SNSを消して気づいたこと

 

最近、新R25で岸谷蘭丸さんにインタビューしたことをきっかけに、SNSとの接し方を見直しました。

インスタグラムとXをスマホから消したんです。

 

これまでは1日1.5時間くらい、いわば「可処分時間」をSNSに使っていた。空き時間にスクロールして、気づけばネガティブな情報まで目に入っている。そんな使い方をしていたんですよね。

 

アプリを消してから、ポッカリ空いた時間をどう使うかを考えるようになりました。

 


 

「好き」と思っていたものの正体

 

僕はずっと「海外サッカーが好き」だと思っていました。

YouTubeでサッカー系コンテンツをつくったこともあるし、プレミアリーグやチャンピオンズリーグを追いかけてきたつもりでした。

 

でも振り返ってみると、実際はSNSでニュースをキャッチアップして満足していただけだったんです。

「ハリー・ケインが点を取った」「トッテナムが勝った」とか速報を見ることで、なんとなく“サッカーを追ってる感”を味わっていただけ。

 

それって政治ニュースを眺めてるのと大差なくて、自分の中ではどこか“他人ごと感”があったんです。

 


 

コミットが感情をつくる

 

SNSを消して時間ができたことで、改めて試合のハイライトをちゃんと見るようになりました。

今はプレミアリーグの試合もほぼ全試合、チャンピオンズリーグも10分の長めハイライトを一通り見るようになった。

 

そうすると不思議なもので、前よりも「サッカーが好きだ」という感情が強まっていったんです。

つまり、 「好きだから時間を使う」のではなく「時間を使うから好きになる」 ということ。

 

パッシブに流れてくる情報を受け取るだけでは、感情は育たない。

自分の意思で「これに時間を使う」と選んでコミットしたときにこそ、感情が動くんだと思います。

 


 

恋愛や推し活にも通じる話

 

この気づきは恋愛にも当てはまると思っています。

僕は「恋愛の本質はコミットメント」だと考えているんですが、やっぱり相手にどれだけ行動で示すかが大事なんですよね。

 

推し活や趣味でも同じ。能動的に時間や行動をコミットするからこそ「好き」という感情があとからついてくる。

逆にいえば、コミットできない対象を「好き」と呼ぶのは、もしかしたら疑ってみる必要があるのかもしれません。

 


 

おわりに

 

「好きだからやる」のではなく「やるから好きになる」。

最近の僕の体験を通して、感情は行動の“結果”として立ち上がってくるものなんじゃないかと感じています。

 

あなたはどうですか?

「好き」という気持ちが、行動のあとにやってきた経験ってありますか?

 

 


 

関連リンク

岸谷蘭丸さんとの動画

すべて「就活や自分の評価に得か?」で考えるZ世代に、岸谷蘭丸が説く“魂の時代”とは

 

 

1. はじめに – 取材を通じて深まる悩み
僕は新R25で取材や企画を担当していて、今やっているプロジェクトが「ビジパの悩みインサイト」といいまして、
ビジネスパーソンの悩みを掘り下げて、有識者にアドバイスをもらいながら考察・解決の糸口を探していく企画なんです。  
そんな企画をやってるので、自分の悩みや思考を深掘りする機会が増えてきたんですけど、、、  

最近、その中で特に考えるようになったのが、「選択肢が多いことは本当に良いこと・幸せなことなのか?」というテーマ。  

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2. 選択肢を増やすことにこだわってきた人生
これまでの僕は、「選択肢を広げること」 を最優先して生きてきた。  
「潰しが効く」という考え方が選択の基準になっていて、重要な選択もその視点から決めていた。  

- 大学受験:  
  - 立教の附属校にいたけど、自由な選択肢を求めて慶應に進学。  
  - 立教大学に進む道もあったが、高校の体育会ラグビー部の影響を避けたくて受験を決意。  
- 大学生活:  
  - 体育会ラグビー部には入らず、純体育会という中間的なクラブを選択。  
  - 大規模な国際系の団体に参加したり、自分でサークルを立ち上げたり、とにかく「選択肢を広げる」ことを重視。  
  - 留学も経験し、英語を身につけることで将来の可能性を広げることを意識。  
- キャリアの選択:  
  - 仕事に関しても、「一つの仕事に長く打ち込むこと」に抵抗を感じていた。  
  - 例えば、営業職に就いたら、他のキャリアの可能性を潰してしまうんじゃないか? という不安があった。  
  - でも、実際には営業で得たスキルはマーケティングや採用、経営にも活かせる。  
  - 「一つの道を極めることは、選択肢を狭めることにはならない」 という視点もあることに気づいた。  

