職場の方で東京オリンピックのチケットが当選した女性がいるのですが、延期のため飛行機のチケットが無駄になったということを聞いたRieruです★
え?宿は取りにくいだろうということで、東京在住のお姉さんの所の予定でしたよね?私だったら新たに宿を取って東京旅行を楽しむのに!と言ったら、「そうですよね、ポジティブにいかなきゃ!」と前向きに考えらるとのこと。
・・・東京のロックダウン等が被らなきゃいいけど。
イテテ
(どうしてもネガティブが姿を現します)
悪い事があれば良い事もある。
先日参加した狛犬ウォーク(柳井編)の下見で、狛犬ウォークでは寄らない両石山 普慶寺に寄ることになりました。
こちらのお寺、前を通ったことはありましたが、お邪魔したことはありません。
楼門をくぐる前に、左側の説明板が気になりました。
あらあら。
両石山普慶寺は、天長8(831)年弘法大師が真言開宗の為この地にこられ、観音ビラと云う所に大石の両合わせるものあり。この両石は金胎両部不二を表して密教の永弘の伽藍を建立するのに吉瑞であると思われ、自ら大日如来と不動明王、毘沙門天王の参体を彫刻し本尊と定め、安置させられて両石山と名称を定められた、由緒あるお寺であります。
それから弘安元(1278)年に大内広貞公が百済から守護仏として持ち帰られた一尺ニ寸の金仏千手観音を此の寺に納められ、本尊と改め普慶寺を本坊とせられました。
その後大内家が滅亡し柳井の地は維新前には吉川家六万石の所領となり、入封した吉川公が先例の由緒ある寺跡の衰退を惜しみ柳井宰判は一万三千石でこの地の総祈願所と定め、これによって本堂・楼門・練壁・石垣等破損の時は村方と町方と各方への寄附をお願いして、その修理をしてきたので現在までご本尊崇供し仏堂を修葺してきました。
と、説明板には書かれていました。
はぁ〜、かなり古いお寺なのですね。
右大臣左大臣に睨まれながら楼門をくぐります。ふと見上げると、銅鐘が吊るされていました。
柱もあるし、落ちてこないことは分かっているけど、やっぱり怖い!
本堂の前に行くと、勝手知ったる我が家みたいな感じでまるさんが靴を脱いで本堂に上がっていきます。
この時、たまたま狛犬ウォークの下見メンバーしかおらず、「え?勝手に入っていいんですかね?」という空気でしたが、みんなで着いて行くことに。
おお〜、豪華で眩しい!お線香の香りは落ち着きますね。
順路通り、左周りに観音さまの前へ・・・の前に、延命普賢菩薩や、三猿二組を拝見。
そしてこちらが噂の、市指定有形文化財の観音さま!(正式名︰銅造千手観音菩薩立像)
うわぁ、33年に1度の御開帳・・・次は60歳頃か〜。←計算出来ない?バカなの?
イテテ
(多分この世にいない気がします・・・)
お寺のHPには“頭上に十一面を戴き十六本の腕が蝶の羽が広がるように扇状に開いております”と書かれていました。
最終的には本堂に上がらなくても、この紐を握れば観音さまを撫でたことになるようです。
はぁ〜、目からウロコ!←てかいろいろ知らなさすぎ。
本堂にはビンズル尊者の像も安置されていました。説明板には・・・
マッチ箱コレクターの方が喜びそうな、レトロなデザインですね。
こちらのお寺では愛染明王をお祀りされており、じつは古くから安産祈願、良縁成就、恋愛成就、家内安全、病気平癒などのご利益があるそうです。
そんな境内には粟島大明神も祀られており、おいなりさんと、狛犬さんのコラボが見れました。
他にも境内に気になるものがありましたが、予定があるので急ぎ足で。
代官所跡もあるようで、いつかまたゆっくり訪ねたいと思います。
韋駄天さん︰「お〜い、ワタシのこと書くのを、延期しないで〜。」
あっ、韋駄天(いだてん)さん!大河ドラマ「いだてん」を思い出します。はい、スルー出来ません!説明板には・・・
梵名をスカンダといい塞健太と漢訳される。
バラモン教ではシバ神の子供とされ歓喜天(聖天)は兄にあたる。仏教に取り入れられて四天王中、増長天に属する八将軍の人である。
捷疾鬼(しょうしつき)が、仏舎利を盗んで逃げたとき、韋駄天が鬼を追いかけて取り戻したということから「韋駄天走り」という相性で呼ばれるようになった。
と、書かれていました。私も韋駄天さんのように走れたら・・・
韋駄天さん︰「まずは体重を落としなさいな。膝にくるよ〜?」
アイタタタ
(・・・ですね)