先月、山口市にある『山口市歴史民俗資料館』を訪ねたRieruです★
『雲谷庵展(前期)』を拝見した後は、館内の…あっ、ちょっと待ってください!この瓦は、ぜひ紹介したかったもので。
洞春寺本堂の屋根に使用されていたもので、近年屋根の葺き替えに際して寄贈を受けたものになるようです。
古い鬼瓦は割と立て掛けられていて、間近に見る機会がありますが、裏側まで見せて貰える事は少ないと思います。
こちらなら、見放題!
館内に入れば、江戸時代のみちしるべを見る事が出来ます。
屋外にあれば風雨に曝されることはないですもんね。
『盃状穴(はいじょうけつ)』のある石も展示されていました。
この日は八坂神社でも目にしていたので、惹かれるものがありましたよ。
そして、大内氏ファンでなくても、思わず押したくなるようなスタンプが置いてあります。
△ 『大内義隆』と『大内義興』の花押スタンプ
昔このスタンプを目にした時は、まだ少し年賀状を書いていた頃(現在は控えております)だったので、本気で年賀状に押してみようかと思いました。
送られた人が「は?」って新年からフリーズする可能性があるので止めましたが。
歴史や武将好きならウケるかもしれませんね。
上画面のは小さめで玄関近くにあり、下画面のは大きめで、展示室にあります。
歴史好きな方への年賀状に、話題作りとして使われるのも手だと思いますのでオススメでありますよ♬.*゚
大内氏といえば、大内義隆が最後の大内氏…とばかり思っていますが、大友家から『晴英』(大友宗麟の実弟)が迎えられて、『大内義長』として大内家当主に。
ん?大友家からなら、大内家の血は一滴も入っていませんが…
その義長が書いた『大内義長袖判下文』が展示されていました。
書き下し
(花押)
父重郷(の)所帯、去る大永八年
二月三十日(の)凌雲寺殿証判の
旨に任せ、波多野備後守
繁郷(が)領知すべきの状件の如し
現代語訳
(花押)
父重郷の領地については、
大内義興の許可の通り、
波多野繁郷が支配してよい。
確かに山口で義長が仕事をしていた!という証拠にもなるわけですね。
しかし時代の流れは…ご存知、毛利氏を選んだようです。
歴史の波に翻弄された義長のことは忘れないでいようと胸に刻んだのでした。
…よく、『大内…なんちゃら〜』とか、『大内義…なんとか〜』とか言って、まともにフルネームで言えずにいるけど大丈夫?
イテテ
(なんで自ら記憶力が悪いことをバラすか!←みんな知ってる)
…気を取り直して!展示室には、実際に土器に触れるコーナーがあります。
本当に興味深いですよね。
上東遺跡から発掘された弥生式土器の文様が、クローズアップされていました。
完全体の時はどんな形の、どんな大きさだった土器かを想像するのは楽しいですよね。
よく見ると、この文様の線に点々が付いていることに気付きます。
答えは展示物の近くにありました。
ああ、貝の縁のギザギザでしたか!
ん?この配置って…
…惜しい!
アイタタタ
(貝殻プリーズ!)