山口県は朝からずっと雨・・・気分を上げるために、久しぶりにマニキュアを爪に塗ってみたRieruです★
しかし、顔はスッピン。
イテテ
(だって買い物にも行かない引き込もり日だし!)
錦成橋を渡り、佐々木小次郎像を自撮り棒で自身と一緒に撮影している男性を尻目に、吉香花菖蒲園沿いを山側に向かって歩きます。
AM 8:12
画像右下にある田んぼのような場所が菖蒲園なのですが、今月末頃から美しい花が咲き始める予定です。
他県では観光客が来ないようにチューリップや藤の花が切り刈られていましたが、この菖蒲園の花が同じ運命になりませんように・・・そして咲く季節の天気が、災害が起こらない程度に雨続きだったら良いのに、と願います。
傘を差しての観光なら三蜜にはならないだろうから。
5月31日まで緊急事態宣言が延長なったので、菖蒲の花はなんとか観に行けそうですね。
そんな中年女の期待を一心に背負った菖蒲園の先を更に進むと、絵馬堂の錦雲閣(きんうんかく)が見えてきます。
更に矢印方向に進むと一の鳥居が見えてきますが、赤丸の方からも参れます。
そこには立派な東鳥居が。
今回は一の鳥居からお邪魔します。
錦帯橋付近にはパラパラとしか観光客がいませんでしたが(もちろん帰りには増員)、この周辺では佐々木小次郎像で見かけた男性しか見かけていません。
が、境内で清掃をされている2人の方がいらっしゃいました。
ありがとうございます、綺麗な境内ですね。
幾度か訪ねたことがある境内ですが、いつも綺麗で気持ち良いです。
幾度か訪ねたことがあるのに、なぜ今まで記事に書かなかったのか?
じつは書かせていただこうと何枚も写真を撮影させていただいた事があるのですが、全て消えていました・・・その時、スマホが故障前だったのかも?しれません。
ただ、あまりにもタイミングが良すぎるので妙に怖くなり、それ以後控えておりました。
今回は意を決して1人で参ったわけです。
神門は四脚門・切妻造・左右潜門附属・檜皮葺で、拝殿・本殿・幣殿と同じく享保13(1728)年に建てられたようです。
AM8:22
岩国藩大工の質の高い技量がうかがえる、素晴らしい造りになっているので、必見でありますよ。
神門に施された家紋は『丸に三つ引き両紋』ですが、他に『引両紋』、『九曜紋』もあり、どこに使われているのか興味深いです。
神門のちょうど真ん中から上を見ると細かい彫刻が。
滑り止めっぽい・・・
イテテ
(決して踏めませぬ!)
参道を進むと、なんとも美しい拝殿が迎えてくれました。
AM 8:23
先程の神門・拝殿・本殿・幣殿・棟札2枚は、国指定重要文化財であります。
参道脇を固める石灯篭も古・・・明治期のものなので、建物よりは新しいですか。
こちらの拝殿に近いものは、大正12(1923)年5月建立になり、右側の奉納者は以下になります。
右から、毛利元昭・毛利元雄・毛利元秀・毛利元恒。
ん?(訪ねた日の)昨日、山口市の野田神社と豊榮神社の石灯篭でもお名前を拝見しましたね。
注意深く見ていくと、もっと古いものも建っていました。
この公園を含む広い境内は、吉川家の住まいがありました。
長い間岩国領で、岩国藩になったのはわすがな期間・・・廃藩後は岩国県に。これまた、わすがな期間でした。
その時の旧藩主 吉川経健(つねたけ)は、政府の命令で東京へ移居するにあたり、吉川家の先祖を祀る神社三社(興経を祀る治功社・経義を祀る高秀社・広家を祀る鎮昭社)を東京に遷宮することに。
△ 拝殿は九曜紋
これに対して旧藩主ばかりか、その祖先の霊までなくなることは忍びないとして、旧士民より、神社は残すようにと請願があったため、三社を合併し、さらに祭神に元春と経幹を加えて、治功社の社殿を吉香神社とすることになったのだそうです。
そうして、明治18(1885)年に白山神社の下隣にあった吉香神社は城跡に移転されました。前述の錦雲閣や石橋や噴水地は翌年に。
更に祭神に、友兼・経基・元長が加えられました。
なんか、大鍋を置いたりして使っていたのでしょうか?
豚汁とか〜、ぜんざいとか〜♪
・・・絶対に違うと思う。
アイタタタ
(そもそも何かを置くための窪みでは無いような?)