日本の水を考える 「人間大学講座 NHK学園を受講して」1994.7.27
日本の水を考える1994年 わたしの人間大学講座 NHK学園 を 受講しました講師は 宇井 純先生でした(この講座の「課題とレポート」を 掲載しました 稚拙なものですが どうぞ ご覧ください そして ご批判ください)第一課題問一 水の特殊な性質のひとつ、あるいはいくつかが存在しなくて、もっと普通の物質であったら、世界はどのように変わっているか考えて、八〇〇字以内で記述しなさい。問二 戦後、植民地が独立した多くの第三世界の国家が直面した困難と、日本の近代化過程の差はどこに原因があったのか、八〇〇字以内で考えを述べなさい。第二課題問一 公害紛争における、第三者調停機関の性格と限界について、八〇〇字以内で述べなさい。問二 公害問題における、マスコミの果たした役割とその問題点を、八〇〇字いないであげなさい。第三課題問一 この講座を通して視て、あなたの考えと行動で、何か変わったことがありましたか。八〇〇字以内で書いてください。問二 環境問題は、これからの日本の方向をどのように決めてゆくでしょうか。その中で市民ができる活動にはどのようなものがあるでしょうか。八〇〇字以内で書いてください。リポート第一課題 私は子供の頃から何度も稲を植木鉢で育てたことがあります鉢土を水槽に沈めてモミを播く 水温の上昇につれ発芽し 本葉が伸び 分けつ生長して 出穂、結実します。 葉から空気中の炭酸ガスを水に溶かして取り入れ 根から水と養分を吸収して 光合成をします 水は イネの中を根から茎葉と移動し水蒸気となって外へ出ますこの時 水が狭い水槽中で滞ると 酸欠を起こし根の張りが良くありません水が流動し 必要な物が運び込まれ 不要物は排出されるように 水位調節したり新鮮な水と替えたりします また 肥料も乾燥したままではなかなか分解されませんが 水が適当にあると変化が促進調節されます。 このように植物の活動には水が必要です動物は基本的に植物に頼っていますから 生物にとって水が欠かせません。 地球では 豊富な水の熱運搬によって 赤道付近から極方向へ熱の移動がスムーズ行われ 全体に温暖な気候になりました 水には 多くの物質が溶け混ざり 移動、循環して 変化にとんだ世界ができましたそんな中で 生物の再生産も可能になりました 水の存在によってこそ われわれ人類の不断の活動ができているといっても過言ではありません。 これらは 「水の熱に対する特殊な現象」と 「液体の水がいろいろの物とよくなじむ性質」などがあるからで 他にこのような性質を持った物質は見当たりません。 ここで「水の融点沸点における熱の吸収放散が普通の物質程度に小さい」と仮定すると 地表は太陽からの熱を直接受ける面と受けない所で 高温と低温に分かれ ほとんどの水は気体と固体でしか存在しないことになる すなわち 水蒸気か氷になり 地球は高温ガスと寒冷砂礫岩の世界に分かれましすところどころで火山が活動している 浸食風化が遅いので隕石のクレーターなどもたくさん残っているだろうと思います。 私はこんな生命のない地球には全く興味がないのです。 一九九四年七月二七日 近代日本の出発点を 一八七O年ころ(明治初期)とみるとき明治専制政府は 国内外の事情から 急激に近代化を図る必要があり「富国強兵」「殖産興業」政策を 強権をもって進めました。 この商工業発展、資本主義発達のための財政負担は 多くが地租でしたから 人口の大部分を占める農民の犠牲による近代化は 初めから民意の反映の少ないものでした。 一八九O年ころ(明治中期)には 近代工業も伸び産業革命が進み 資本主義的生産が発展し 多量の商品が生産されるようになりましたが 一般農民は没落し労働者は低い地位もままでしたから 国内市場は狭く その結果 市場を海外へ求める事となりました そこで 国内的には 軍備拡大、生産重視、民衆抑圧になり対外的には 市場の争奪、資源確保、勢力圏獲得のための侵略へと進みました。 こんな中で「足尾銅山鉱毒事件」のような 国民軽視、住民の犠牲といった事態がたびたび起こりました。 