おはようございますぶどうおとめ座ぶどう


今日は私が生まれる前のお話です。



1952年昭和27年3月4日に
北海道の十勝で
M8.2クラスの地震があったのを知っていますか?







当時の私の父は9歳で、
幕別町という町に、
母親(私の祖母)と兄弟四人で暮らしていました。







地震が起きた時、母親は外出中で子供達だけで留守番をしていたそうです。







想像しただけで
怖くて恐ろしいですねガーン







幼い兄弟が地震の後に咄嗟にとった行動は 、
崩れ落ちるかもしれない家からお米を必死で外に出した事でした。







まだ先週のままのテーブルです









ここからは私の想像です!
地震の後
外出先から物凄い勢いで母親が帰宅して、兄弟四人を抱きしめ無事を確認して、
お米を外に確保した子供達の行動を褒めて又抱き合った。




と思うでしょ?



実際は




この続きを聞いて




私はぶっ飛びました‼️




実際には








地震が起きた時に母親は
生まれて初めての
パーマネントをあてる為に美容室にいたそうです爆笑







しかも
自分市場最大のお洒落をしてブーケ1




叔母の話だと
その時の祖母の服装は
開襟衿の白いブラウスに
タイトスカートに
ハイヒール
だそうですサンダルカバン口紅ネイル帽子
今だに目に焼き付いてるみたいですむかっ











去年初めてこの話を
父と叔母と叔父から聞いた時私は
うちのばーちゃんは神だドキドキ
最高だドキドキ
と思いました。



でも、ばーちゃんはもっと
ぶっ飛んでいました!











帰宅してすぐに子供達をねぎらうどころか、パーマネントをあてたばかりの自分の髪や自分の服装ばかりに気を使う母親に
相当落胆した模様です。




この話をする時の父や叔母や叔父の顔を見てると何故か子供に見えた私でした目



ここまで読むだけで
祖母の生き方ちょっとだけ垣間見れるでしょ得意げ




破天荒な母親の生き方に翻弄された子供達は、その後
母親と離れ二つに別れて生活する事となりました。











この破天荒な
ばーちゃんに
育てられた

兄弟四人の
インナー
チャイルドは
ズタボロ
になりました



やがて四人は大人になり
それぞれ結婚して
子供が生まれました







唯一叔母は、
ばーちゃんに振り回されながらも、違う価値観に出会い負の工場から抜け出しましたが、



我が父と叔父二人は
ばーちゃん以上に破天荒になり負の工場を仲良く引き継ぎました。





この度、
私も危うく負の工場
引き継ぎそうになりましたが、
お陰様で何とか私の代で工場を封鎖する事が出来ましたほっこり









そして去年
生涯トリッキーな生き方を貫き通し沢山の伝説を残してばーちゃんは
96歳でこの世を去りました。







工場封鎖した
私と叔母 
何故か?
美幸さん!ラブラブ音譜





同じ親に育てられたのに
どうして叔母だけ
母親や他の兄弟と違う生き方を選択できたの?


長年の私の謎でしたうーん


私は去年
人間の心の在り方を知り
ばーちゃんから続く
家族の負の連鎖に終止符を打ちました。



もしかすると
ばーちゃんも自分の親から工場を引き継いでいたのかもしれません。


人間の心の在り方なんて
多分考えた事も
無いであろう私の叔母の心の在り方は
ばーちゃんもぶっ飛ぶほどの壮大なスケールでした!







私は家族に限らず、職場や学校や友人関係の中で
あきらめてしまった自分や自分の環境は
いくらでも修復出来る事を
知りました!





あーもっと詳しく話したいなーニコニコ







いつも読んで頂きありがとうございますキラキラ