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rip-off-taのブログ

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rip-off-taです。


橋本×羽鳥の番組。
参議院選挙、都知事選挙と、まぁある意味旬なんで見てて面白いなと思って最近見てます。

良し悪しうんぬん、編集も色々してるだろうけど、僕は偶にでてくる難しい話題がわかり
安くて良いなって思ってみてます。

テレビ的には激論とバトルに主旨置いているんだけど・・・そこは興味ない。


さて、先週ですが一週間ほど熊本に行っておりました。仕事で行きました。
1か月前にも日帰りで行ってました。これも仕事です。

僕は阪神淡路大震災発生の1か月後、東日本大震災も発生の1か月後に現地に行ってます。
神戸の焼け野原、仙台の津波の現場・・・目の前で見ました。

どの場所でも復興とかボランティアの仕事ではなく、東京でも普通にやってるエンジニア
の仕事で行ってます。

そして熊本・・・飛行機の中から見たブルーシートの屋根と古い建物が倒壊したままだった
こと。

どの場所でも・・・仕事をするだけ・・・でした。今回も。
思うところもあるし、言葉にして意見も見解も言えると思うけど・・・。

何かを出来るか?何かをしなきゃ・・・まで見通して言葉にするには”何か”が
わからないから。
単純に言うと下手な意見は言えない・・・自分の言葉として表現が出来ない。

その場所に行って何したか?・・・仕事してたしか事実として実感無いから。
冷めてるわけでもなく、書きたいからこのブログで書いたけど・・・無闇に書けない。

ブログで”ただ思って書いてみた”だけで書くことじゃないかもしれんけど・・・
少し近況を書いたら、ここまで書けたから・・・いや、これしか書けなかった。

そのまま、公開します。
今後自分が過去のブログを見た時にこういうこと書いたんだと・・・振り返るかも?
と思えるだけの為に残しているかも知れない・・・。

自分の言いたいことが良くわからない・・・。
いや、まとまらない。


ともかく本題へ。


では。


「評価」


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品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。
事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。
ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。
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この辞書の意味をよくよく捉えると、
”自分以外の人または物”を自分が評価できて、
”自分が評価対象の1人だとすれば”、自分以外の人が評価しますね。

自分で自分の事は評価できるんだろうけど・・・

さて?
それって自分を自分で評価してどの程度意味がある?他人に対して?
それとも自分を自分で評価してどの程度意味を持たせる?自分に対して?。

過去のブログ045「比較」の中で”絶対評価”と”相対評価”のことを書きました。
(その内容はここでは書きませんので・・・過去ブログ参照)

言いたいことはそんなにない・・・この評価と言う言葉を僕が捉えている意味は。

比較→選択→評価→価値(これ次のブログの言葉)→結果(次の次のブログの言葉)。
比較と選択は今までのブログに書いた。

僕が世の中で存在している状況の流れが上記の→の流れに沿っている。気がする。
これだけじゃないけど・・・そういうことを意識しながら、その中に評価という状況を
認識している。

”評価されてなんぼ?”
”なんで評価しない?”

なんて単純に思っていない。
別にその場の状況、環境とか色々と存在している中で、意識として持っているだけ。

評価とはそういう風に思ってる。
色々なことで、仕事でもプライベートでもいつでも、どこでも目の当たりにしてる言葉。

評価が色々なことに僕の人生の中で直結してるし、影響することが多いから。
僕以外の人が僕を評価している環境・・・それが事実。

意識しているだけ。

だからもう一度言う。

”評価されてなんぼ?”
”なんで評価しない?”

単純ではなく都度都度・・・自分を把握できる他人の評価。
正解?間違い?わかりません。否定も肯定も存在してる。そんな中での評価。

でも、次に来る言葉は価値で・・・その価値を見出した内容の言葉が結果かな?
(まぁ、価値と結果のブログは次と次の次で書きます)。

”それが今の僕の評価でしょうな”ってのが日常茶飯事。
”そういうこと”として、時と場合、環境、場面で他人から見て良し悪しあって当たり前かな?

ちょっとこの言葉はそんなことぐらいしか書けないな・・・。

評価される、評価する・・・僕の中ではずっと続く繰り返し。

そう思えば、世の中での日常茶飯事なんですな。

と思って・・・多少は自分の”気持ち”はブレさせないようにするかな?って思うことに
してる。

評価を意識して、自分の気持ち・・・
まぁ、気持ちは”柔軟な意思”ですな、”頑固な意思”にしないようにしつつ・・・。

評価と言う言葉を今まで書いたような感じで受け止めて、僕の気持ちは”無難(自然)”に
ブレさせないようにすることの1つの手段として評価を捉えるようにしてる。僕の中では。

でも、評価って綺麗ごとばっかりの中ではありませんからな。

まぁ、そんなもんだ。ゴタクですな。って結局思っちゃたりしてね。
このブログをここまで書いて、やっぱりそう思った。


てなわけで。


評価、この言葉も、物も人もある世の中で存在する。
やっぱり、比較と同様”評価の中”で存在するんだなぁ・・・人も物も。

ビジネスではよくあるキーワードとして”ヒト・モノ・カネ”なんてことも言います。

で、単純に”評価した”または、”評価された”の”見返り”ってなんでしょうかね?
”比較”は単純に”勝ち負け”だけど、”評価”は”見返り”がついてくるんだと思うけど?

そのモノの値段に対する価値を評価。
そのヒトを値踏みすることも評価(これは言葉が悪いけど)。

”評価した”と”評価された”と一度書いて、

その評価の価値が、その評価の結果が・・・生活する糧となる”カネ”でしょうかね?
まぁ、それだけじゃ無いけどね、人間性を評価とかね。それも価値だと思う。

まぁ、「価値」と「結果」の言葉のブログでもうちょいこういうことは書こうかな?

まずはここまで。


評価はこれで終わりです。