大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第42話(東京流れ者・・・前半)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



急に寒くなったので、新しいショールを掛けて外出したRieruです★

しかし、不思議です。
ショール1枚で、荒っぽい仕草の私が大人しく?なれるんですよね。
毎日外出する時は肩から掛けて、『いつもショールを肩から掛けている女性』を演出しましょうか? 

・・・多分、飽きるよね?


イテテ


冷え症だからショールだけじゃあ、限界が来るのは時間の問題であろう女は、大河ドラマ『いだてん』の第42話を観ました。

この頃の日本は高度経済成長期で、国民の暮らしも随分変わったそうです。
冷蔵庫に洗濯機、白黒テレビ・・・本当に便利になりました。
しかし、良い事ばかりでは無く、特に車の渋滞は酷かったそうで、『細長い駐車場』との例えも。
そんな昭和36(1961)年6月、渋滞中の車の脇を、颯爽と金栗四三さんが足袋シューズで走り抜けます。
いつものように?グラフィックデザイナーの亀倉氏と、建築家の丹下氏を後部座席に乗せたタクシー運転手の森西栄一氏は、毎日の渋滞に苛立ちキレまくり。
後ろの2人の会話から“ジープでアテネからシルクロードを通って東京まで運ぶ下見”のことを知り、自分も参加出来ないかと、話に入ってきます。


亀倉氏︰「しかし、走行距離2万キロですよ?」

森西氏︰「でも、混んでないでしょう?シルクロード。もうね、うんざりなんですよ、もう渋滞〜・・・毎日ね、マラソンのジジイにも追い抜かれて、自尊心ズタズタなんですよ。行きますよ?誰に言えばいいんすか?」


ほどなくして森西氏はタクシー運転手を辞め、『聖火リレー踏査隊(とうさたい)』の運転手になりました。


まーちゃんたっての希望で、アテネから陸路シンガポールまで2万km、13ヶ国を経由して横断する予定です。


しかも、たったの2台の車で・・・

その頃、女子バレーの方も、猛練習に励んでおりました。現代ならば、虐待?と受け取られそうなやり方も、大松監督がメンバーらの親(身内)に了承を得ることで、認められます。


メンバーの中の河西選手(ウマ)はセッターに転向したため、右でも左でも攻撃出来るよう、日常生活でも右手の使用を禁じるほどのストイックぶり。
右手が使えない・・・といえば、退院こそしたものの、後遺症のために右半身が使えない古今亭志ん生。リハビリ、頑張ってます!

頑張ってるといえば、選手村をどうしても代々木に!と言ってるまーちゃんのために、在日米大使ライシャワーの元へ行き、交渉を進める平沢氏。


この頃は安保闘争が盛んなので、米軍が代々木を返せば反米感情が緩和されるのでは?と、アメリカ側のメリットを伝えると・・・後日OKが。
やった〜♪と思ったら、東都知事から猛反発。

東都知事︰「頼むから、勝手に動かないでくれよ、まーちゃん!朝霞で進めてるんだよ、もう〜。政府と建設省と東京都と埼玉県の承認を得て、道路工事も始まってる。笹目(ささめ)通りなんて、埼玉県民が『オリンピック道路』って呼んでるよ。今さら代々木?そんなの埼玉県民が納得しない!」

アメリカが代々木を無条件で日本に返す訳はなく、立ち退き料『60億円』も要求してきたらしい・・・現在暮らす兵士の家族800世帯分の住居を新たな土地を見つけて建設することが条件だと。

珍しく?池田首相を紹介した津島氏でしたが、まーちゃんに代々木を諦めさせるような話し合いになりました。

△ 池田首相は明治32(1899)年生まれ・・・『豊田鶴』という名の造り酒屋の7人兄弟の末っ子☆広島県出身(まーちゃんの方が1つ歳上)

所得倍増計画を打ち出した首相に「60億は出せんよ君」とバッサリ。

まーちゃんが熱く語るも、朝霞で良いのでは?という結果に。


つ、津島さんよ〜?

