広島県に行く機会があったら、安佐南区毘沙門台の小高い丘に建ってる『 赤い屋根 』さんを訪ねてみたかったRieruです★
なんか旗が掲げられてる!
開いている時だけ掲げられているとか?
気にはなったのですが、店長さん♀に尋ねるの、忘れた
イテテ
( 麓からでも営業中というのが分かるように掲げられているそうです←検索しました )
駐車場はあるような、無いような?
路駐しました。
お店は2階にあるので階段を上がるのですが、鮮やかなブルーの紫陽花が階段口で迎えてくれて、一気に爽やかな気持ちになります。
紫陽花っていろんな色がありますが、“ 紫陽花 ” って聞くと、青色が一番に浮かびます。
店内に入っても、紫陽花が
季節ごとに花鉢は変えられるようです。
大きな窓の外に並ぶ紫陽花は見応えがあります。
その紫陽花の向こう側の緑の、更に奥には街並みが見え、夜景も美しいそうです。
カウンター横に夜景の写真があったので、ついチェックしてしまいました。
窓が開いていて、涼しい風が入ります。
Tもっちゃん、( 帰り際に ) 蚊に刺されたみたいですが・・・
イテテ
( ご愁傷さまです )
で、どうして私が訪ねたかったのか?
『初恋』の歌で有名な、村下孝蔵サンが通われたお店だと知ったもので
平成11 ( 1999 ) 年6月24日に46歳の若さで亡くなられています。
亡くなられた事実をニュースで知った時は、本当にショックでした・・・当時私が孝蔵サンのファンというのは2人の友人くらいしか知らないことだったのですが、そのうちのひとりの友人♀が広島市某寺で『ラストメッセージ同窓会 ( 追悼式 )』があるらしいから、一緒に行こう!と誘ってくれ、用意された献花台に ( 多分配られた ) 花を1輪供えることが出来、更に『初恋』を参列者で合唱したことにより、私の孝蔵サンの死に対する悲しみの行き場が落ち着きました。
始めて孝蔵サンの曲を耳にしたのは、母が運転する車のラジオから。
『初恋』を聴いた時に、きっと素敵な男性ね☆と中学2年生だった私は、すっかり魅了されてしまいました。
後日ビジュアルを確認すると・・・
男は中身で勝負よ!
イテテ
周りの同級生は『 光GENJI 』や『 少年隊 』にハマる中、孝蔵サンやチャゲ&飛鳥 ( まだSAY YESの前 ) が好きな女子中学生でしたので、あまりそっちのジャンルは語れず・・・
高校生になってから孝蔵サンのカセット→CDを購入し、本格的にハマるハマる!
毎年年末頃に、広島でコンサート ( 厚生年金会館だった?) をしてるというのをCMで知ってから、いつか行ってみたい♪と思いつつ結局24歳になっても行けず・・・そんな矢先の訃報・・・その夢は永遠に断たれてしまいました。
が!孝蔵サンが『 赤い屋根 』に通っていらしたなんてー。
この古い時計も見られていたんですかね?
当時孝蔵さんは奥様 ( 裕子さん ) と娘さんとで、上安、八木、梅林小学校そばにお住いだったとか。
『初恋』の歌詞の “ 校庭 ” は、この小学校のことだったのだとか。
『 初恋 』
五月雨は緑色
悲しくさせたよ 一人の午後は
恋をして 淋しくて
届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
放課後の校庭を 走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから 胸をはなれない
夕映えはあんず色
帰り道一人 口笛吹いて
名前さえ呼べなくて
とらわれた心 見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字書いてみては
ふるえてたあの頃
浅い夢だから 胸をはなれない
放課後の校庭を 走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから 胸をはなれない
胸をはなれない 胸をはなれない
今もはなれない 今もはなれない
冒頭の歌詞の五月雨を取って、命日を『 五月雨忌 』と呼ばれているそうです。
名曲『 ゆうこ 』は安佐南区に住んでいた頃の奥様のお名前。
ゆうこさんは呉市出身の方で、アコーディオン奏者なので、ピアノはもちろんお上手です。
『 ゆうこ 』
記憶の陰にぽつりと座り 淋しげに
白い指先 ピアノを弾く女 ( ひと )
「 ショパンが好きよ
悲しい調べ奏でれば
恋のできない私に似合い 」
と 言った女 ( ひと )
どんな過去が君を変えてしまったの
瞳の翳 ( かげ ) りが せつなすぎるよ
言い出せない愛は 海鳴りに似ている
遠くから絶え間なく寄せ
胸を強く揺さぶる
ピアノの音はどこか冷たく
あの女 ( ひと ) は
壁に掛かったモナリザのように
子供のような 僕のことなど
見もせずに
真珠のように かたく心を閉ざしてる
かけがえのないもの
失くしたあとは
どんなに似たものも かわれはしない
窓越しに見ていた 黒髪にまかれて
目覚める夢を見たよ 君に届けこの歌
言い出せない愛は 海鳴りに似ている
遠くから絶え間なく寄せ
胸を強く揺さぶる
・・・ゆうこさん、私に似ています。
いや、アナタ!
