おはようございます!大学の授業の三分の一が終わろうとしています。時がたつのは早いですね。授業はものすごく長く感じるのに。不思議ですね。

 

人間は生きるために自分を正当化します。自分を肯定することは生きていくために必須なことですが、それが行き過ぎるのもどうかと思うときがあります。

 

人は自分が一番正しいと思いたい。だから他の人を非難して、自分の正当性を示そうとする。SNSを見ていると、フェミニストやヴィーガンの人が跋扈していますが、それと同じくらい彼らの矛盾点をこれでもかと叩いている人を見かけます。

 

各々が正当性を主張しているわけですが、私が特に問題視するのは後者のほうであります。建設的な批判をし対話する気があるならまだしも、自分の正当性のみを主張し自分が気持ちよくなるために相手を貶す行為に対し私はひどく不快感を覚えます。ましては、それを集団でそれを笑いものにして収益につなげている人は本当に気持ち悪いと思ってしまいます。

 

誰かをいじめ自分を優位に立たせることは人間の本能であり、快感を覚えることですが、人間の形をとどめておくためにそれは自制する必要があると思います。

 

フェミニストが元とする男子に比べ女子は虐げられているというのは事実ですし、ヴィーガンが主張する毎日大量の動物たちが虐殺されていることも事実なわけです。自分を正当化するためにこれ見よがしに非難する行為は正直言って、自己をまき散らしながらも周りに迷惑をかけるという最悪の行為であると思います。

 

いくらヴィーガンを非難してもあなたはお金を払って間接的に動物たちを虐殺してるんだよ?その事実はいくらあなたの正当性を示しても変わらないんだよ、と言いたくなります。(ちなみに私はヴィーガンでないです)

 

用はバランスの問題に行きつきます。自己の主張をしなさすぎるのもよくないし、しすぎるのも気持ち悪い。絶対に人は自分を通してでしか話をすることはできませんが、それでも相手がいるのですから、彼らの意見を尊重した上で、建設的な対話をできるように心がけるべきです。

 

SNS上での彼らのやり取りによって起きていることは彼らの心はある程度満たされているかもしれませんが、現実に起きている問題は少しも変わっていないことをみると人間はなんとも情けなく醜い生き物だなあと感じるのでした。

 

自己を捨てたいという欲もまた自己の介在があり至る思考であり、虚しくなるのでした。そうです。自己がないと私たちは何も語れないのです(#`-_ゝ-) では 2022.10.11