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3. 選択肢が多いことは、本当に幸せなのか?
これまでの僕は「選択肢の多さ=自由=幸せ」と考えていた。  
でも、取材を重ねる中で、本当にそうなのか? と思い始めた。  

- 選択肢が多いからこそ、どれを選べばいいのか迷い・悩む。  
- 選択肢が増えるほど、「もっといい選択肢があったんじゃないか?」と後悔することが増える。  
- 選択肢が多いことと、幸福度は比例しないのでは? 
- 何なら、選択肢が多すぎることで不安が増える「負の相関」があるかもしれない。  

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4. 選択肢が多いと決断が難しくなる 
僕も含め、多くの人は、  
「AからZまでの36個の選択肢が与えられたときに、それが自分にとって最適なものだと確信して決断できるのか?」  
という問いに直面すると、意外と難しいことに気づく。  

結局、選択肢が多いこと自体は問題ではなく、  

「自分が納得して決断する力があるかどうか」が大事なのかもしれない。  

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このテーマについて、もう少し深掘りしたいので、続きは明日書きます。  
ここまで読んでくれてありがとうございます!

今日は珍しく特に何も予定がない日だったので、スマホを置いて出かけることにした。

 

昼まで寝て、財布と本だけ持って、青山まで自転車で行った。

目的は、西村佳哲さんの 『自分をいかして生きる』 という本を読むこと。

どこで読むかも決めず、行き当たりばったりで、坂を登った先にあったおしゃれなカフェに入った。

ほんとはvivo bearfootという靴屋で5本指の靴?みたいなのを試したかったんだけど、混んでたからやめて、向かいのカフェに入った。

 

本、めっちゃよかった。うわぁってなるとこがうわぁってなるとこがたくさんあった。

すごい自分の解釈で、この本に書いてあったことから得た学びを一つ出すなら、

「やりたいことを探し求めるより、目の前のことに力を惜しむな」という話。

何かを追い求めて悩むよりも、とりあえず目の前でできることを探して、取り組んで、

その中で出会う、自分の心が動く瞬間や、思わず手が動いてしまうことに向き合う。

それを突き詰めることで、結果的に自分が本当にやりたいことが見えてくるかもしれない。みたいな。

 

この考え方にすごく納得したし、この前けんすうさんに取材したときも同じようなこといわれて、タイムリーだった。

“何かになりたい” と思って頑張ることも大事だけど、

今この瞬間に自分が気になること、心を引かれるものにフォーカスすること。

けんすうさんは、それを人に聞きに行けって言ってた。と思う。その取材の動画は3月くらいにでます。

 

 

本を読み終えて、自転車を漕ぎながら、ふと幼稚園時代に通っていた 鳩の森八幡幼稚園 に立ち寄った。

そこには富士塚っていう、富士山信仰の丘?みたいなのがある。

昔、幼稚園のときはスイスイ登れたはずなのに、今見ると意外とゴツゴツして登りづらかった。

子どもの頃の感覚と、大人になった今の感覚が違うことに、なんとなく気づかされた。

 

お参りって、いい。

お祈りしてるときは、神様(いるかわからんけど)と自分の1対1な気がして、信仰ってこういうことか今更ながら思う。(キリスト系の学校で12年間お祈りしてたのに?)

