優沁 ④ ギリギリビーチコーミング | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

 


 刎島から見える風景に癒されつつ、息を整え、先を急いだ。
 しばらく行くと島と島を繋ぐ砂浜が見えたので時間と気持ちに余裕が出来た。
 そうなると、周りに落ちている漂流物が目に付くようになる。
 まだまだ島は離れそうにない。
 よし。
 刎島側で、ビーチコーミングする時間が少しあるじゃないか。
 ビーチコーミングとは海岸を『 Beach 』、櫛で梳くように『 combing 』と、漂流物を探し拾うことだ。
 私はそれを昨年から好んで行っている。
 もしかして刎島の浜にしか落ちていない、珍しい貝殻などがあるかもしれない。
 ワクワクする。
 浮かれて俯きながら歩いた。
 他の海岸でも見られる種類の、綺麗な色や形の貝殻が少しだけだが落ちていた。
 貝殻の中で見つけて嬉しいのは、タカラガイだ。
 5つ拾ったが5つとも艶がなく、表面が削られて白っぽくなっていた。
 あの艶が魅力的なのに。
 それでも左手に集めた収集物たちに加える。
 シーグラスも少し落ちていた。
 シーグラスとは、割れたガラスなどが砂浜で研磨され角が丸くなり、表面が磨りガラスのようになったものをいう。
 ビーチグラスとも呼ばれる。
 まれにビー玉のシーグラスが落ちていることがあり、私を喜ばせてくれる。
 まぁゴミといえばゴミなのだが、価値あるものと思って拾えば宝石に見えてくるから不思議だ。
 これも丸っぽい形で表面が磨りガラスになっているものを選び、左手に収めた。
 夢中になって拾い集めたあとは、思い思いに並べたり重ねたりして遊ぶ。
 小さいサイズの流木や白く干からびたヒトデ、海鳥の美しい羽根なども組み合わせてみる。
  偶然拾った漂流物たちが、私の手によってもたされるこの出会いの瞬間が面白い。
 人に見せたら笑うだろうが、まるで一つの芸術作品を作っているようで、自己満足が出来る。
 その辺に落ちているもので自己満足が出来るなんて、物凄く得した気分だ。
 制作している時は、何かの儀式にも思えてくる。
 一通り楽しんだ後、島と島を繋ぐ砂浜に目をやると、左側から真横に一筋の川が出来ていた。
 やばい。
 島と島が区切られてきた。
 急げ!
 綺麗な貝殻とシーグラスを、背負っていたリュックサックの左側の簡易ポケット入れた。
 慌てて川に走り近づくと、海水の川幅はまだ30cmほどだった。
 右端は砂浜が盛り上がっているので、まだ2~3mは砂地だ。
 貴重な砂地。
 完全に離れる前に馬島に戻ろう。
 柔らかい砂地を歩く。
 振り返るとそこはもう過去の島だった。
 川幅が徐々に広がり、ついには島と島を分断させた。
 その様を初めて間近に見たのだが、予想以上に感動した。
 瀬戸内海はこの干満の差で海岸線の表情が変わるので、面白いが怖い。
 2つの島がどんどん離れていく。
 ちょっと淋しい気持ちになったが、刎島を後にして海水浴場に続く道を歩いた。
 思いの外、風が強くて帽子を深く被り直す。

 リーフレットを開き、次の目的地を確認してみると、そこは海のヘリだった。
『 ハッピーベル 』・・・  
 鳴らせば幸せになれそうな名前。
 いや、幸せな人が鳴らす鐘なのか。
 とにかく、どんなものなのかこの目で直に見てみたい。
 地図のイラストでは、可愛いハート型のデザインになっている。



 以前 下松市の笠戸島を訪ねた時、家族旅行村という場所へ行った。
 真新しい足湯を目当てに行ってみたが、山の上にある『 幸福の鐘 』を見つけて鳴らしてみた。
 1人だったので初めは躊躇したが、吹っ切れてロープを勢いよく左右に振ると、耳を劈く鐘の音が笠戸湾に鳴り響いた。
 かなりの音量だったので恥ずかしく、周りをキョロキョロ見てしまったが、高揚感で満たされた。
 今も1人なので、あの時とカブる。
 ああ、緊張してきた。
 地図をまた確認すると『 のんびらんど うましま 』の辺りにあるのがわかる。
 ‘’ のんびり ‘’ と ‘’ らんど ‘’ で、のんびらんど・・・
 
 海水浴場がある海岸を左手に歩き進んで行くと、沢山のコテージが点在する場所に出た。
 のんびらんどの入口ではなく、別の場所から侵入してしまったようだ。
 コテージ群を抜けると、木々が立ち並ぶ広場に出た。
 遠くから男性の楽しそうな声が聞こえる。
 ジャージ姿の男性ばかり数人が、ディスクゴルフをしていた。
 会社の親睦会だろうか。
 よく見ると、年配の方や若い人もいる。
 邪魔にならないよう遠目で見ただけだったが、じつに楽しそうだ。
 ここで鐘を鳴らしたら、私注目されるんじゃない?なんて変に緊張が増してしまったが、その緊張は無駄なものとなる。

 カン、カン、カン・・・カ、ン・・・

 広場の海側に見つけたハッピーベルはロープなどは付いてなく、潮風で自然に鳴る仕組みの鐘だった。
 鐘の部分もよく知っている鐘の形ではなく、ちりとりの口をシュッと下にさせたようなものだった。
 中に金属のものが付いている。
 風に金属のものが揺れてちりとりに当たり、音が鳴っていた。    
 そのちりとりをハートの枠が囲む。
 ・・・ハートは可愛い。
 鐘の音も、あまり遠くまで鳴り響くようなタイプではないようだ。
 風の力で鳴るのだから、風の強い日は1日中鳴り響くこともあるだろう。
 人によっては心地良い鐘の音だが、四六時中聞こえては困る!という馬島の住人だっているはずだ。
 このハッピーベルは、狭い範囲で聴くのが良い。
 いつまでも鳴り止まない鐘を後にして、のんびらんどの出入口から港方面に歩く。
 道中 可愛いらしい方に挨拶をされたので、すれ違いざま私も返した。
 可愛いらしい方・・・高齢の女性で、背と腰は曲がり、小股で歩かれていた。
 しばらく歩いて声がしたので振り返ってみると、もう1人別の可愛いらしい方と談笑されていた。
 近所の友人だろうか。
 その様子が微笑ましくて、ついニヤニヤしてしまった。
 不審者と間違われないように慌てて前を向く。
 私も先ほどの方たちのように、いつか可愛いらしくなれるだろうか。
 自慢するが、私の祖母も相当可愛い。
 母方の遺伝が強ければ、私も可愛いくなるはずだ。
 ちょっと将来に希望が見えたような気がした。
 しかし遺伝だけではない、生き方がそのものが現在の祖母の可愛いさを作り上げているのだ。
 私の今の行き方のままでは、可愛いくなれる要素が全く無いような気がしてきた。
 それ以前に、自分は還暦まで生きていられないような気がする。
 いつの頃からか、漠然とそう考えていた。
 あと5年、長くて10年生きれれば良いか。

 しかし、両親や旦那よりは先に逝けない。
 子ども達が独り立ちするまでは、絶対に逝けない。
 結局、5年や10年では足りなさそうだ。

 ・・・気張って長生きしよう。