いつだったかな...
自転車操業の始まりは...

両親に恵まれ何不自由無く育てられ、
やりたいことはやらせてもらい
お金に困ることもなく大きくなった私。

父親はそこそこ大きい企業の役員だったこともあり、どちらかと言えば家はお金があったのかもしれない。

それでも特別贅沢をさせられてきた訳でもなく、至って平凡に、普通に育てられた私。

父の凄さを知ったのは大学に入ってから。
周りが就職について考え始めると同時に互いの親の話をすることが増え、父の会社の名前を出すと「凄い!コネで入れて欲しいくらい!笑」と友達が口を揃えて話していた。

それを聞いて私は「あっ、私のお父さんって凄いんだ。本当はかなり稼いでたんだ!」と知り、そこから徐々に見栄を張ることを覚えたのかもしれない。

大学生活は友達にも先輩にも後輩にも恵まれて毎日が楽しかった。

可愛い後輩がご飯に誘ってくれれば奢るのはもちろん、仲の良い友達の誕生日祝いとなれば今流行りのお洒落な店のディナーを予約して、プレゼントに友達の好きそうなデパコスやスイーツ、花束なんかも買ってプレゼント。
お酒が大好きだった私は周りの友達ももちろんかなりの酒好き。
大学が終わって17時から朝の始発にかけて居酒屋を6軒ハシゴした日もある程だ。

私だけがそうしていた訳じゃ無く周りが皆そんな感じで盛大にお金を使ってたのを見ていたから、バイトを増やしたりしながら周りに遅れないよう、同じように振る舞っていた...

そして大学で、現在の夫と出会った。
夫は学生時代、田舎から出てきて一人暮らし、体育会の部活をしながら夜はコンビニで夜勤をして自分で学費を出していた。

そんな彼の役に少しでも立ちたいと、遊びに行く日は夕飯を作るのが日課になっていた。
付き合いが長くなるほど、週にご飯を作る回数も増え、週5で食事の用意をするのが当たり前になっていた。
自分で作ると言ったからには食費を出さすまいと思っていた私はせっせと自分のお金で料理を振る舞っていた。

この時私が持っていたカードは確か
Rカード(学生用) 10万円
Eカード 30万円
Mカード 10万円

そして収入(?)は
バイト代 8万円程
だった記憶がある...

そのうち1.5万円はスマホ代に回っていた為実質月に自由に使えたのは6万程?かな?

その中で友達との交際費、自分用の買い物、彼氏の夕飯代となれば当たり前に足りるわけもなく、「ポイントがつくから」という魅力に惹かれ作ったカードをちまちま切り始めていたのだった。

そして次第にカードのある生活が当たり前になり、母親に「これだけはやめなね!」と言われていたリボ払いに手を出し、リボ払いのアリ地獄に足を踏み入れていったのだ。