今朝、ワンちゃんの散歩をしていると、あることに気が付いたRieruです★
私、猫の顔がドーン!とプリントされたTシャツ着てる…
イテテ
(だから何?って感じですが、私的にツボりました)
いつも強引ですが…楊貴妃って、どんなペットを飼っていたのでしょうか?
唐の時代と言えば、『唐猫(からねこ)』(中国が唐の時代に日本に送った猫のこと)をイメージしますが、猫の頭ぐらいは撫でたことがあるのでしょうか?
気になりますが、いろいろ別のことを調べてみると、楊貴妃は38歳の若さで亡くなら(殺さ)れたそうです。
それにちなんでか、長門市にある『楊貴妃の里』に建つ大理石製の楊貴妃像は、3.8mの高さもあるのだとか。
柱の間から、楊貴妃の像が見えます。
屋根には、“お釈迦様ご一行”がいました。
こちらには、木造釈迦如来立像という、国の重要文化財があるようです。
こちらかな?
中にご安置されている立像かな?
立像の画像は、HPからお借りしました。国の重要文化財はもう一体あるようです。(他に県の有形文化財に木造四天王立像があります)
左側の方が釈迦如来立像(生身の釈迦)で、全身朱色の彩色が施されていたようですが、今は僅かに残るのみ…
2つの像はいずれも寄木造りのヒノキ製で、目は水晶製の玉眼だそうです。
木造阿弥陀如来立像は、釈迦印を結び、金泥等の彩色は僅かに残るのみ…鎌倉中期に京都で院派仏師により作られたようです。
寺伝や地下上中、風土注進案には、この二尊像は楊貴妃の霊を弔う為の仏と伝えています。
そもそも、玄宗皇帝が見た夢の中に楊貴妃が現われ、「日本に流れ着いた云々」を告げたところ、然るべき者を日本に遣わし、楊貴妃の霊を弔う為、釈迦如来と阿弥陀如来と十三重大宝塔を京都の清涼寺へ預けました。
…え?なんで京都のお寺に?
日本に流れ着いたと言っても、どの場所か分からなかっために、都である京都に行ったのでしょうね。
その京都でも結局行方が分からず、とりあえず預かってもらったのですが…この時、念書を書いとけば良かったですね。
楊貴妃が流れ着いた場所に寺社を建て、そこに安置すると。(寺社が無ければ建てる)
当然トラブル発生☆この仏像を目当てに参拝客が増えに増え、楊貴妃の墓が長門の国で見つかった後、朝廷が移すよう命じてもムリムリムリ。この像は両方とも、ウチのじゃーい!(と言ったか言わなかったかは分かりませんが)と、逆に朝廷に対して置いて置くようにと嘆願する始末。
朝廷も鎌倉時代には大した権力は無かったのか、最終的には名工にそっくりな2体の仏像を造らせていったい1体ずつ2つの寺で分け合って、問題を強制終了、お疲れちゃん。
…現代だったら裁判案件よね。
アイタタタ
(いつの時代も駄々捏ねたモン勝ち?)