2011年3月11日午後2時46分

東日本大震災発生。



この時何をしていましたか?


誰もがこの瞬間こんなことになるとは思ってもいなかったと思う。


当時中学2年生だった私は三年生を送る会をしている最中の震災でした。


私の住んでいる地域は震度5弱。
直接的な被害はありませんでした。


でも家に帰るとテレビで津波の映像が流れていて、現実から目を背けたくなりました。


すぐそこまで波が来ていて必死に逃げている人、車が流されていたり、家が流されてたり、泣き崩れる人。



遂さっきまであった自分の町、笑顔、大切な人、物、全ての物が一瞬にして流されている。

一瞬で何もかもが無くなる。


そんな光景が広がっていた。



私の住んでいる地域は計画停電が行われた。
幸いにもこの地域は実施されなかった。

それでも日々起こる速報や余震。


恐怖と不安で仕方なかったことを今でも覚えてる。


でもそれ以上の恐怖や不安を抱えている人は多くいたはず。


父方のお墓が茨城県の海沿いにある。

このお墓、地震の影響で墓石が倒れひびが入っていた。

最近やっとお墓を綺麗にした。

お寺の住職さんに震災の時のお話を聞いた。

ここにあるお寺、お墓は高台にあるから津波の影響は免れた。地震の揺れで墓石が倒れたりひびがはえたところはあったけれど


でもここの周りに津波でお墓、ご先祖様の骨までも流され、見つかっていないのもあることを忘れないで。


宮城県や岩手県の津波や被害が大きく、物資がそっちばかり行くけれど、この茨城県の地域だって津波が来て流され被害が出て亡くなってる人がいて、食べるものでさえ間にならない時があった。

それでも物資を持ったヘリコプターはこの地を過ぎていった。



そんなことを言っていた。

その後あるお店にいったら『津波到達地』とかかれた看板が入り口に貼ってあった。

高さは50cm程度。

大したことない───

数字ではそうかもしれない。

でもそのお店は高台にある。

おそらく海から高台は3m以上はあると思う。


そう思うととても想像が出来ないような気がする。


更にお店にあったのは津波が来たときの写真、このお店の周辺の津波が去った直後の写真、津波前と後の空から撮った写真があった。

私が今来た道や場所ががれきなどで塞がれているのを見て改めてこの地震、津波の悲惨さを感じた。



あの日から3年という月日がたった。


あの日から今日まで未だに苦しみ、悲しみ、不安な日々を過ごしている人が多くいると言うこと。


明日が必ずしもやってはこないということ。


突然全てが失われてしまうことがあるかもしれないということ。


今も懸命に復興に向けて頑張っている人がいるということ。


もうあんな事を繰り返してはいけない。
次へと伝えていかなくてはいけないということ。


それを忘れてはいけない。




こんな私に何が出来るか……



それは震災を忘れないこと。


今を一生懸命生きること。




───そう感じます






“2011年3月11日午後2時46分”

いつまでも心に刻むべき日。  



          2014年3月11日