第二次世界大戦後に 民族独立の機運が高まり 各地で植民地の解放と近代化をめざしました これら第三世界諸国は 政治の安定と経済の自立が課題で このために国際協調が提唱されました「発展途上国が互いに 経済、技術、金融などで協力体制をとる集団自立」「途上国が資源を輸出し先進国が製品を輸出する国際分業」「資本投資による現地生産 国際機関による援助」などです しかし 市場拡大、安い労慟力、緩い環境基準などをねらった「新植民地主義的進出」もあります。 また 途上国側でも 「資源に恵まれているか否か」「資本や技術力の差」「人口問題」「民族宗教対立」「独裁」など複雑です。 近代化とは 「みんなが文化的な生活を営なみ幸福になれる」こと それが「民主的な政策と手法で進められる」こと が必要です。 ここで 題意にしたがって 一言付け加えると日本と第三世界諸国の近代化過程の相違点、問題点は 近代化に着手した年代、国民の啓蒙度が重要な点であると思う また 他民族の支配下にあったか(植民地)、宗教的な条件など それぞれに存在する「積み重なった国内の事情」と「利害の対立する他国の影響」を考えてみることが必要です。 一九九四年七月三一日第二課題 私の身近に「森永ヒ素ミルクを飲んだとかで顔色の良くない男児」がいましたその時は 集団検診が実施され 「異常無し」だったと言うことで 御家族はホッとされましたが この対処や結論が正当だったかどうか いつもお母様が心配されていた姿が思い出されますすこし苦労をされましたが 今は四十才 元気にしておられます。 生活者は いつも 周囲の変化を日常生活の中で感じ 自分達の体験と重ねてみて知ります 公害が発生すると 被害者は 先ず 各自の感覚や経験をもとに気付ことが多く その内容も個別的で多様で主観的なものになりがちです。 加害者は 自分達の利害を第一に考えて 公害を否定したり 隠したりしがちですその上 被害者に因果関係の証明を無理強いしたり 被害を小さく限定的なものとして責任逃れを図ります。 被害者と加害者の対立の中に 行政が中心になった「第三者調停機関」が介入しますが 客観化の名目で 公害の存在については 汚染のレベルなどを定量的な基準で判断したり 被害の認識に関しては顕著なものに限って 部分的に捉える傾向です。 従来 日本は産業中心政策をとってきたので 第三者機関は性格も人事も加害企業の立場に近くなるのです。 また 行政は 「自身の責任を問われること」を 極端に恐れる傾向にありますこれは被害者の救済や公害の再発防止には悪影響を与えます。 公害は 生活者が一方的に被害を受けますから 第三者とか中立ということは意味がなく この問題では直接者でないぶん 生きた働きができません。 我国で 公害が発生し被害が存在しつづけることは 加害者のモラルの問題であり 同時に 通産中心政策を進める国家、政府にも重大な責任があります。 いま 国民全体が 国家の性格や方向を そして個人のライフスタイルを民主的に根本から考える時ではないだろうかと思います。一九九四年八月一五日 何度も遊んだ松並の砂浜が埋められて 鉄とコンクリート、油膜の海と煤煙の空、化学コンビナートに一変した時 大事なものを失ったと漠然と感じて 「僕の思い出の浜辺」という題で 新聞に 思いきって投書しましたこれは 掲載されなかった 一九六O年ころ 私は高校生でした。 その頃 同じような意見を 学校図書室の「学生通信」か何かで いちど見ました静岡県の男子生徒さんが 「新全国総合開発で工場が誘致されて 毎日釣りをした美しい海岸も 胸一杯に吸い込んだすずしい海風も みんな無くなった 懐かしいものが消えた 悲しい」 と書かれていました。 当時は 経済成長が叫ばれ 「力強い開発」「工業生産の拡大」「所得の倍増」 そして「消費は美徳」と言った記事が多く マスコミも大勢がそちらを向いていたのでしょう。 その後の 「四大公害裁判」をはじめ 光化学スモッグ、赤潮、食品公害や環境保護等など 我々にとって「切実で厄介な問題」の 新聞等の報道や解説、論説は たいそう関心を引きました。 