まーちゃん︰「朝霞でやったら、埼玉オリンピックだろうが。」


ところ変わって、とある高級料亭。

川島氏︰「朝霞でいいじゃないか、何をモタモタしている?・・・会ったそうだね総理に、田畑と津島が。」

東都知事︰「ええ、しかし金は出せんと。」

川島氏︰「当たり前だよ。え?たかが選手の宿舎に60億?まったく・・・津島はボンクラ、田畑はスタンドプレー、あの2人にオリンピックは任せられんな。


どうした?あの2人にオリンピックは任せられんなと言っているんだよ僕は。君の意見はどうなんだ?」

都知事の意見は・・・
史実では鈴木副都知事という『陰の都知事』がおり、(随分先ですが昭和54(1979)年には自ら都知事に)形は東都政でも、事実上鈴木都政になるように川島氏が仕組んだのだそうです。
やはり『政界の寝技師』。
さぁ、どう池田首相から60億円を出してもらおうか?ええ、諦めちゃあおりませんよ、我らがまーちゃんは!
そんな時、日本橋のバー ローズでマリーさんが白黒テレビに文句を言っていました。

マリーさん︰「もう、ホント癪に障るわ。あの、カラー放送って・・・『カラー』っていう文字。いつまで経っても白黒なのよ〜。


もう・・・壊れてんのかしら?」

カラーテレビに買い替えないとカラー放送は観れません。

それよりも選手村問題。
朝霞ならタダ、代々木は60億!オリンピックが終わった後でも使えるものは、都と国が折半する事になっていると岩ちん。

まーちゃん︰「じゃあ何かい、え?オリンピックが終わった後も国の為に使えればいいのかい、え?上等じゃんね〜。


俺のオリンピック☆」

・・・有るわけ無いので、オリンピック組織委員会に取りに行きました。
夜の洋館・・・お約束で、嘉納治五郎先生の声がまーちゃんの耳に聞こえてきます。
ついでにポルターガイストも。
今年が(生きていたら)100歳だったということ、1940東京オリンピックを返上したこと等々。


治五郎先生︰「オリンピックを返上?なんと愚かな!田畑!命懸けで持ち帰ったんだぞ、カイロから。氷川丸で!


・・・情けない!政治とスポーツは別モノと繰り返し口を酸っぱくして言っただろ!
それはそうと田畑。今度のオリンピック、何処で観ればいいのかね?」

テレビ、と答えたまーちゃんが何かを閃きました。
“オリンピックが終わっても使えるモノ”


それは国営の放送局!

菊枝奥さまが切った、たこさんウィンナーを放送局(アンテナ)に見立てて池田首相を説得するまーちゃん。


メイン会場の傍に放送局があると、鮮明な映像をお茶の間に届けることが出来ます。
そうなると、白黒テレビよりカラーテレビが売れる!
実際に皇太子(平成天皇)ご成婚の際に、白黒テレビがたくさん売れ、莫大な経済効果があったという。
(まーちゃんの口上がツボだったので書きます☆)

まーちゃん︰「今度は、オリンピックが来るそうよ?アナタ。カラーテレビ、欲しいわぁ♡
そうだなぁ〜、ボーナスも出るし、買い替えるか。

ね?またバカ売れだ。

ねぇ、アータ。お隣さん、カラーテレビに買い替えたそうよ。ウチも欲しいわぁ、カラーテレビ♡

うーん・・・ヨシ!お父さん、頑張って働くぞ!
ハイ、所得倍増☆」

池田首相︰「うまいねぇ、君。乗せられそうだよ。」

まーちゃん︰「だって欲しいですも〜ん。カラーテレビ。高いんだぁ〜、1台60万もするんですよ?」

池田首相︰「60万!」

まーちゃん︰「1万台で?」

池田首相︰「60億!」

まーちゃん︰「そう、60億!たった1万台で元が取れちゃう!・・・買うなら“今”です。だってオリンピック終わった後放送局作っても、意味が無いですからな?


どうです?そんな代々木ハイツ、今ならたったの60億ですよ?」

この直談判で見事に選手村が代々木に決まったのでした。

あ、私もこんな風に言われたら60億出しちゃう♪←いや、庶民がそんなお金持ってないだろ。


アイタタタ


(代々木は無償で日本に返して代々木に居た米軍関係者はそっくりそのままアメリカに帰る・・・なんて無理だっただろうけど、それやったら安保問題は随分解決したのでは?なんて書くと、それこそ“問題”なんでしょうね)