心やさしい繊細さんを輝かせ

心地良く生きるサポート✨


カラーセラピスト

下村侑里伊です。


✨✨✨✨✨


キャッチコピーを変えました。


心に寄り添うだけじゃなく


光り輝やく人を増やしたいと思ったから


もしもあなたが過去の私のように


自分じゃない誰かの価値観や

人の目を気にして


自分自身の

輝きを曇らせているのだとしたら?


心はきっと泣いているかもしれませんね。


輝く価値さえないと

本気で思ってた。


なんなら、私が輝くなんて


神様は許すはずがはいと

私は、本当に思っていました。


そんな私

40代後半の今が


いちばん本来のらしさである

天真爛漫を生きていて


楽しそうな姿を周りに受け入れられる

ようになって。


もちろん人は陰と陽

過去の傷やトラウマが


ふと上がってきて、涙を流す日も

あるけれど。


それごと含め自分と思える

今が愛しいのです。


こんな私のまま


セラピストとしても

心に寄り添い、誰の中にでもある

美しい光をみつけることが


カラーをしていて至福な時だと

思ってます♡


前置き長くなっちゃったけれど

カラーに出会うまでの


ストーリー②戦いから調和の世界へ

〜カラーに出会うまで〜


ネガティブな母の影響は続きます。


小学校時代〜中学と

大人しめの女の子


私の母校は、小学校から中学校まで

持ち上がりだったのですが


小さくて、かわいらしい子


そんな印象を持ってくれていたそうです。


小さくて

大人しくて


あまり自分の意見を言わなくて


お付き合いをしていた男の子からは


守ってあげたくなる子とも


手が全くかかる子じゃなかった

おりこうさん


担任の先生から同窓会の時に

伝えられた言葉


なんか学生の頃は

はかなげな印象のイメージですが


嬉しい、楽しいって


子供らしい姿はあまりなかった。

笑っている写真があまりありませんでした。


だだ‥


心の許す友達の前でだけ

本来の、面白いこと大好き


明るいところ

ちょっと、ハメをはずして

ふざけてしまうところ


確かにありました。


そんな私が夢中になっていたことは


小学校ではバトン

中学校では新体操


それでも華やかなことが好きだったのですね。


高校に上がるにつれ

徐々に私らしさを表現できるようになったけれど


どこか人の目を伺っていて


光を放っている人の側にいると


自分が存在していないかのような

きゅっと縮こまる感じを

どこかで感じているような私でした。


明るくてのびのびした私

愛嬌のあるところ


知っていながらも


控え目に生きる母

私はいつも可哀想


そんな被害妄想をたくさん抱えた

母の姿を見てきたので


どこか自分と重ねてしまう


大切にされないと嘆く母を

意識もせずに、自分の姿と重ねていました。



心の色は、きっとそんな自分へのあきらめ


流れに身をまかす


ターコイズ


抑圧の色でもあります。


本当は、クリエイティブな自分を表現したい

そんな心もあったのかもしれません。



読んでいただきありがとうございました♡


次の記事に続きます✨