公害について言及すると マスコミは「情報を扱う専門家」として 迅速に 十分に調査、取材、情報を集め 提供する義務があると考えます皆んなに正確に判断してもらうためです また それぞれが 公益的立場から 「信念を持って意見を述べる事」も必要かもしれませんこれは正しい世論の形成に役立ち 困っている被害者を勇気つけます 「早く気付き」「広く知らせ」「正しく対処する」ことが マスコミ本来の仕事であり 影響力は絶大です。 しかし 「一方的な内容」「片手落ちの取材」「センセーショナルに扱う」など無責任な行動が一部にみられます 社会正義を振り回して 「独善になったり」「加害者側に買収されたり」「世間の趨勢や多数に迎合」してはいけません。 マスコミが良識を貫いた態度をとるとき 大きな信頼を得て社会的存在としてよりよい仕事ができるのだと思います。 一九九四年八月三一日第三課題 私は日課として二条城の周りを散歩ジョギングしています 観光や歴史的施設として 整備が進み外観は良くなりましたが 堀の水は流動が少なくドロリとした緑色で水質汚濁が著しい 今年の七月は 表面に緑や褐色の縞が現れ少し悪臭もしましたその後猛暑渇水が続いたにも拘らず 八月にはこのアオコ赤潮が急に減少し不可解に思いました ここの植木や生垣は虫が少ない 年に何回も消毒をするからで それでも松枯れ起きてています 水も木も周囲の環境と切り離して人為的に管理できるとしたら誤りです。 よく鴨川へ出かけます 百万都市の河川として市民に親しまれています堤も川床も大部人工的になりましたが 瀬は水がきれいで気持ちよく 淀みは生き物が多様でおもしろい 今夏の異常渇水では 色々と面白いことを見かけました 生物的水質判定では中腐水性と言うことですが 残念ながら 魚は汚染が気になりほとんど食べません。 今年は建都千二百年で やたらと草はらを刈り川を整備して各種の催しの会場に使うので 今後どうなるかと見ています。 身近の京都市地下鉄東西線工事には疑問を感じます周辺の井戸が濁り歴史的埋蔵物が壊され工事中の住民は不便だし お役所仕事による工期遅延や経費増大は市財政を圧迫し市民につけが回る 工事公害も甚だしい公共輸送はモノレール等環境に優しい軽量化の傾向で 地下鉄はもはや時代遅れです。 この九月に 関西国際空港が開港しました我国にアジアの物流の中心となるハブ空港が無いとまずいとか万事に先進国として無理することに危惧を感じます。 また 最近言われている自由化、規制緩和は極端に 二つの解釈ができます日本が 自由に無節操に 世界各地からエネルギー食料はじめ資源や製品を輸入し、消費し、製品輸出を増大させる 従来の延長と言えるものと政府などの 既成の過剰な規制を離れ 自分の責任と工夫で自由に活動する 周りの環境も 自分達の「手」と「考え」で整える民主的な形です前者であってはなりません。 昔は 田園の中を草を濡らして水がさらさらと流れ 虫や魚がいっぱい棲み 荷船が通った川が 今は コンクリートでかためられ雨の時以外は水量も少なく 川沿いのハイウェイを車がひっきりなしに走る。 近代化は確かに良いことです 栓をひねるだけで清潔な水がふんだんに使えると便利だし 水洗トイレは汲み取り便所より快適です 何時でも欲しい物が揃い 生活が楽になることは望ましいけれど そのため 自然豊かな山や川や海が消え マスプロの物品に埋まり 大量の情報に振り回されることが無いことを願うのです。 最も環境破壊をしているのは 先進国の人間で 南北格差、人口爆発、資源枯渇など矛盾が起こるのは 世界が先進国の資本主義的理屈で動いているからです大切なのは 国家、地域、個人の各段階で 独自の価値観を互いに尊重しあうことです。 我国の環境対策には地方分権と国際協調に課題が残ります。 いま 自然との調和を大切にする社会をめざし ハード・ソフト両面で世界をリードする日本でありたい。「暮らしの中で 不断の関心を配る」「疑問を感じる時は具体的に発言してみる」「連携を広げていく 市民レベルで問題を提起し対処するシステムの充実」などなどが必要でしょう。 私の水と環境への思いはおおかた体験に依っていて個人的なものだけれど 美しく快く安心な形で次代に継ぎたいと願うのです。 一九九四年九月二五日 林 ひろゆき