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若き日のウイリアム・メレル・ヴォーリズ氏
 
■ウイリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留:ひとつやなぎめれる)
  1880年10月28日~1964年5月7日
 
  彼の青年時代、アメリカより希望で単身で滋賀県近江八幡に英語教師として赴任
 
  快活で真面目な教師として、また敬けんなキリスト教徒としての布教活動に熱心で
 
  子供達にもたいへん人気があったが・・・もともと仏教系の土地柄もあり反感を誘った
 
  ようで?教師を2年ほどの僅かの期間で終える。(契約更新されず。)
 
  その後、YMCA等の協力(同情?)を得て、学生時代に学んだ建築設計の仕事に携わり
 
  生計をたてる。 しだいに評判が高まり各地の教会や学校等の建築に携わる。
 
  当時、日本の家庭では、身近な薬品が不足していたため「近江兄弟社」を設立し、
 
  アメリカよりメンソレータム(現メンターム)を導入し各家庭に普及させる。
 
  それらで得た利益で、当時、難病と恐れられた肺結核患者の病院を建てる。
 
  「私りんたろうも小~中学生?当時の夏休みに一度、この病院を訪れました。
 
  姉の友人(クリスチャンの若く可愛い女性)のお見舞いに、母と姉にせがんで
 
  連れて行ってもらった思い出があります。
 
   その病院は、姉が京都・洛北で結核で入院していた暗くいかめしい病院の
 
  イメージ(記憶)とは全く異なっていて、山林を切り開いてできた自然豊かな丘に、
 
  木造のしゃれた白いロッジがという感じで、生まれて初めて見た不思議な光景でした。
 
   目的の病室は二階の小部屋、建物全体からは「コ」の字型に突き出た位置でした。
 
  窓からは自然の光が燦燦(さんさん)とさしこみ、森林の新鮮な空気が吹いてくる。
 
  ここなら、とても快適だろうな~と羨ましく思いました。
 
  (当時日本では、感染を防ぐため人里離れた病院に患者を長期隔離するという対策
 
   がとられていた。ヴォーリズは、先進していたアメリカ式の病院を建てた。)
 
  もっとも私が、この地(滋賀県)に行きたい!とせがんだ動機は、ゲンジやカブトムシ
 
  の宝庫と聞いていて、心がワクワクしたからでした。
 
  小さなゲンジを二匹捕まえて目的も達成し・・・しかし、この籠をこの病室に忘れて
 
  帰り残念な思いをしましたが・・・(笑)
   
  この美しい建物の魅力に心を奪われた結果だったと振り返って思います。」
 
  あれ、ちょっと話が脱線しました(反省) つづく~
 
  
◆「青い目の近江商人 メレル・ヴォーリズ」
 
◆「青い目の近江商人 ヴォーリズ外伝」
 
   著者 岩原 侑 (いわはら すすむ)氏 
 
◆ウィキペディアフリー百科事典
  「ウイリアム・メレル・ヴォーリズ」
 
◆ヴォーリズ記念館のHP