もうすぐ参院選がある。これまで正直、選挙というもの、政治というものは自分の手から離れているものだと思っていた。
これまで、というのは、現政権になるまでは、ということだ。
SEALDsの活動を始め、現政権に対する反対姿勢は、数え切れないくらい見てきた。だからこそ、「体制の成り行きに流されるばかりではない」こと、「主権は政治家にあるのではない」ことを学ばされた。
私には活動に加わるほどの行動力もなければお節介な発言をするほど政治の知識はないが、その上で敢えて一言だけ言わせてもらえば、私の好きな日本がこれ以上住みにくくなるのは本当に嫌だということだ。
特に嫌なのは、全てが「金」に支配されてしまっているということだ。その中でも最も辟易したことが、次のような話である。
某大企業、ナントカノミクスで恩恵を授かっているような大企業に勤めている友人がこう言っていた。
「上司から『自民に投票しろ』と言われた」と。
これは私にとって雷が落ちたかのような衝撃だった。某経済政策によって利益を上げている企業が、現政権を支持したくてそのような支持に至ったのだろうが、全くもって不愉快だ。
お金は、ひいては資本主義は、封建制の後に出てきた主従関係の一形態にすぎない。その仕組みの中で労働に従事する者が得るお金は、極論すると交換のための媒体でしかない。
交換のための道具に振り回されて、挙げ句の果てにその焼きが私のような低所得者に回ってくるのでは、それはもはや政治ではない。
そんなにお金が大事なのか?私は甚だ疑問だ。お金なんてものは、もう一度言うが交換手段の1つだ。積み重ねたところで、権力とイコールになってはならない。
個人的な話で恐縮だが、私がそんな思いを抱くに至ったのは私が修士課程の頃だ。当時は本当にお金がなくて、家賃を除けば毎月1万円ほどで生活をしていた。コンビニで飲み物も買わなくなったし、少しでも安いスーパーに長いこと自転車を漕いで買い物に行き、野菜が高い時はしぶしぶ買うのを諦めた。そんな生活をしながら、少しずつ(本当に100円ずつくらい)お金を貯めては大事に本を買った。自転車が壊れても修理に出すとお金がかかるので、持っている工具で自分で修理したり、電気代も極力抑えるためにあれやこれやと工夫したりして過ごした。家賃も負担なので、大学の寮に住み始めた。外食もする余裕がないので、飲み会や食事も何度も断った。さぞ付き合いの悪い人間だと思われていただろう。
とても裕福ではない時期だったし、そのせいで辛いことも多々あった。一番嫌だったのは、某教師に「パソコンの動きが遅い!買い替えなさい!」と言われたことだろうか。パソコンどころか今週の食費だけでもいっぱいいっぱいなのに、何と心無い事を言う先生なのだろうとひどく落胆した。
それでも勉強することが大好きなので、研究に毎日勤しんだ。辛いけれど、それでも何とかやっている。そんな学生は私だけではないだろう。こういう時期にお金は多ければいいもんじゃないと感じたし、上述のような大企業の事情を知って落胆した。
貧乏人の状況を尻目に、大きな企業の儲けを増やすために、富めるものを富ませるために世の中が動いている。
挙げ句の果てに、消費税まで増やすなどとのたまっている。もし上述の私の状況で増税なんてされようものなら、失望に失望を重ね、悲観にくれるだけくれておかしくなっていたかもしれない。
私のような学生(に限らないが)が少しでも減るような社会を作るのが政治だと思うし、お金を稼ぐことに躍起になるのでは政治とは言えないのではないか。
安心して行きていける社会にすらなっていない、そんな日本は嫌だ。
だからみんな選挙行こうね。上司から何を言われようが、あなたの選挙権はあなたのもの。お金に溺れるためのものではない。