めちゃくちゃ
前髪を切ったらわやになり、
美容院で短い髪に整えてもらったら
『おかずクラブ』のオカリナちゃんっぽく
なってしまったRieruです ★
そんな山口のオカリナちゃんが
周南市をサイクリングしました。
昨年、周南市文化会館にある
徳川幕府から命を受け
大阪城に使われた残石を
記事にさせてもらいました。
※ 『 以前は野上って知っちょった~?』
…貼り方、わからんの?
イテテ
そもそも周南市文化会館は
徳山藩の徳山城がありました。
城と言っても実際は
『 陣屋 』の造りだったそうです。
そんな跡地には
大津島から切り出された巨石があります。
大津島から大阪まで船で…
“ 残石 ”と呼ばれていますが、
実際この石は『 わざわざここに運んで 』
置かれています。
{ 大阪夏の陣で大阪城が落城した後、
江戸幕府は元和6(1620)年に西日本の諸大名に大阪城の再建を命じました。
天守台の工事は寛永元(1624)年から始まり、石垣工事から着手しました。
この工事は150トンを越える巨石を含め、約50万個の石と膨大な労力と財力が動員されました。
当時の萩藩主 毛利 秀就は二の丸東側を担当し、大津島から98個の巨石を運びました。
石の大きさは およそ縦3.2m、横と高さが1.2mで、その費用は今の約三千万円は要しただろうと推定されます。}
毛利家の家紋は一文字に丸3つ。
こちらのは一文字に丸一つ。
毛利家の舟印
今回またここを訪れた理由は
これを確認したかったからなんです!
1年前より進歩しました (^o^ゞ
イテテ
( 昨年よりうんちく、少ないけど )
近くには
『 杉家屋敷跡 』があり、
少し徳山駅方面に下っていけば
『 毛利町 』という萌える町名が。
またその近くにある『 児玉町 』に
児玉源太郎さんのファン必見の
『 児玉家屋敷跡 』があります。
キレイに生まれ変わった公園に
やっと行けて嬉しいです (*´艸`*)
舗装された道は表面がピカピカツヤツヤ
ポン菓子の表面を飴で覆ったお菓子を
思い出しました ★
イテテ
( お腹が空いた~!)
公園の入口にも案内板がありますが、
奥にもこんな立派なのが。
児玉源太郎さんについての案内板 ☆
わかりやすく、
児玉さんについて書かれています。
しかも、周辺の地図付き!
やっと!
近くで見れた~♪
綺麗にされ過ぎて
当時の面影は見る影もありませんが、
児玉さんの産湯の井戸!
画像は貼りませんでしたが、
すぐ右には児玉さんの義理の兄、
次郎彦さんが斬られた碑が…
イテテ
やっと!
これも近くで見れた~!
立派な松の木…
今は
切り株が残っています★
位置的にもこれだと思うのですが、
間違っていたら ごめんなさい m(__)m
切って何十年!って感じではないです。
まだ堂々と立っているところを
見たかったなぁ~★
…………
小腹が空いたので、何か買おう。
どっかで買って
また公園に戻って食べよう。
!
公園のすぐ近くの不動産屋さんの名前が
『 五郎丸 』さんΣ(O_O;)
山口のオカリナちゃんが
この看板を見てニヤニヤ…
アイタタタ
( 幸い、
人通りが少ない場所で良かったです☆ )