そもそもピアノは、『 ねこふんじゃった 』くらいしか弾けないでしょ!
全然似てないわい!
イテテ
( すみません、ゆうこさん・・・)
そんな素敵な雰囲気のゆうこさんとは、昭和54 ( 1979 ) 年にご結婚されたそうで、赤い屋根さんのオープン年と偶然重なるようです。
昭和60 ( 1985 ) 年には離婚されて孝蔵さんはまた『 裕子 』さんという方 ( 他界されています ) と再婚されてるらしいです・・・これまた偶然とはいえ、なんだか不思議ですね。
名曲『 夢のつづき』は、ゆうこさんと離婚される前年に発売されたのですが、その数年後?よくRCCラジオでサビの部分が流れていました。
歌詞には書かれていませんが、ノリノリで『 ウォウ、ウォウ・・・ 』のトコを真似したりして☆
『 夢のつづき 』
あなたの夢を聞かせて そうしていると
幸せな気分になると 君は笑った
ワイングラスをあふれた 僕達の時間
こぼれてしまった後で ふと気づく
雪の中をかける 子犬のように
帰り道たしかめながら 遠くへ
ひとつ上の愛を 求めたわけじゃない
ひとつ上の恋を 探したわけじゃない
貯金箱につめこんだ 小さな硬貨
取り出そうとこわしたよ まるで子供さ
ほしいもの手に入れても 満たされぬ心
たった一人の自分を かばってる
僕にもたれかかり 海を見ていた
牡丹色の夏の日が暮れてく
ふたり夢のつづき 歩いていたかった
ふたりこれから先 このまままと信じてた
雪の中をかける子犬のように
帰り道たしかめながら遠くへ
ひとつ上の愛を求めたわけじゃない
ひとつ上の恋を探したわけじゃない
ふたり夢のつづき 歩いていたかった
ふたりこれから先 このままと信じてた
『 ふたりこれから先 このままと信じてた 』・・・か。
うーん・・・なんだか切なくなってきました。
てか、『ねがい』という歌じゃなかった?
イテテ
(そうだった!)
孝蔵サンのコンサートには行けなくなりましたが、このお店に来ると、そんな『 夢のつづき 』が見られそうな気がします。
孝蔵サンは作詞もこちらでされていたというので、このカウンター席に座られていたのでしょうか?
それとも、今私が座っている・・・
今まで多くのファンに尋ねられまくっているであろう店長さんに、ウザがられても申し訳ないので、一切孝蔵サンの質問はしませんでした。
岩に砕ける波・・・三陸海岸の辺り?
木枠も、イイ味出してます。
とりあえず撮影しただけなのですが、後日絵を拡大してみてビックリ!
もしや『 KOZO 』というサインでは?
いてもたってもいられなくなり、お電話しました。
・・・・・・
孝蔵サンとは違う方が、しかも日本海を描かれたようです
お名前は、『 こうとう 』さん?だったかな。
・・・あれ?
ウザがられると申し訳ないからって、質問しないんじゃなかったんでしたっけ?
アイタタタ
( どうしても作者が知りたくて )