山口の神社仏閣★弁財天社編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



何年か前に、下松市にある『弁財天社』に参ったことがあるRieruです★


今回、『下松で古地図さんぽ』のリーフレットを片手に再び参ったわけですが、記事を書かせていただく際に、その何年か前に訪ねた時の記事を貼ればいいね!と考えておりました。

・・・探してもありませんでした。


イテテ


(検索、意外と疲れますね・・・見つからなかった時は倍増)


ということで撮影もほとんどしておらず、どーしよーと考えていたのですが、たまたま今日仕事が休みということで、思い切って車で訪ねてみました。
場所は県道366号線沿いにあり、近くのコンビニに駐車させていただいましたよ。


祭神は小嶋家由来のものだそうですが・・・『弁財天』ですよね?


神額は旧字体?
この『小嶋』氏について調べてみると、小嶋惣兵衛(江戸時代初期)の名前が出てきました。
徳山藩の『御蔵本日記』に磯部家と共によく出てくる下松町の有力町人で、700石積の廻船を所有していたそうです。
後に鯔網(ぼらあみ)による操業を始めたのが近世下松漁業発展の出発点だったとか。
『御蔵本日記』元禄7(1694)年3月20日の冬には、『東豊井小嶋助之允開作の石垣が壊れ、塩づくりが出来なくなった』とあり、塩田開作の記録がありました。


上の画像の黄色い部分が小島開作だそうです。小嶋家すごい!

先程の鳥居や灯篭は、昭和28(1953)年に東洋鋼鈑内から移設されたもののようです。
旧磯部邸や矢嶋邸にあったものなのですよね。
鳥居には、『元禄十一』(1698年)や『下松東市住人磯部弥兵衛』などの銘が刻まれていました。
石灯篭は火袋の部分が積木くずし的な感じで消えていました。


天保8(1837)年奉献で、『世話人 宮洲屋惣兵衛』とあります。

もしかして、この手水鉢も灯篭と一緒に?ですかね。


お社はこちら。


移設された頃からのもの?だとすると、築70年以上経っています。


蟇股は波?

・・・の奥は、ん?


弁財天は女性だし?

こちら右側のもの。


坊主に見えるし、恰幅が良いから『宝袋尊』?

こちらは真後ろ。


巻物を持っているから、『寿老人』?『勝訴』と書きたくなりますね・・・


イテテ


(コラ!)


こちらは左側。


万人が見ても『大黒天』ですね。

境内の松の曲がり具合が良い感じ。


結構大きいです。

大きい木はお社の後ろにもありました。


横にある底が無い台車は、何年か前に参った時にも置かれていました。

ギンナンはあった?


あったかな?無かったかな?多分、無かったと思います。てか、いつの季節に参ったか覚えていません。


アイタタタ


(また機会があったらギンナンが落ちる季節に訪ねてみます)