先日、周防大島にある「帯石」を見学したRieruです★
日傘と比べたら・・・巨石!
歴史ある、大変興味深いものでした。
裏手にまわると、こんか感じ。
岩肌をよく見ると、岩の割れ目に小銭が挟まれていました。
何か御利益が?
小石まで挟まれてるし!
と笑っていたら、こんな看板がありました、
帯石吉凶うらない
石を拾って、合掌
「南無観世音」と三回お唱えする。
石を帯石に置く。(投げないでください)
石が帯石に止まれば吉!
他の人の置いた石を落とした時は自身の数え年の数ほど石を置く。
・・・え?
他の人の石を落とした時は自身の数え年の数ほど石を置く!
50個近く置くのは無理だ・・・絶対無理だ!ということで、やめときました。
・・・
ど根性!
いろいろ考えるな〜。いや、これ、他の人のを落とした人が置く所が無くて置いたのでしょうか?てか、この場所に置いても御利益ある?
その後、大悲閣(旧本堂)へ。
こちらに例の亀石があるのですか?
こちらからは美しい瀬戸内海が見えました。
こちらの景色を見た明月上人が、このように詠っています。
・・・読めない!ということで、説明板にはこのように書かれていました。(本来漢字なのに平仮名を使っている箇所があります)
(割愛)・・・明月上人の七言律詩「普門寺」では、ここからの眺めを「翠屏開けり」と表現されています。
そして当時、中国への留学を断念せざるを得なかった上人は、真の風が夢幻に渡り、教えの水がなるかに流れるこの観音様の大自然の前に座って、落ちていて真の道を見つけようという心境を詠っておられます。
普 門 寺
帯石梵王塙にはん登すれば
(帯石梵王台によじ登って見ると、)
春晩天華玉階に下る
(春のあけぼのの中で、昨夜の雪がふもとに美しい階段を作っている)
十洲に趺座して金粟散らす
(この帯石観音は天下(十洲)に向かって安らかに座して金粟如来の慈悲をひろげている)
四国に安禅して翠屏開けり
(四国に向かって安らかに坐禅をくむと、みどりの美しい樹木が眼前に展開している)
真風遠く扇ぎ无際に度る
(けがれのない、清らかな風が遠くから限りなく広がっていく)
法水遥かに流れて未来を徹す
(しかもけがれのない清らかな仏法の水が未来永劫に流れつらぬくことであろう)
此の日経行にして仔細を須つ
(この日坐禅をくんで悟ったことであるが、落ちていていろいろ詳しい事情を待ち望む中に、真の道は開かれるであろう)
人身更に幾たび徘徊するを得んや
(人間が道を或いは悟りをもとめてこれ以上幾度徘徊することができようか、更なる徘徊は限りある短い人生には無理なことだ)
(賀陽豊麻呂著『名僧明月上人像』より)
明月上人顕彰会
なるほど。
この明月上人とは、土居神社近くにあった「仙人台」の方ですね。
先程の説明板の前半には、このように書かれていました。
近代の三名筆
明月上人と普門寺
明月上人は享保12(1727)年8月15日、中秋の名月の日に、橘町日前「願行寺」にお生まれになりました。願行寺は、ここからも港の側に臨めます。上人は松山の「圓光寺」の住職になられ、仏教ばかりではなく儒教や古文辞学をも究められ、書は近世の三名筆と称されました。
上人は親しい友人でもあった当「普門寺」の第十二世契宗(かいしゅう)禅師との談論を楽しみに、この帯石山に度々登ってこられました。そして「普門寺」「望大岳仙祠」「興友人把舊」等の漢詩を遺されています。
「普門寺」の御開山西湖良景禅師は、ここからの眺めが中国の西湖に似ていることに感銘され、十五世紀にこの寺を禅宗「普門寺」に改宗されました。
近世の三名筆・・・調べてみても出てきませんでした。世間一般には知られていない三名筆があるのかもしれません。
もう一度、こちらからの景色を見てみましょう。本当に美しいですね。
私たちは車で参りましたが、明月上人は自分の脚で度々登られていたのですね。
その後、大師堂へ。
阿伽水の近くにあります。
ユニークな扁額ですね。
また、近くには、珍しいお地蔵さんがいらっしゃいました。
たいてい赤いものだと思いますが、帽子とよだれかけが青いです。
しかも、ほうき持ってる!
愚痴等のゴミを掃除してくれて、家族の誰もがいつも綺麗な心でいられるように・・・
はい、あんまり愚痴を言わないようにしたいと思います!(←かなり難しいね)
アイタタタ
(この画像をiPhoneの待ち受け画面にしたら御利益がありそうな気がします)