以前にも書きましたが、夫婦別姓アリ派のRieruです★
実家の苗字が好きでした。
イニシャルも好きでした。
あ、でも画数の少ない苗字の方が早く書けてイイ!
イテテ
(郵便等の署名の煩わしさよ・・・)
先月訪ねた山陽小野田市にある『高泊神社』の名前は、興味深い由来かあります。
神功皇后三韓征伐(この名前を使うのは抵抗がありますが)の際、この辺りの孤島に泊まった時に、「まだ日は高いが泊まろう」と言われたことから名付けられたのだとか。
この高泊神社周辺は開作により、海だった場所を埋め立てられています。
神社へ参る道にはいくつかの鳥居がありました。まずは一の鳥居へ。
例の『目(さっか)』さんの名前が刻まれていました。
『当嶋八幡宮』に続き、目さんの信心深さに感心します。
二の鳥居に行く道中、左手に池がみえました。
付近には、菖蒲やカラーが。
真っ直ぐ進めば、いよいよ二の鳥居というところで、F氏の“狛犬センサー”が発動☆
左側の薮を見て、「狛犬さんがおる!」と言われました。・・・え?
祭壇らしきものがある?
昔、何か祀られていたのでしょうか?石灯篭もありました。
ボロボロなのは来待石だから?ということは、出雲から来られた狛犬さん?
このように、すましたようなポーズの出雲狛犬さんは久しぶりに見たかも。
台座にはハスの花が彫られていました。
(短い)脚付きの台です。
しかし、なぜこんな場所に?
休憩中にF氏が宮司さん宅に凸して教えていただいた話によると、宮司さん所有の狛犬さんなのだそうです。そして特に何も祀られていないとのこと。
かなり昔からいらっしゃるらしいので、どのような経緯でこちらにいるのか、想像が尽きません。
さて、二の鳥居に着きました。二の鳥居と三の鳥居の間には立派な太鼓橋があり、ぜひ横から見て欲しい橋のひとつです。
下は池になっていますが、雨水が溜まっている程度の量しかありませんでした。
昔はなみなみと池の水が蓄えられていたのでしょうか?
太鼓橋から右側を見ると、こんな石碑が建っていました。
昭和10(1935)年2月に建てられた『参宮道路記念碑』。
先程歩いていたストレートの参道は、80年以上も前に造られたのですね。
三の鳥居には、特に何も書かれていませんでした。
と、三の鳥居の下をくぐる前に左側にあった灯篭が気になり、撮影。
昭和11(1936)年12月奉納の石灯篭の台座は、昔の灯台風。池に水が張られていたら、この灯篭が映って美しかったことでしょう。
灯りなんて付いたら、まさに灯台でもわざわざ池の中に入って脚立を立てて火を付ける?
長い火バサミみたいなもので、火袋にロウソク等を置いていた?
距離があるし、長さがあったら重いですよね?
めっちゃ二の腕、プルプルしますよね?
何回かに1回は、池に落としますよね?
アイタタタ
(どうやって火袋に明かりを灯していたのか気になります)