念願の『三好邸の瓶垣』を拝めることが出来た女 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



旅に心残りがあれば、再び訪ねたくなるRieruです★

そんな心残りがある場所である、山陽小野田市へ参りました。
山陽小野田市の映えスポットのひとつ、『三好邸の瓶垣』が目的地です。

いざ徒歩で向かうと、前回はあと少しカーブを曲がった先まで来ていたということが分かり、ひとり苦笑い…


もうひと踏ん張りしたら、こんな景色が見れたのに!


瓶垣の手前には、『旦の皿山 案内図』がありました。


赤い道路は車が通れる道路かな?私はGoogleマップと徒歩だったおかけで、山側のJR小野田線の踏み切りを渡り、思っていたより早く…うん、坂や階段は地図に表示されませんから。


イテテ


(半ばヤケになって歩いていたかもしれません)


はぁ〜、それにしても凄い数の硫酸瓶!


めちゃくちゃテンションが上がるぅ!

…ちょっと落ち着く為に、硫酸瓶の数を数えてみようか?


…なんてことはしませんが、例の案内図には、このように書かれていました。

   旦地域はかつて、食卓用の小皿など家庭用品を焼く製陶所があったことから『皿山』と呼ばれていました。明治24(1891)年に日本舎密製造会社(現在の日産化学工業)が操業し、硫酸を入れる容器(硫酸瓶)を作るようになってから急速に発展し、最盛期には26社30数基の登り窯が見られました。
   昭和30年以降、製陶業は次第に衰えていき、市内で操業するのは1社となりましたが、在りし日の『皿山』を忍ぶ多くの遺構が残っています。


…『忍ぶ』じゃなくて、『偲ぶ』じゃない?


イテテ


(揚げ足を取らないであげてください←自分もよく漢字を間違える)


そういえば『三好邸』というぐらいですから、『三好さん』がいらっしゃったんですよね?どんな方だったのでしょうか?


別の説明板には、このように書かれていました。


瓶垣(びんがき)

   小野田の皿山では、あちらこちらで瓶垣を見かけますが、これらは焼きキズのある瓶を使い、その強度を利用して造られたものです。この場所にも60余年前に築かれた上下二段の瓶垣がありました。


   しかし、長年の間に地盤のゆるみが原因で所々に瓶の割れや、並びの不揃いな箇所が見受けられるようになりました。


  そこで永久保存を願いつつ、一旦瓶をすべて撤去したあと、復旧工事に取りかかりましたが、取り除いた瓶垣の更に内部六尺の土中にも古い瓶垣がありました。


  今回はその古い瓶も全部取り出し、再び使用しました。
  従って、ここでは100年以上前の当家初代窯以来、代々の窯で製作された瓶が歴史を物語っています。


    三好製陶所  初代窯  三好源之助
                         二代            貞次郎
                         三代             守治

改修記念日   平成12(2000)年8月5日

なるほど、この説明板が設置されたのは今から20年以上も前の事だから、内容からして瓶垣は相当古いのですね。
そして予想通り、焼きキズがあるものが使われたようです。(もちろん歪みがあるものも?)


これら硫酸瓶を検品する、『検品機』なるものが山陽小野田市歴史民俗資料館に展示されていて、興味深かったです。
旦の登り窯についても詳しいものが展示されていました。


瓶垣の近くにも、硫酸瓶が積み上げられたものが。

かつて登り窯だったであろう窯と煙突もあります。


こちらの煙突の方が高い!

▽ あちらの煙突

あらっ、こんな場所に説明板を置きっぱなしにして…立てないのなら、ならさっさと処分しなさいよ〜。

いや、さっき記事に書かせてもらった、貴重な説明板です!処分しちゃダメっス!



アイタタタ


(『近代化産業遺産』というプレートを平成19(2007)年に経済産業省からいただいています)