どうやら私は、常に誰かしらを見下したいらしい。

 

 

最近忘れっぽい祖母。

 

病気の元カレ。

 

グレーゾーンの友達。

 

自分より劣っている、弱いと感じた人間を標的に、良い人を装って高圧的な態度を取っている自覚がある。

 

あからさまでないにせよ、言葉や態度のどこかにトゲが含まれる。

相手もなんとなくそれを感じ取っている。

 

何を言っても許されると思っている。舐め切っている。「いいよ」と許して欲しいのかもしれない。

 

それは”甘え”であり、”八つ当たり”だ。

 

きっと、いつか、どこかで、誰かに、何かに、感じたストレスをぶつけているのだと思う。

 

いや、そうしないと、自分を保てないのかもしれない。

 

完璧じゃない自分を許せないから。

 

「私ってすごいでしょ?」って心のどこかで思っていないと、立っていられないのかもしれない。

 

そんな自分が怖くて、おぞましい。

 

きっと自分は”良い人”なのだと思いたいんだと思う。

 

優しくて親切で誠実なのが”当たり前”だと、子どもの頃から教わってきた。

 

”良い人”か”悪い人”か、ツートーンカラーの世界。

 

あぁ、そうか。

 

良いんだ、人を見下しても。そんな自分がいても良いんだね。

 

まずは一旦受け入れよう。

 

許してあげよう。

 

それが”良くないことか”は、人間が勝手に決めてること。

 

問題は”自分に取って良くないことか”だ。

 

段階を踏んでいこう。

 

まずはどんな自分も受け入れてあげよう。

私は昔から正義感が強く、「私がなんとかしてあげなきゃ」というお節介気質で、加減が下手くそである。

 

つい感情移入し過ぎてしまい、しまいには「何で私の考えを理解してくれないんだろう」と、コントロールしたくなる。

(だから教師になったのか、教師だったからなのか・・・)

 

それに気がついてからは、

 

基本、「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」という考えを意識するようにしている。

 

 

でも家族だと、「課題の分離」がなかなか出来ずに、心配してアレコレ口出ししたくなる。

 

それでよくギスギスしてしまうのだが、

 

「もっと健康に気をつけて〇〇した方がいいよ」と説教するより

 

「私は健康のために、これを大切にしていて、こう思うんだ」と考え方を提示した方が、

 

相手もすんなり受けれてくれたり、興味を持ってくれたりすると実感した。

 

 

昨日、父と人生で初めて、クリスマスパーティーをした。(と言っても、サンタ帽被ってチキン食べただけ笑)

 

その時、実は父はクリスマスが苦手なのだと打ち明けてくれた。(独り身の父は、所謂リア充爆発しろと思ってるらしい)

 

最初は、「クリスマスはビジネス的な要素も多いし、本場では家族と過ごすらしいよ!」と、謎にフォローしたり、

そもそも普段「彼女欲しい」と言いながら何も動かないことにイラッとしてしまったが、

 

それよりも、「私はイベント事ってやっぱり何かしたくなっちゃうし、そういう時は雰囲気に飲まれて楽しもうと思ってるんだよね!」と伝えると、

「そうだね、何でも楽しんだ方がいいよね!今日は特別だから別に良いんだよ!」と、その後もホントは嫌なはずのサンタ帽をつけて、楽しんでくれた。

 

そういえば、私が突然、夢にガンガン挑戦するようになってからは、父もいろんな趣味を持って楽しむようになった。

 

 

結局、こうしろああしろと説教をするより、

自分の生き様や考え方を見せた方が、お互いラクだし、上手く事が運ぶんだなぁと再確認した、昨日でした^^

引きこもりになってから、オンラインコミックにハマっておりますが、

 

やーーーたら流行ってません?不倫マンガ。笑

 

オススメに出てきてるだけなのかな???

 

 

でもそのおかげで最近は、「どの考え方や生き方もアリで、素敵で、面白い」と思えるようになって来た。

 

 

どんな生き方をしてても、その人にとっては正解だし

 

そうすると、自分の幸せにも気がつく

 

着眼点が変わる

 

自分では今の状況辛いなあと思ってるけど、たぶん他人から見たら羨ましいんだろうなあ、とか。。。

 

 

人にはいろんな事情があり、その行動にも理由がある。

 

人は弱くて、可愛くて、不器用で、それは感情があるから。

 

 

だから、どんなに上手く行かなくても、自分を愛してあげること。

どんな状況でも、幸せだと思えるポイントを見つけること。

 

これが大切なんじゃないかなと、最近思います。

 

 

ちなみに私がハマってるマンガは『金魚妻』です^ ^