PM 11:35


今朝方からずっと降り続けている雨。
途中のコンビニで買った質素なビニール傘を片手に駅まで足速に歩く。

少し濡れてしまった腕の水滴を払い、いつも通りの時間、駅のホームで最終電車を待っていると、突然、閑散としたホームに若い男女の楽しそうな声が響いた。

会話こそ聞こえないが、彼らの顔をみれば確実に別れる寸前のカップルではないということは一目瞭然である。


―不意に、彼らの姿が昔の記憶と重なる。


―――………


『ああ、もう!服ベタベタだよー…せっかくの化粧も落ちちゃうし…』

沈んだ表情でワンピースの裾を持ち上げる美穂。
あの時言えなかったけど、知ってたよ。君が今日のデートの為にお洒落して、慣れない化粧してきてたこと。

『寒…っ』

美穂が小さく呟きながらぶるりと震え、自身を抱き込むようにしながら腕を摩る。

『バーカ。そんな格好してくっからだよ』

『だって、雨降るなんて知らなかった!』

今にも泣きそうな顔でキッと俺を睨む美穂。
睨んだのは俺だけど、きっと美穂が怒ってる対象は、今なお降り続けているこの雨。

寒さで震える肩に、着ていたジャケットを掛けてやると、彼女は驚いたように目を見開く。

『え…托也何で…』

『んな格好してっと、風邪ひくぞ。』

『でも…托也だって風邪』
『いいんだよ、俺は男だから。』


美穂の台詞が全部言い終わる前に言葉を重ね、赤くなっているであろう自分の顔を見られぬよう、彼女の視界を手で遮る。


『え!?な、何?』

『…良いよ気にしなくて。』

『なにそれ、余計気になる!』


今だ「何!?」「気になる」とか喚いてる美穂が、何だか物凄く愛しくて、嗚呼、俺やっぱりコイツのこと好きだなって実感する。

空をみると、いつの間にか雨はあがっていた。


―――――――………


ガタンガタンという音ではっと我にかえる。俺が目の前に停車した電車の中に入ると電車は直ぐに出発した。
最終電車とあって人は少なく、俺の乗る車両には数えれるほどの人数しかいない。

「美穂」

恋しい君の名前を、呼ぶ。
最近、君のことをまた思い出すようになった。
しかも、前よりもずっと、鮮明に。

「美穂」

君の笑顔
君の仕草
君の声
君の、泣き顔。

全て失った。でも、それは全部俺のせいで。

「ッ美穂」

わかってる。俺が泣いちゃいけない。
泣きたいのは美穂の方だ。
それなのに、溢れ出す涙はどうやって止まってくれようか。
向かいに座る女性が怪訝そうにこちらを見ているが、そんなの気にしてられない。

あの日のように、雨はあがらない。


 



『托也』


今でも時々思い出す。
本当に優しい顔をして俺の名前を呼ぶ君を。

そして、同時に“さよなら”の訳も。



―原因は、俺の自分勝手な理由だった。

『もう好きじゃなくなった』

言った後に、嘘でもこんなこと言うんじゃなかったって後悔した。

驚いた顔と笑顔の間に垣間見えた、泣きそうな顔。
それから君は笑って「そっか」って言って、必至で涙を堪えてて。

―直ぐにでも力強く抱きしめて「嘘だ」って言いたかった。

「俺が好きなのはお前だけだ」って、そう言いたかった。


でも実際に俺の口から出たのは、自分でもへどが出そうなくらい、最低な言葉で。

『だから、お前はもういらない』

―途端、顔は笑ったままの彼女の大きな瞳からこぼれ落ちる大粒の涙。
きっと泣き顔を見られないように、俺に背を向けたんだろう。

小刻みに震える華奢な肩、微かに聞こえる嗚咽。

「み……」

無意識に伸ばした手は、彼女に届くことはなく、空を切った。


―君が走っていった道を、ただひたすら見詰める。

歪む世界、頬を伝う雫。



「…っ美穂……ゴメン、美穂……ッ」



恋しくて、君の名前を呼んだ。

でも、君が帰ってくることはない。

知ってて尚、呼ばずにはいられなかったんだ。




―あれから五年。

今も未だ、俺の中から君が消えない。


 


第一話 夜半の月
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AM 01:00



「じゃーな!」


ほてった頬を、冷たい風が掠めた。

初仕事の成功を祝い、仕事仲間と打ち上げをした帰り道、ふらふらの足取りで家路を辿る。
少々調子にのって飲み過ぎたと、心中で数時間前の自分を悔やむが、時間が戻るわけでもない。


―そう、いくら悔やんだって、時間は戻ってはくれないのだ。
ただ無情に過ぎていくだけ。


時刻は既に午前1時をまわっていたが、いつもより明るく照らされたコンクリートに疑問をもち、ふと、空を見上げた。


―答えは実に単純明解だった。
今宵は満月。いつもより明るいのも頷ける。



―嗚呼、


君と出会ったのも、こんな満月の日だった。