SLやまぐち号を降りて津和野駅周辺と『桑原史成写真美術館』へ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




毎朝夕、預かっているワンちゃんと散歩に行っているRieruです★

近所では猫派で通っているので、犬派の方から声をかけてもらって驚きました。
ワンちゃん話題のトーク、楽しいですね♪
これで魚類と鳥類と爬虫類と小動物等を飼ったら私、最強じゃないですか?


イテテ


(多すぎるじゃろ…)


でも、もう少し歳を取って一人住まいになったら、ペットは飼うまい!と考えている女は先日、新山口駅発津和野駅行きのSLやまぐち号に乗車しました。
途中下車されている方もいらっしゃいましたが、ほとんどの方は津和野駅へ。


すみません、本来は県外を跨ぐ移動は自粛した方が良いのは分かっているのですが…コロナ禍の中で訪ねたのは初めてです。当たり前のことですが、気を付けて散策(観光)させていただきます。
マスク着用はもちろん、会話も腹話術の如く…


イテテ


(聞き取れません)


そう言えば、津和野駅のホームにも初めて降り立ちました。

PM 1:03

おっ、明治後期〜大正時代を思わせるような雰囲気ですね。


その時代で津和野出身の有名人といえば、小説家(評論家、翻訳家)であり、陸軍軍医等をされていた森鴎外先生や、女優の伊沢蘭奢(いざわらんじゃ)さんが浮かびます。

偶然にも、森鴎外先生が亡くなられたのは、開業する約1ヶ月前の7月9日でした。
そして伊沢蘭奢さんは『三浦しげ子(本名 三浦シゲ)』の名前で、8月31日に公開されたサイレント映画『新しき生へ』に出演されています。

津和野に来たのは今回で2回目ですが、まだまだ行きたい場所がたくさんあります♪
が、帰りの汽車の時間は午後3:45。早めに駅に戻る事を考えると、約1時間半しか時間がありません。


津和野駅舎の裏側には山があり、その奥に訪ねてみたかった『乙女峠マリア聖堂』があります。
発車時間のことや、暑さや、🦟の事を考えると、今回は見送るという決断に。
てか、頭領はあまり歩きたくないんですよ。…近場で楽しみましょう。

本気で歩きたくない人は、ずっと駅構内周辺にいらっしゃったかもしれません。
ここ津和野駅には転車台があり、作業の様子を見学された方も多いはず。


機関車部分が5号車から切り離され、1号車の前に連結させるんですね。

駅構内の売店には、SLスタンプが販売されていました。


『つわみん』もいるよ?

こちらが、つわみん。


津和野のイメージアップキャラクターで、頭には鷺舞、手はハート、スカートは海鼠(なまこかべ)で可愛いですね♡

鷺舞…駅には、こんなタイルの壁画が。

△ 下部分にベンチがあり、人が座っていたので画像が切れています

タクシーにデザインされた、つわみんキラキラ


SLのイベントには姿を現す事があるそうですが、今、めちゃくちゃ暑いですもんね〜。

島根県のゆるキャラ(観光キャラクター)代表と言えば、『しまねっこ』ですが、こんなところにいました。


山口県も、ちょるるのがあれば…いや、黄色は目立って良いですね。

目立っていたのは、この形の郵便ポスト。


萩旅行や長門旅行でも、よく見かけました。山陰ではあまり珍しくないかもしれませんが、私にとっては珍しくて萌えました。

萌えるといえば、駅前に展示されていたデゴイチキラキラ


ここは到着後、撮影スポットになっていていて賑わっていました。

その後方には、『桑原史成写真美術館』が。


観光案内所も兼ねているようで、到着してしばらくは利用客がいました。

美術館か〜。気になる展示が開催されているようですし、300円を払って鑑賞させてもらうことに。


「山本五十六が散った」ラバウル島  -パプアニューギニア-

HPには、このように書かれていました。

   南の島、パプアニューギニアが独立したのは、今から45年前の9月16日である。僕が、この独立国を撮影で初めて訪れたのはその翌年の1976年8月であった。パプアニューギニアを撮影するきっかけは、全日空の機内誌『翼の大国』に関わっていて、パプアニューギニアの国営の航空会社(Air Niugini)が鹿児島空港に乗り入れの航空路を開設する事になり、“未知の国”の取材に挑んだのがきっかけである。2年後の1978年にも訪問している。
   パプアニューギニアについて記述する前に、この国と日本の関わりを述べなければならない。日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃(1941年)の後、南太平洋に軍事拠点を布陣する戦略を推し進めた。現パプアニューギニアの北東、約300kmのラバウル島に全線基地を布陣している。初戦は、ガダルカナル島への上陸作戦、ブーゲンビリアの戦いなど戦果を挙げるが、1943年以降は劣勢に立たされる。その1943年4月18日『真珠湾攻撃』で知られる有名な連合艦隊司令長官 山本五十六大将(没後に元帥)が、ラバウル島の航空基地から全線の視察に向かう途中、搭乗していた軍用機が追撃され、日本海軍の誉れ高い英雄が散った。米国は、日本側の通信を傍受していたのである。
  パプアニューギニアの人口は、約7,000万人で、国土は日本の2倍。太平洋戦争時の歴史から英国が宗主国でエリザベス2世が象徴的な女王である。従って公用語は、英語と現地語ということになる。産業は、コーヒー、パーム油のほかに金、銀、銅など鉱物資源に恵まれ、また液化天然ガス(LNG)の生産も凄まじく年間約700万トンの50%を東京電力と大阪ガスが輸入している。このパプアニューギニアには1526年にオランダが進出し、さらにイギリス、ドイツが植民地化していた。戦後はオーストラリアの委任統治領になっていた。
  鹿児島空港を離陸した航空機は、ほぼ真南に向かって飛行するとパプアニューギニアの首都・ポートモレスビー空港に到着する。さらに、進路を南にとればオーストラリアに行き着き、日本との時差は無い。パプアニューギニアの日常の生活をスナップした記録写真ですが、日本から約6,000km離れた“南の別天地”のパプアニューギニアの語源について、かつてスペイン人が、この国のメラニシア人の「縮れ毛」の容姿がアフリカのギニア人に似ている事からNew‐Guinea(新しいギニア)と言ったとされる。
桑原史成

あ…展示のところでも、同じ文章を読ませていただきました。
作品はモノクロでしたが、パプアニューギニアに住む人々や、戦争で使われた残骸等が印象深かったです。
大広間?一間の展示なので、比較的短い時間で鑑賞できます。

桑原史成(くわばらしせい…本名ふみあき)さん…は、報道カメラマンで、昭和11(1936)年10月7日に津和野で生まれました。(現在84歳)

△ チケットの写真はロシアでの撮影

1960年に、東京農大および東京総合写真専門学校を卒業され、水俣、韓国、南ベトナム、ロシア等を取材されています。


写真美術館で鑑賞する機会はあまり無いのですが、いろいろと感じる…考えさせられる作品を鑑賞することが出来ました。

…美術館?クーラーが効いてるぅ♪という動機も否めませんが。


アイタタタ


(暑さの中の無理は厳禁…涼しみながらの観光が理想的でございます風鈴)