母の大腸がんステージⅣ お気楽闘病記

母の大腸がんステージⅣ お気楽闘病記

2011年11月 母が62才で大腸がんステージⅣと診断されました。今さらながらぼちぼち記録していきたいと思います。
ざっくりとした記録なので闘病の方の参考にはならないかもです^_^;

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2017年3月19日、14時58分、67歳にて母は永眠致しました。
私はお義母さんの四十九日法要の為、九州にいて間に合いませんでした。姉がいてくれたのが救いです。夜の飛行機で帰り、22時半ごろやっと母に会えました。苦しかったのかちょっとだけ眉間にシワがよっているような表情で眠っていました。

母は便秘が苦しかったので、私が木曜日に緩和ケア病院に連れて行きました。娘ももう春休み前の午前保育になっていたので迎えに行ってから午前中ギリギリで予約を取ってもらい一緒に連れて行きました。浣腸してもらって少し出たのですが、血中酸素が90を切ったりして息が苦しくなっているので在宅酸素の手配をしていただき、その日のうちに在宅酸素が届きました。酸素を吸うとラクになったと言って、私に「そうめんを茹でて置いて、後で食べるから」と言いました。もうずっと食欲もなく食べられなくなっていたので私もうれしくなりたくさん茹でて娘も一緒に夜ご飯にそうめんを食べました。
「莉央は可愛いね、ばあば食べちゃいたい」
「やめてー食べないでー」
「このまま素直に大きくなってよ」
「わかってるって」
微笑ましい会話を聞いて、次の金曜日の午後から九州へ行かなければならなかったのでそろそろ帰ると言うと、
「莉央またね、九州から帰ってきたらまた会おうね」「ばあばバイバーイまたねー」
とハイタッチして帰りました。これが最期の母と娘の会話、私はこれならまだ全然大丈夫だと思い、「じゃあ月曜日の夜帰ってくるから火曜日また来るわ。またねー」と軽く言ったのが最期となりました。

金曜日は酸素のおかげか比較的落ち着いて過ごしたようですが、土曜日の夜くらいから何本オプソを飲んでも苦しくなってきたようです。土曜日からは実家に姉が泊まってくれていたので、何度も病院に行って入院させてもらおうと言ったらしいのですが、夜に行っても迷惑だからとか言って日曜日になったそうです。日曜日の朝はやや落ち着いたので、様子を見ていたのですが昼くらいからまた苦しくなってきたようで、何度も病院に行こうと言ったらしいのですが、休日だし迷惑かかるからとか言って我慢してしまったようです。
いよいよ午後になり本当に苦しくなったのか、姉に救急車を呼んでと言ったらしく、すぐに呼んで緩和ケア病院へ運んでもらう途中、救急車の中で心肺停止となったそうです。
病院へ到着し、このまま心肺蘇生を続けますか?と聞かれたそうですが、姉がもう大丈夫です。ありがとうございました。と言い死亡が確認されました。
なんでもっと早く病院へ連れて行かなかったのかと姉は悔やんでいますが、ギリギリまで我慢するなんて、先生様に迷惑かけたくないと常々言っていた母らしいな、と思いました。

肺も苦しかったし、また心臓の水が溜まって心不全を起こしたのかもしれないし、わからないけど死因は「転移性肺がん」「結腸がん」でした。

今から忙しくなる、頑張ります。
こんなつたないブログをいつも読んでくださりありがとうございました。