教育参考館で。 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




頭領の実家に帰省して、たくさんの親戚さんたちと話すのは苦ではないけど、自宅に帰ると一気に10歳くらい老けた気がするのはダメ人間だから?と感じるRieruです ★


そんなダメ人間・・・本格的に “ 老い ” てからも何度でも訪ねたい場所があります。

広島県江田島市にある第1術科学校の敷地にある『 教育参考館 』と呼ばれているパッと見、ギリシャ神殿みたいなところです。



昭和11 ( 1936 ) 年に海軍の歴史と伝統保存、自己修養と学術研鑽の資とすることを目的として、海軍関係者や財界などの寄付金によって建てられました。

昭和20 ( 1945 ) 年の終戦により、海軍は解体され閉館・・・この時あった約4万点の歴史的資料は厳島神社や大山祇神社 ( おおやまづみじんじゃ・・・愛媛県今治市 ) などに奉納されました。
が!
他のものは相当数、焼却してしまったとか。
進駐軍に持っていかれるくらいなら!って感じだったんでしょうか?
灰になったのは、本当に惜しいことです。


昭和31 ( 1956 ) 年1月に連合軍から日本へ返還されたことにより、海上自衛隊の施設に!
返却された資料など1万6千点が保管されており、そのうちの貴重な1,000点を現在展示しています。

幕末から終戦まで海軍の変遷がわかりやすく展示されていて、吉田松陰先生の・・・と、ひとつひとつ説明していくとキリが無いのでやめときます。




入らせていただく前に教育参考館横にあった気になるものが・・・
し、白い弾?



『 三景艦 主砲之弾 』と刻まれています。

さ、三景艦?・・・なんて艦があったっけ?

明治21 ( 1888 ) 年 起工・明治23 ( 1890 ) 年進水・明治25 ( 1892 ) 年 竣工の『 松島 』『 厳島 』『 橋立 』という防護巡洋艦のことらしいです。
( それで三景ね!)
日清戦争時、清国の『 鎮遠 ( ちんえん ) 』『 定遠 ( ていえん ) 』に対抗して、フランス地中海鉄工造船所及び横須賀海軍工廠で建造され、32cm砲を1門だけ備えたら・・・小型の船体に巨砲という、アッチャ〜な仕上がりに。
ほとんど役に立たなかった巨砲・・・の代わりに副砲の速射砲と機動性を活かして活躍したそうです。
そんな明治時代の弾が・・・



その右側にはさらに大きくなり、トガりまくった弾が!



『 軍艦大和 主砲之弾 』・・・なるほど。
三景艦の主砲32cmから、大きさは46cmになっています。
当時は世界最大で、戦後に詳しい口径が公開されるまでは、せいぜい40cm砲と思われていたそうです。
三景艦起工から約50年経ってこれだけ発展したのですね。

・・・本音はやっぱり恐ろしいです。




この大和の弾の右後ろに写っているのは特殊潜航艇で、レプリカではなく、昭和16 ( 1941 ) 年の真珠湾攻撃に参加した5隻のうちの1隻なんだそうです。



昭和36 ( 1961 ) 年にアメリカに引き揚げられ ( 解体し、研究され、再び組立られた後 )翌年に日本に返還された貴重なもの。

レプリカじゃない回天は靖国神社にあるらしいのですが、訪ねたことがないのでこのような野ざらしなのかな?と想像していました。
調べてみたら、境内の『 遊就館 』という博物館の中に展示されているようです。
・・・こちらもいつか訪ねてみたいです。





ではいざ、教育参考館へ!

ってか、こちらは第2第4火曜日は見学できませんので、お気をつけください。
( 逆に第2第4火曜日は、表桟橋にある引き揚げられた陸奥の主砲が間近に見学できるそうです )

こちらは単なる博物館などではなく、海軍関係者の遺品や遺書なども保管展示されています。
特に遺族の方にとっては特別な場所なので、当然のごとく撮影禁止です。
でもちょっとくらい・・・

ガイドさんが ( エレベーターで ) 先回りして、多分監視カメラで見てる!


イテテ


いえいえ、監視されていなくても己の眼 ( まなこ ) に焼き付けましょう!

( ガイドさんに促されたのですが ) まず一礼をし、階段を上がります。
2階に上がってすぐ東郷平八郎元帥、山本五十六元帥、英国のネルソン提督の御遺髪がご安置されていました。

ちょっと疑問〜。
英国のネルソン提督?

簡単に書くとイギリスの海軍軍人 ( 1758-1805 )で、トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破った方です。
連合艦隊の死者はイギリス軍の10倍・・・海軍まれにみる大勝利だったそうです。
国を超えて模範になる方のようですね。

教育参考館は慰霊の場でもあるので、過度に肌を露出している格好はタブーです。
サンダルや下駄も残念!
お子さんの短パンはOKですが、大人はアウトです。
忘れた方は私のアームカバーを履きますか?


イテテ


( こういう人は2度と術科学校へは足を踏み入れることは許されませんので、服装には充分ご注意ください・・・ついでに書くと長髪の方は結われることをオススメします )



ナユミマさんとはここでも別行動です。
数人と被って見学するのは苦手なので、先に ( フロアの ) 終わりの方からまわります。
スタートのあたりが空いてきたらシレ〜っと戻ります。

先に書いたようにこちらは撮影禁止なので、館内の画像はありません。
しかし、1枚画像をHPからお借りしました。
海軍大将 山本権兵衛が実際に使った裁縫道具です。



最近 裁縫にハマっているので、食い入るように隅々まで見ました。
展示されている時は、箱に入った暖色の靴下は右側にあったかな。
本当に細かく縫われているんですよ。

「 自分のものくらいは自分で繕わなければ!←記憶が曖昧かも?」

ものを最後まで大切にされる精神には、頭が下がります。
私もこのぐらい縫いまくって何年も履き続け・・・ちょっと難しいか。


イテテ


( 精進してください )



じっくり見すぎて人が少なくなってきた時、ガイドさんに
「 まだまだありますよ。」
と言われ、急ぎ足に。


・・・この部屋で終わりですか?

「 まだまだありますよ。」



・・・・・・・・・



・・・ここで終わりですか?

「 まだまだ先は長いですよ。」



・・・・・・・・・



・・・さすがにもう終わり?

「 まだありますが・・・あと5分しかないですよ。」


マジすか!
・・・後半はじっくり見学できませんでした。


イテテ


顔を上げたらガイドさん。

横を見たら再びガイドさん。

なんか最後はぶっちゃけ、ガイドさんしか印象に無い・・・
あと教育参考館の鍵を施錠する管理人さん。


アイタタタ


( 本当にすみません!
しかし特攻隊員の方の遺品や遺書はじっくり拝見致しました。
今回、他は時間が足りなかったのでいつかまた訪ねたいです m(_ _)m 汗 )