鳥取の神社仏閣★大神山神社奥宮 拝殿本殿・雪椿の碑編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




GW前に、鳥取県にある『大神山神社奥宮』に参ったRieruです★

やっと拝殿前にたどり着きました。


素晴らしい拝殿です。


凝っている彫刻を鑑賞。


龍の爪が柱に刺さっているように表現されていて凄い!


今にも抜け出してきそうです。

上の方には、麒麟のような動物が彫られていました。


「うふふ、私を捕まえてみなさいよ」「待てぇ〜」的な会話が聞こえてきそうです。


イテテ


(まさに戯れの図)



さぁ、拝殿に参りましょうか・・・あっ、待って!神馬(しんめ)、神馬がいる〜♬.*゚

△ 拝殿に扉?

と、参拝する前に撮影していたら、中から関係者の方が出てきて「撮影禁止です」と注意されました。


イテテ


(よく見ると、『撮影禁止』の貼紙が)


誠に申し訳ありませんでした。もちろん神馬の画像は公開致しません!
この神馬の頭や顔を撫でると、『ボケ防止』、『健康増進』、『願望成就』、『牛馬安全』の神徳がいただけるようです。
また、近くにあった手書きの説明板には、このように書かれていました。

大神山神社奥宮略由緒

主祭神   大己貴命(大国主神)
大山は古来より大己貴命が鎮り坐すお山として大神岳又は大神山と呼び此の所を神祭りの場として居ました。
奈良時代より修験道、更に仏教が入り、神仏習合説明のもと大神に大智明権現の名を奉り神官社僧により奉仕し平安時代には此の奥の宮を中心として三院百八十坊僧兵三千の西日本一の霊山となり以来時勢により盛衰を重ねて居ましたが、明治八年神仏分離令に依り、大神山神社奥宮となり、元の様に純然たる神社となりました。
現在の社殿は、重要文化財に指定され文化2(1805)年の建築で日本最大級の権現造り。内部には色彩豊に長大な柱や長押の白檀塗は日本一と云われて居ります。
正面の社号額は明治維新政府の総裁であった有栖川熾仁親王の揮毫である。
御神徳 農耕 畜産 病気平癒 交通 開運 勝運 良縁


また、屋外にある地図付きの説明板には、このように書かれていました。(割愛箇所有り)

大神山とは大山の古名。
社殿は国の文化財に指定されており、毎月6月初めの山開き祭はここで行われています。


もうひとつの説明板には、このように書かれていました。(割愛箇所有り)

   当地はかつて大山寺の諸堂・諸院が立ち並んでいた地域の最奥にあたり、社殿は京都と地元の2人の大工棟梁により建てられ、同じ幅の本殿、幣殿、拝殿に長大な翼廊がとりつくのが特徴である。
本殿内部は素木(しろき)であるが、本殿正面の向拝(ごはい)や、幣殿内部の天井は、漆や金箔、花鳥絵で飾られている。

△ 本殿の台の石が六角形

他、神事についても書かれていました。

境内には他に、『雪椿の碑』があります。


碑には、このように刻まれていました。

雪椿の碑

この樹 雪椿は甲種飛行予科練習生として美保海軍航空隊に入隊した新潟県出身者が植樹したものです。
鳥取県西伯郡大篠津村の練習航空隊で当時私達は海軍の搭乗員を目ざし厳しい訓練を続けました。死を覚悟したとはいえ限界を超えた訓練に耐えられたのは日々仰ぎ見た大山のはぐくみであったことを想起します。
往時を偲ひ平和の尊さと平和を守ることの大切さを大山の麓に植えた新潟県の樹 雪椿に記し後世に伝えたいのです。
昭和四十八年十月 美保海軍航空隊閉隊三十周年記念植樹
昭和六十二年九月 石碑(雪椿の碑)建立


碑の傍らには、雪椿が。


この時期でも咲いているのですね。

私は・・・近くにあったサルスベリの幹周りの太さに、ウットリ♡



・・・また注意されるぞ!


アイタタタ


(軽くハグしただけです)