山口の神社仏閣★生目八幡宮編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



ファミリーマートのキャラクター、『 ファミチキ先輩 』が気になって仕方が無いRieruです★


当初、『 ファミキチ先輩 』かと思っていました汗
調べてみるとファミチキ先輩は年齢29歳で、ファミマのバイト歴は11年目という設定でした。
で、中身(?)は安村典久さんという俳優さんで、大河ドラマ『 おんな城主 直虎 』にも、ちょっと出演されていたとか。
すみません、ドラマ観てなくてどんな役かまでは分かりません!


イテテ



そんなファミチキ先輩好きな女は、美祢市美東町にある『 景清洞 』に行った時に、入り口近くに鳥居を見付けました。


入洞する時に気付いていたのですが、観光客の多さ ( たまたま ) に辟易し、スルー。
帰りはきっと空いてるだろうと、無礼にも最後に訪ねたのでした。

   ※本来なら入洞前に参らなければ!

なんとなく人がいない時にゆっくり訪ねたかった『 生目八幡宮 』さん。


ってか、どう読むんでしょ?


「 依ちゃん!これが有名ななまめ八幡さんよ。」

・・・良かった、私たちの他に誰もいなくて。
これ、じつは後に調べて分かったのですが、いくめ八幡さんと読むんだそうです。


イテテ


( 景清洞のリーフレットを見て初めて知りました汗 )

あー!
知ったげに “ 有名な ” なんて言うんじゃなかったー!

そんな生目八幡宮さん、リーフレットには『 景清が負傷した目を洞内のしずくで洗い傷を治したので、その恩返しのため洞くつ内に “生目八幡 ” を祀った 』とありました。
景清・・・景清洞の名前の由来になった人ですね。
リーフレットでは景清のことを『 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将・大庭景清 』と記しています。
そして景清が源氏の追っ手から逃れて潜んでいたのが景清洞というのです。
ははあ、それで “ 景清 ” や “ 戦さ ” に関連した名前が多く付けられていたんですね。
全部ネタバレすると申し訳ないので2つだけ。
っか『 敵落し 』は看板だけの画像のみです。


私、英語を見落としていたのですが、彼女が

「 ハハハ、“ トラップ ” だって〜☆」

とウケていたから気付きました。
やっぱりここは1人で来てはいけないな、と良くも悪くもそう感じる場所が多かったです。
カメラだと “ オーブ ” と呼ばれるものが写ることがあるそうですが、私はスマホのカメラなんで関係ないと思っていました。
でも、この『 景清つらら 』の土、妙にくないですか?


霊感とか全然無いんですが、なんか・・・
景清洞の住所は『 美祢市美東町3108 』で、昔から地名にが付いており、『 の穴 』とも呼ばれていたそうです。
土の多い場所?という由来しか思い浮かびませんが、白でも黒でもないを使ってたのには、何かしら意味があるんでしょうね。
平氏側は旗、源氏側は白旗を用いていましたが、起源などを調べると結構面白いです。

おっと!
話が脱線しまくりましたが、景清つららは、こんなトゲトゲした感じ。


景清は平家側にいたので『 平景清 』と呼ばれたり、『 藤原景清 (藤原忠清の子)』とか『 伊藤景清(藤原と言ってもそもそも藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏なので) 』、『上総七郎(かずさのしちろう・・・父の藤原忠清・・・上総忠清とも) 』という名でもあるそうですが、『 悪七兵衛 』とも呼ばれていました。

『 平家物語 』では源氏方の美尾屋十郎の錣 ( しころ・・・兜の左右後方に付けて首を覆うもの )  を素手でちぎったという『 錣引き 』が有名らしいです。
あと、源氏方の那須与一が扇の的を射抜いた時に「 あっぱれ!」と叫び、船の上で舞を踊り出した平家の者を義経の命令で再び射抜いた時、真っ先に海上から陸上の源氏らに突っ込んで行ったのが彼だったらしい・・・

     ※このシーンは別モノ m(_ _)m

しかし勇猛果敢な彼の逸話は多く、後世の人によって作られた話もあるのかもしれません。
悪七兵衛の『七』は藤原忠清の七男だったためで、『悪』の字は匿ってくれた叔父の大日房能忍を疑心暗鬼になって殺っちゃったから!という説が伝えられてきましたが、じつは近年、事故死か病死の可能性があるとのことです。

で、最後は源氏に捕えられて日向(宮崎県)に流され僧侶になり、源氏の栄華を見るのが堪らなくストレスで、己の両目を・・・自粛・・・そして『 日向の生目様 』と生目 ( こちらは “ いきめ ” ) 神社に祀られてってアレ?
そんな話?

