お久しぶりです。お元気ですか?

リモートワークが日常になって早一年。外出する機会が減ったため、工作員に遭遇する回数は減りましたが、少しでも外に出れば必ず不自然に待ち伏せされ、集団ストーカーが全く終わっていないことを思い知らされる日々は続いています

 

平日は家にいることが多いこともあり、今回は、これまで受けた騒音被害について書こうと思います。

  私のいる住宅地は限界集落のため、子供の奇声などはほとんどないものの、道路族と同様に騒音被害が毎日のようにあります。

  どういう嫌がらせかというと、ヤンキー工作員が私の自宅付近で聞こえるように大声で騒ぎ、私の個人情報や家の中で家族と話していた内容に関係あることを叫んだり、トラックの運転手が何度もドアバンしたり、平日の日中でも父親と子供が大声で話しながら通りすぎたり、加害老人が同じ建物の1階の住人と30分以上車を止めたまま大声で立ち話をしたりする嫌がらせです。最近のことですが、朝早く犬を吠えさせ起される嫌がらせもありました。起きて窓の外を見ると犬を連れた肥満体の男が横断歩道でもない車道を往復し、わざと私の自宅近辺に向かって騒音を出していました。これは、反社会行為ですね。

 また、私がお風呂に入るタイミングと目が覚めて1分ぐらいしたタイミングで毎日のように救急車のサイレンが聞こえ家の近くを走って行くなどもありました。救急車は4月になってから少し落ち着いているようにも思えます。予算が削減されたのでしょうか?それから、リモート会議中には、「○○さん(私)からどうぞ」と意見を求められるタイミングで、市内のアナウンスが爆音で流れたりしたこともあり、これも偶然ではないのではないかと考えます。そのときはあまりにもアナウンスがうるさいため発言をスキップさせてもらいましたが。

 

  一番の爆音は、秋に近所の街路樹が伐採されたときでした。ちょうど紅葉がピークで、私はその写真をスマホに残し、和んでいたのです。しかしそんな楽しみを否定するかのように、ある日リモートワーク中、爆音とともにどんどん木々が伐採され、枝のない棒状になっていきました。あまりの爆音のため市役所に電話し、途中から専用のはさみで伐採してもらうことで、それ以降私はリモートワークに取り組むことが出来ました。しかし、これは、市が業者に発注して伐採を依頼したもので、伐採という名目で税金を使い、必要以上の騒音を出し、景観を台無しにしたともとれます。ちなみに、電柱がない歩道の木々もすべて棒状になりました。驚いたのは、同じ市内でも、同じ木の街路樹が美しい景観をとどめていた場所もあったことです。要は私の住む住宅地が重点的に爆音、伐採に見舞われたのです。そんなことをする必要があったのでしょうか。

  そして今、4月。棒状の木々からかろうじて緑の葉が出始めています。私は、それを見ると涙が出そうです。5月までに枝が伸び昨年と同じように青々とした葉が広がるのでしょうか。

 

私の住んでいる市でも、市議会議員は創価学会公明党が多くを占め、さらに創価学会とはまた別の「創」のつく名前の派閥の議員も多くいます。この偏った市議会議員の構成が創価学会の利権優遇に繋がるのではと考えずにいられません。利権を確保しながら、税金を使い、嫌がらせをしているように見えます。なお駅の近くのショッピングモールは店員が攻める防犯の嫌がらせをやめないので、買い物をあきらめ、私にとっては廃墟同然です。以前そのショッピングモールのJT○でチケットを受け取るのに、工作員である客を優遇し、3時間待たされたりしました。

 

ところで嫌がらせ加害者は、創価学会員だけではなく、移民とみられる工作員達もいます。ターゲットの位置情報を連携し、うろつかせ、買い物をさせたりしながら嫌がらせさせてポイントを稼がせているビジネスモデルのように見えます。首謀者は、日本人の買い物客を排除して、その商業施設の土地建物を狙っているのではないでしょうか。

 

創価学会公明党信者が自分達の意地悪を、防犯、教育、勧誘、功徳と思っていたらまるっきり嘘です。なぜなら、多くの人は、気の合わない人、意地悪な人が、創価学会員でありわざと組織で連携して自分を苦しめているとは夢にも思わないからです。そのため、一方的ないじめのループは延々と続きます。功徳ではなく、差別以外の何物でもありません。

 

集団ストーカー加害者が騒音などで嫌がらせをしてくる最中、有形無形に限らず、私は自分の持っている物や積み上げてきた物に気づきました。集団ストーカー加害者がドブに捨ててきた人生の貴重な時間を、私は自分の好きなように使ってきたのです。だけどそれでも本来集団ストーカーがなければ人生が異なります。毎日嫌がらせされていなければ心持ちも違うし、これまでの人間関係も違うのです。

  加害者は生命を引き合いに出し、嫌がらせを正当化しているのかもしれません。しかし、被害者も加害者も著しく生活の質を害されています。集団ストーカーを社会悪として認めるのは、日本が全体主義社会になることを認め、全ての人の自由や幸せに生きる権利を奪うことに繋がります。だからこれからもあきらめません。大暴露大会が起こって集団ストーカーがなくなるまであきらめません。

 

最近、「集団ストーカー」という言葉の認知度が上がってきました。また、ストーカー規制法の見直しなど、集団ストーカーに関連する法整備も議論が進んできました。加害者が「攻める防犯」などと偽り守秘義務で一方的に嫌がらせしていることに対しても、メスを入れて欲しいです。もはや「集団ストーカー」関連でSNSを見ているのは、被害者、加害者だけではありません。被害者一人ひとりが、今日集団ストーカーを知った第三者にも被害をわかりやすく発信していくことが、さらなる周知に繋がり、根絶に結びつくのだと信じます。