 

その後、東京体育館の前を通ったら、指原莉乃さんのプロデュースしたグループのライブがやっていて、

推しの名前がでっかく書かれた、黄色いビブスを着た人たちがたくさんいた。

 

正直、あんまカッコ良いデザインじゃないんだけど、みんなの顔がイキイキしてて、

「なんでこの人たちは、こんなに堂々と人の名前が書かれた服を着れるんだろう?」

純粋に気になったけど、結局聞けなかった。

 

“聞けばよかったな” という気持ちと、“聞けなかった自分” への悔しさが残った。

 

さっき書いたけど、おととい けんすうさん に取材したとき、

「とにかく人の話を聞け。そこから自分の価値観とか考えは選べ」と言われたばかりだった。

だから、今日の「気になったのに聞けなかった」出来事が引っかかった。

 

今後は、もっと人の話を聞くことを自分のテーマにしよう。って心に決めてたけど、スマホとかAIを媒介してしか人に話しかけたりができない自分がちょっと不甲斐なかった。

よく考えたら、今日もカフェの店員さん以外話してねえや。

 

みたいなことを考えた結果、新R25でインタビューをしているっていう立場を活かして、いろんな人に話を聞く動画を撮る というのをやってみようと思った。

誰でもいいから、出てくれる人を探して、ショート動画を撮る。そんなことを考えていたら、なんだかワクワクしてきて、

新宿三丁目のビックカメラに行ってマイクを見てたけど、よくわかんなくて帰ってきた。

 

5時間くらい?デジタルデトックスをしてみて思ったのは、

スマホを使っていると、どうしても「マーケティングされた情報」に流されることが多いなと。

Googleマップで行きたい場所を検索し、評価を見て、計画を立てる。

それは便利だけど、言い換えれば 自分の意思ではなく、情報にコントロールされている感覚 もある。

 

でも、スマホなしで自転車を漕ぎ、行きたい場所・気になるところに気ままに向かう。

本を読み、気になったことに思考を巡らせる。

 

その過程には、「自分で選んでいる」という感覚があった。

それこそ、本に書かれていた 「自分の感性」や「will(意思)」と向き合う ということと繋がっている気がした。

 

みたいな感じで、気づきがあったような、なかったような、そんな一日。

 

でも確実に、自分の「選ぶ力」が試される感覚があった。

だから、たまにはスマホを置いて、“自分の感覚” に従って動く時間を作るのもいいかもしれない。

 

こんなことをAIに話しかけて、まとめさせて、それをちょっと書き直してる俺。

はじめまして。

Amebaブログを始めることにしました、わたなべりんたろうです。

新R25というビジネスメディアで働いています。

 

どこから話そうかなと思ったんだけど、ざっくり経歴を話すと、

小学校から立教の附属校に通って、中高もそのまま進学。

大学は慶應に入り、サイバーエージェントに内定をもらい、今は新R25で働いています。

 

大学時代はサッカー系のYouTubeチャンネルを運営してて、チャンネル登録者5万人までいったこともあります。

サッカー観戦が好きだったから、その様子をVlogに載せたりもしてました。

チャンネルはこれです

 

最近で新R25の動画に出演して、取材やインタビューをする機会が増えたんだけど、

動画に出てる自分って、どうしても「切り取られた自分」になるなって感じることが多くて。

僕の出演動画

 

もちろん、そういう風に編集してるのもあるし、

見せ方を工夫するのは当然なんだけど、ありのままの自分を出す場所って意外とないなと。

そもそも「ありのままの自分」って何?っていうのはあるけど、

少なくとも、考えてることや思ってることをもっと気軽にアウトプットできる場所が欲しいなと。

 

で、最近はChatGPTに話しかけながら、自分の考えを整理して、

それを文章にするのにハマってて。

 

「せっかくならブログとかに残しておこう」

って思ったのが、このブログを始めたきっかけです。

 

最初はAmebaブログとnoteの両方で書こうと思ったんだけど、

とりあえずAmebaブログ一本でやることにしました。

 

そんなわけでこのブログでは、

・どうでもいい日記

・最近考えてること

・自分の動画の裏側とか、インタビューして感じたこと

とかを、ザックバランに書いていこうと思ってます。

 

需要があれば書くし、なくても書きます。

基本的に「自分が書きたいことを書く」っていうスタンスなので、文句があれば言ってくれてもいいけど、多分反映はしません(笑)。

コメント機能があるのかよくわかんないけど、何かリクエストがあれば、気分次第で書くかもしれません。

 

そんな感じで、これが最初のブログです。

今日、特に予定がなかったので、街をぶらぶらしながら考えたことを日記として書こうと思ってたんだけど、

その前に自己紹介が必要だなと思って、今これを書いてます。

 

とりあえず、これから気ままにやっていくので、よろしくお願いします。