・・・・・・

ありゃ!
景清は景清でも、景清違いよアンタ!大庭景清でしょ?父の名前も大庭景宗だし!


イテテ


( でも案内板には『平景清』とありますがリーフレットには『 大庭景清 』・・・どちらでも良い?両方を掛けたんですかね )


壇ノ浦の戦いから逃れて美東町あたりに逃げてきた平家の落人らは『 洞 』に隠れ住んでいました。
建久9 ( 1197 ) 年に頼朝が平家追討の兵を出し、まさに美祢市のあたりに迫っていた頃、景宗らは仲秋の名月の宴に招かれ ( 有力者に?) 、留守にしていたところをちょうど見つかり、ヤバかったのですが、逆に迎え討ったそうです。
まだ若かった ( 子どもだったとも?) 景清らは、日頃から武道に励んでいたので、かなりの剣の腕前だったらしいです。
ちょうどその日に追討兵が・・・っていうのがアレですが、わざわざ『 景清洞 』と名付けてるあたり、村人は彼らを売るようなことをしていないはず。
その後 景清らは別の追討兵に捕まって・・・などの話は伝わっていないので、景清らによって返り討ちにされたという話は頼朝の耳には入らなかった?ということは追討兵らは皆殺しにされたかもしれませんね。
いや、本当のことは分かりませんが汗
いつも適当ですみません。

ともあれ両方の伝説では、洞内の天井から落ちる清水で目を ( 何日も? ) 洗ったら、戦さで負傷した目が治ったということです。


ああ!あの清水!
右手で受けた清水で、両目を洗えば良かった・・・
視力、1.5くらいにならないかな?

・・・眼病に御利益があるそうです。


イテテ


昔は眼病を患っても、良い薬があるわけでもなかったので、清水で洗うくらいしか術は無かったのですかね。
しかし当時は土砂が堆積しているばかりではなく、松明の炎の灯りくらいしか無かったというのに、よく入ったものです。
眼病の度合いでは、よく見えていない状態の患者さんもいたんでしょうね。

探検コースから一般コースのライトが見えた時は、ホッとしました。

     ※かなり遠くから撮影しました

目が見えなくなるって恐ろしいことです。
再び光り輝く景色が見れるなら、どんな場所へでも、どんなことでもするかもしれません。

( 1821 ) 年に、眼を患っていた周防国熊毛郡平生村の栄三郎という者が洞内にこもり、見事に眼病を完治したそうです。
そこで『 八大竜王生目大権現 』を祀り、現在は毎年7月15日に美東町郷佐山の住民が郷祭礼を行っているのだとか。

ん?


『 生目の滝 』という岩もあるんてすね。
苔が・・・柔らかい光が当たるんですね。
以前、鳥居は真っだったらしいですが、その柔らかい光のせいで色褪せていました。
近いうちに塗り直されるんですかね?

『 生目 』に関する場所が全国各地にあるようなので、いつか巡ってみたいです。
ちなみに山口県では周南市の川崎観音の目洗いの井戸が・・・あれ?訪ねたことがありますね!
内容的に悪七兵衛さんの方の景清さんが立ち寄ったんですよね。
ということは壇ノ浦に行く前から眼病を患っていたのでしょうか?
船を利用して壇ノ浦まで行ったので、船を下りてわざわざ美祢市のあたりに足を延ばすのは不自然?
壇ノ浦の合戦の後?
うーん、やっぱり大庭景清さんの説に傾くな〜。
もうひとつ興味があるのは、山口市の生目八幡宮で、生目八幡宮古墳 ( 宮崎県にも大規模な生目古墳があります ) があるんですよ。
しかも妻町という場所に!
うわっ!
またしても

って、この記事を書いてる時に来てたTシャツが


カープ・・・広島・・・安芸の宮島・・・平清盛。
そういうことですか!

いや、カープ・・・鯉、の色でしょう?

いやいや、昭和50 ( 1975 ) 年にチーム再建を託されたジョー・ルーツ監督が、古巣インディアンズのチームカラーだった色を帽子とヘルメットに採用したことが始まりだそうです。
『 野球に対する情熱を前面に出そう 』というスローガンを提案するも、既にシーズン用のユニフォームは出来ていて、昭和52 ( 1977 ) 年からやっと胸文字、胸番号、背番号、アンダーシャツ、ストッキングがになったのだとか。

ん?カープのTシャツを着てるってことは、カープファン?

広島菓子博2013で、私の母がうちの娘たちに買ってくれて・・・娘たち、今はもう着てないんですよね。( だから別バージョンがもう一枚あります )
しっかりした作りだし、もったいないから私が着てるってワケです!


アイタタタ


( ついでに書くと、東広島市安芸津には景清埋蔵金伝説があります・・・目印は白い椿☆←じゃないんだ汗  )