弱い人・強い人という分類は危険
そもそも、弱い人というのはいるのでしょうか?
逆に、強い人というのはいるのでしょうか?
私はそこに違和感を持ちます。
逆に私が納得いく表現は
・お互いに弱い部分をフォローする
・それぞれ得意なことでカバーし合う
というような表現です。
完璧に強い人なんていない
なぜこういうことを思うかというと、おそらく私自身が「強い人」に分類されてしまう事が多いからだと思います。
でも、一般的に強いと言われても弱い部分ってたくさんあるんです。
できないことも山ほどあります。
自分の場合でいうなら、ただできるように必死でがんばってできていることもたくさんあるんです。
私は3人姉妹の長女なので、いつも「しっかりしている」ということを期待されていたように思います。
私に任せておけば安心と、周りから思われていることを自分でもわかっていたし、その期待に応えるためにエネルギーを使って自分を高めてきました。
完璧であること
不測の事態に備えること
万が一を考えて気を配っておくこと
人間関係の調整を図ること
弱みを見せないように、自分自身の機嫌は自分で取ること
それが役割だと思って生きてきた部分があります。
でも、それができるから強いと分類されてしまうのは、辛いということをよく知っています。
人は誰しも弱い部分があるものではないでしょうか。
弱いと言われる人にも必ず強みはある
逆に、弱いと言われる人にも必ず強みはあります。
弱いと決めつけてその人ができることまで奪ってしまう場合もあるかもしれません。
子どもだってそうだと思います。
まだできないことも多いけど、あくまでも「対等」な存在です。
できないことをフォローする必要はあるけれど、いつまでも守ってあげるという感覚は危険な部分もあると思います。
また「私は弱いから」という発言も危険な時があります。
それを盾にして責任から逃れていたり、成長を避けている場合があります。
努力とはできないことをがんばることではないという記事で書きましたが、できないことをする必要はありません。でもできることを1つずつでもするというのは自分自身を高めるのに必須のことなのです。
まとめ
人を「強い人」「弱い人」で括ってしまうのは危険ではないだろうか。
どんな人にも強い部分、弱い部分、得意なこと、不得意な事がある。
あくまでも「部分」として捉えて、各自自分のできることをやっていく事が必要ではないだろうか?
得意なことでフォローし合う
自分自身の得意な事、できないことを把握して、それぞれがフォローし合う社会にできたらいいなと思う。
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参考になるところがあればぜひ取り入れてみてくださいね。
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