で、その方はロシア官憲に逮捕され・・・話、掘り過ぎ!


イテテ


(ちなみに大正天皇と滝廉太郎も同い年になるようです)

アインシュタイン博士が宿泊された部屋が再現されていますが、どこを撮影しても絵になりますね。



門司港からパレスチナへ向かわれたという事なので、かなり疲れていたのでは?

講演だけではなく各地で歓迎され過ぎて、身体も心もクタクタ・・・



館内には他に、ヴァイオリンの事や、最後の日にお餅をついたりした話等が書かれた説明板が何枚か置かれていて、内容も大変興味深かったです。


△ バス・トイレも見る事が出来ます


興味深い原稿も展示されていました。以外翻訳。


私の日本旅行についてのあれやこれや


  ここ数年、私は世界中いたるところを旅して回ってきた。本当にそれは一学者にとって与えられたもの以上のものである。私のような類の生活をおくる者は、本来は、静かに部屋の中に座して研究すべきなのである。そのため、私が旅に出るときは、昔は、必ず一種の言い訳を不可欠とした。言い訳をすることによって私の、それほど敏感とは言えないかもしれないが、気持ちをゆっくりと落ち着かせるためである。だが、山本氏から日本への招待が届いたとき、言い訳をするまでもなく、私はこの数ヶ月もかかる大旅行に赴く決意を即座にした。私が自分自身の目で日本を見る機会を失したならば、自分を許すことができないほど後悔しなければならなかっただろう。



  私がベルリンで、日本に招待されたことを知られた瞬間ほど、私の生涯において、本当に人から多くうらやましがられたことはないだろう。なぜなら、この国ほど、われわれにとって、神秘のベールに覆われた国は他にどこにもなかったからである。わが国でも、孤独に生活し、懸命に勉強し、かつ親しみをもった笑みを浮かべる日本人を見かけることはできる。こうした保身的な笑顔の背景に隠れた感情は、誰でも理解しにくいものである。



そして、その背後には、日本様式で示されるような、われわれとは異なった精神が(隠れ)隠されていることに気づくのである。それは、数多くの(わが国で見られるような)日本の小さな日用雑貨や・・・に見られるものである。


日本への旅行に対して、相当な期待を抱いていた事がよく分かりますね。


なんか、足の裏に違和感が・・・あっ、足の裏に貼っていた足用カイロが剥がれちゃった!



イテテ



(恥ず!)



一度剥がれた貼るカイロは仕舞うことに。あ〜あ。


他に『林芙美子記念室』もあります。偶然か?こちらの部屋は見学者が多かったです。



撮影禁止の場所もあるので、ご注意を!(予め受け付けで教えてくださいます)


とある窓からは、思いっきり日本家屋の屋根瓦が見えました。



気になりますね!


Tもっちゃん曰く、住み込みで働いている方たちの居住スペースだったのでは?とのこと。



屋外から見ると、確かに建物がくっついているように見えました。


船だまりの辺りから、関門海峡ミュージアムへ向かう途中で通った三井倶楽部周辺。


こんな感じに、くっ付いていましたよ。


あ〜、満喫♬.*゚セレブな気分になりました。



ウチには重厚感がある家具が無いので、新鮮です。

このソファも高級感があっ・・・


・・・



・・・アインシュタイン博士は質素を旨としているから、もしかして見習ったのかしら・・・ねぇ?


アイタタタ



(オイ!)