周南市をサイクリング中、偶然『 大成寺(だいじょうじ) 』という徳山 毛利家の菩提寺を見つけたRieruです★
ってか見つけた時、どんなお寺かわからなかったので案内板を探しました。
外へ出て、キョロキョロ。
徳山 毛利家の墓所があるんですか!
…参りたい。
シマッタ!
お供え用のお花が無いよ!
イテテ
( 気持ちが大事!)
お寺の裏の小山、東側丘陵に位置し、歴代藩主やその妻のお墓96基が祀られています。
キケン…KEEP OUT…
ヤバイ感じです。
何かケガしてしまった時は『 自己責任 』ということで覚悟を決めて参ることにしました。
…このあと、恐ろしい目に遭うとも知らずに。( ←もったいぶるなよー!)
墓所に着くと想像以上に大きなお墓が並んでいて圧倒されました。
画像は階段を上がって右側の墓所です。
墓石が若干傾いている?よね。
各部別石からなり、立派な構造で、近世における大名墓石の典型のようです。
正面に戒名、両側面には紀年が刻まれていました。墓所の入口にあった案内図を見てみましょう。
数字は何代目かを表しています。
③ 元次 (もとつぐ) ④ 元堯 (もとたか) ⑤ 広豊 (ひろとよ) ⑥ 広寛(ひろのり)
そういえば5代目の広豊さんは23男、23女の超ビックダディだったんだんですよね。
なんて考えていたらバチが当たったのか何の前触れも無く、…もしかして、あなたたちもお墓参り?
イテテ
その数、3匹!ベージュ・茶・黒で、意外と大きい!
もし襲われたら…いや、正当防衛とはいえ
動物虐待は絶対にいけないよ。ましてや、ここは墓所。
いや、結構石がズレていて危ない!
しかも入口にあった案内板に器物損壊等を行ったら
3年以下の懲役又は30万円以下の罰金、若しくは科料に処されるって!
新聞には
『 中年女性、 徳山毛利家の墓所で野犬に襲われ逃げようとして石墓を壊す!』
…なんて見出しが踊るかも。
シャレにもなりません。
幸い、彼等は私を避けるように墓の裏を通り抜け
① の徳山初代藩主 毛利 就隆さんのお墓を通りすぎ、9代目方面に逃げて行きました。
ってか、これから参ろうと思っていた場所に行ってくれたので…出直そうかな。
帰…
うーん。あの屋根の下に就隆さんのお墓が。
キケンを覚悟で行こう。女は度胸だ!(←意味を履き違えています)
ありました。
『 徳山藩士祖 毛利 就隆の墓 』
毛利 元就の孫
↓
{ 慶長7 ( 1602 ) 年 毛利 輝元の次男として
生まれました。
就隆、元服の年
↓
元和3(1617) 年 都濃・熊毛郡内の三万石余りを分知されました。
初め下松に居を構えましたが、
慶安3 ( 1650 ) 年48歳で野上 ( 現・周南市 )に移り、徳山と改称されました。
奥方は側室で、3代目藩主 元次の生母になります。
延宝7 ( 1679 ) 年 逝去。}
おおっ。
お墓を守るような造りになっていました。
心静かに手を合わせましょ。
偶然か必然か参らせていただいた徳山毛利家の墓所。ノラ犬さんたちが逃げて行ったあたり…
② 元賢 (もとたか) ⑦ 就馴(なりよし) ⑧ 広鎮 (ひろしげ) ⑨ 元蕃(もとみつ)
そして奥の場所の現 毛利家さんのお墓参りもさせていただきました。
ノラ犬さんたちは別の場所に移動されたようでした。
例のポップコーンを食べた後だったので、私の両手からは魅力的な香りを発していたと思います。
やっだ 、お墓参りの時は手をしっかり洗いましょ。
…ってか『 キケン 』と書いてある場所に立ち入らないことです。もしかしたらノラ犬さんたちに囲まれて噛まれたり、大きな墓石が頭に落ちて意識不明の重体に…
アイタタタ
※ 墓所は先祖が安らかに眠る場所です。墓所内の平穏を乱したり景観を損なう行為など、敬意に欠けた行動はとるべきではありません。節度ある参詣をお願いします。
と、案内板に書かれていました m(__)m
( 一言も発してないし、どこにも触れませんでしたし撮影は必要最低限にしました←本当はカメラを向けること自体、失礼かもしれませんけど!)