山口のFUTA★コレクション『24』 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



先週宇部市の小串周辺を歩いた時に、色付きのマンホールを見付けたRieruです★


以前見掛けたものと同じデザインですが、場所や設置時期によって色味が違うので新鮮でした。


同じ日に山陽小野田市内も歩きましたが、初めて見るマンホールの蓋のデザインにテンションが上がりますキラキラ


デザインには、市の花である『ツツジ』と、セメント製造会社(現 太平洋セメント)で昔用いられていた『せめんだる』と呼ばれる木樽が選ばれています。



山陽小野田市歴史民俗資料館に寄らなければ、これがセメントを入れていた木樽ということは分からなかっと思います。
明治時代にはこの木樽を使っていたわけですが、当時はこの木樽にドラゴンの商標が付けられていました。
創立者である笠井順八初代社長が中国輸出を意識して考案されたそうです。
『水を従えて化生し天に昇る』という言い伝えがあるのだとか。
木樽にセメントを入れた重量は175kg…その後麻袋に変わり、最終的には紙袋になりました。
ここまで書いてふと、国語の教科書に載っていた『セメント樽の中の手紙』を思い出して検索したので、貼らせていただきます。

主人公の与三はセメント樽の蓋を開ける仕事をしていましたが、手紙を書いた登場人物の女工さんはセメント袋を縫う仕事をしていました。
木樽から麻袋に移行していた時代の作品だったのかもしれませんね。
ちなみに大正15(1626)年に発表された短編小説です。

マンホールの蓋にもうひとつデザインされていたものがあるのですが、こちらのモチーフは『徳利窯』というものらしいです。当時はこの窯でセメントを焼いていたのだとか。


コートを被ったような見た目から、『外套窯』とも。
創業当時は4基あったそうですが、残っている堅窯は国重要文化財で、この周辺は県指定重要文化財になっているようです。

この3つのモチーフが用いられたデザインの蓋がもうひとつありました。

小野田にとって大事なシンボルであるモチーフがデザインされているのですね。


そしてもう一種類のマンホールの蓋を見付けました。


ツツジがハイビスカスっぽい…しかしツツジはツツジ科で、ハイビスカスはアオイ科です。(ツツジ…コバノミツバツツジ)
モチーフの橋は何橋だろうかと調べてみると、江汐湖に架かる『江汐湖橋』ということが分かりました。


まだ訪ねたことがないので、いつか行ってみたいです。小野田駅からなんとか歩いていけるかな?
汗をかいたら『江汐天然温泉ひさご湯』に入って周辺のお店で美味しいランチを…

…美味しいものは譲れません!


アイタタタ


(計画を立てている時が1番楽しいのかも)