広島の神社仏閣★厳島神社 大鳥居編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




新年から『宮島太郎の会』さん主催の先峠・三丸子山・室浜山の山道を探訪にナユミマさんと参加したRieruです★


しかし朝8時に宮島側で集合とは・・・
この日の前夜に七草がゆを作っておいて朝イチで食べたものの、足りるワケがなく汗

チェストばーい!


と、心の声が大河ドラマの西郷どん風になりながら、カロリーメイトをムシャムシャ。
今晩第1回目の放送がある(本当は過去形)のですが、放送前から気分は鈴木亮平サン(西郷どん役)!


ナユミマさんと宮島で落ち合いましたが、時間になっても全員集まっていないようでした。
と、ここで気になるもの発見!
港のターミナルの時計が定時になったところで神々しい音楽が流れ、楕円形のパネルが回転!


平清盛サンが登場したではありませんか!
手とかが動いて舞を踊っているように見えますきらきら
おお〜!
新年から貴重なモノが見れました〜!

・・・ただの偶然でしょ。


イテテ


今回の人数は32名だそうで、4班に分かれて歩くそうですが山道入り口までは結構バラバラ。
皆さんに付いて歩いて行くと、砂浜ルートへ下りて行かれるじゃないですか!
数え切れないくらい(昔から訪ねているのでおよその数も分からない・・・)宮島に来ているのに、砂浜を歩くのは初めてです。
ええ〜!1度も無いの?って笑われそうですが、お恥ずかしながら本当に初めてなんです・・・


なので密かにテンションが上がりまくり!


宮島港から宮島水族館(みやじマリン)までのルートを干潮の時はショートカットできるのですね〜。


大鳥居を間近に・・・
ワクワクしてきました♪


大鳥居の左右周辺に低い柵?


よっこらしょ!と跨(また)ぎ、一路 大鳥居の下へ。
もちろん、左手に厳島神社も見えます。
厳島神社・・・昨年は依ちゃんと詣でたな〜。

後日『デジkota9』さんのブログ記事で、私より数日前に同じ場所を歩かれたという事実発見!


数日違いで遠く離れたトコに住んでおられる方と同じ場所に・・・ということで勝手に高揚し、リブログさせていただきました☆(リブログは了承済です)

“狙って”の干潮ではなく、“偶然”の干潮ってドラマチックですよね!



朝日(と呼んでも良いのだろうか?)が高さ16,6m、棟の長さ24,2mの大鳥居を照らします。
ハァ〜・・・感動きらきら

平安時代から現在の鳥居は代目にあたるそうで、明治(1875)年に再建されたのだとか。


対岸の廿日市市を臨む手前の干潟にも、感動きらきら


冬場なので、キツい磯の香りもあまりしません。

他のメンバーさんたちも、思い思いに写真を撮られていたので、私もカシャカシャカメラキラキラ


数々の鳥居を見てきた私ですが、こんなに巨大なのは初めてきらきら


根元を刮目せよ!


と叫びたくなる迫力・・・を醸し出しているのは鳥居用の円柱として、均一に加工されておらず、荒々しさを残しているからですかね。
この大鳥居に使われている真ん中の2本の主柱は樹齢500年以上のですが、主柱を支える4本の袖柱はなんだそうです。
この巨木探しは20年もかかったらしいので、嘉永7(1855)年頃からすでに全国を捜していたんですね。
楠は宮崎県岡富村(現 西都市)のが1本、香川県和田浜(現 観音寺市)の1本が使われ、根継ぎ材には福岡県久留米市や佐賀県佐賀郡鍋島村(現 佐賀市)で切り出されたものらしいです。

ほ〜。


大鳥居の基礎のことや詳しい話は、『宮島歴史民俗資料館』で学べますよ〜☆←逃げたな!


ええ加減首が痛くなってきたので下を見ると・・・おっ!銭じゃ、銭じゃ!


でもさすがに100円玉や500円玉は見つからず・・・←コラコラ。
しかも長い間経っているのか変色しています。
海(または浜)に直接投げるかな?
よく鳥居の上に石やらお金を投げて乗せる方がいますが、その落ちたものなんですかね?
あまり宜しく無いと聞いたことがありますが・・・
柱に出来た亀裂の部分にこれらを差し込むアホがおるそうなので、万が一見かけられましたら躊躇無くローリングソバットを食らわしてください。

・・・警察に捕まります。


イテテ


(柱が傷むので硬貨を挟むのは絶対にヤメてください←もちろんローリングソバットも絶対にヤメてください)


扁額には厳島神社を背にすると『伊都岐神社島』と読めますが、沖(廿日市市側)から見ると『嚴嶋神社』と書かれています。


染筆は有栖川宮熾仁親王(和宮さまの元婚約者で有名・・・幕末では長州系攘夷派・・・西郷どんとも縁が有・・・西南戦争後 陸軍大将に・・・広島大本営で腸チフスに罹り・・・61歳で薨去)で、明治(1874)年に書かれたものだとか。
代目の大鳥居の時は『伊都岐嶋大明神』『嚴嶋大明神』だったらしいです。
なぜ表と裏で表記が違うのか?
気になる方は諸説あるので、検索してください☆←逃げたな!
とりあえず表は『厳嶋神社』になります。
ということは厳島神社から見たら『伊都岐島神社』になるんですね。


水が流れる先の先の先にある山に、これから登る・・・わけではなく、水族館近くの大元神社まで平坦な道を歩き・・・


ありゃ!


待って、待って、待ってくださーい!
油断してるとこのように最後尾を歩かなければならなくなります。


アイタタタ


(山道では最後尾にならないシステムになっているので安心ですm(_ _)m)