父も生きていたらもう60代。

ひょんなことから、年齢的にも父もそろそろ病気とかで自然に亡くなるということがあったかもしれない。とか考えちゃって、

そしたら今の私は、こんなにも父の死を引き摺ることはなかったかもしれないって思ったの。

今の私の心の中にはあの頃の私がずっと居て、どれだけ私が歳を重ねても尚あの頃の姿のまま〝お父さんに会いたい〟〝お父さんに甘えたい〟と、泣き叫び続けている。

でも、もし父と一緒に生きて大人になった今なら
そして、父の死が自然なものであったなら
きっとそんな風にもう一生出られない真っ暗い箱の中に閉じ込められる私は居なかっただろうな。時間が止まることはなかっただろうなとか考えちゃって、

だからといって気分が落ち込んだとかそういう話ではなく
要は、もう親が死ぬとかそういう年齢になったんだなって気が付いた。

あの時、父が死を選ぶことなく普通に生きてきたとしても
もう年齢的なことから自然に亡くなっていてもおかしくない。

それなのに私は今も変わらず嘆き悲しみ、苦しみ続ける人生を生きていて

あれ?って思った。

ただそれだけ。



でもさ、ほんとに〝今〟というものは過去が創りあげたものだから

もうなんて言ったらいいか分からないよね。

今までの人生1つ1つの経験が今生きるこの瞬間に繋がっているわけで、過去を思えば感じることは色々あるけど
苦しかったことも悲しかったことも怖かったことも
何か1つでも欠けてしまえば多分今の私はここには居られないんだろうな。

青春時代を共に過ごした友達に出会うこともなく

旦那に出会うこともなく

今の子供たちに出会うこともなく

きっと全然別の人生を歩んでいた。

そう考えると、それはそれで耐えられないよ。

例えば父が生きていて、家族仲良く過ごして、学校も普通に行けて、その上で変わらず今の友達と出会って、楽しく過ごして、今の旦那とも子供たちとも巡り会って、って
そんなふうに全部の幸せを手に入れられたとしても
そもそも、それだともう私が私じゃないからね。

大体、やっぱり順風満帆に生きていたら出会わなかった人たちばかりだから人生の良いところだけ取って全てを今に持ってくるなんて非現実的な話だよ。


なんだかんだ言ったけど、私は幸せ者だと思う。