抗癌剤(TS-1)飲み終わりました(*´ω`*)
今日も東京はいい天気です
放射線治療と併用していたTS-1が飲み終わりました!
手足のしびれと脱毛と吐き気がこれで少しおさまるかなー
あとは放射線が金曜日まで!
毎日よく通いました。
私にご褒美あげたい
頑張ったよ!
あと少しあるけどね。
一昨日から、痛み止めに麻薬が処方されました。
ぼーっとするしフワフワするけど、トイレの時の
悶絶するような痛みも、普通にしてても痛むお尻の痛みもかなり楽です。
完全に無くなりはしてないけど、ずっと痛い痛い言ってた時より今は何倍も楽ちん
そして麻薬のせいか分からないけど、気分もちょっと上がって穏やかな気持ちです
医療麻薬凄いね
たぶん放射線終わって副作用落ち着くまで出して貰えると思うけど、何ならずっと飲んでいたい(笑)
この薬は医療用だから癖になったり禁断症状とかは無くてすんなりやめられる薬なんだけど、飲んでると気持ちいいからずっとくださいって言いたい(笑)(笑)
言わないけどね(笑)
手術前後も飲みたいなぁ…
先生に聞いてみよ
って訳で、終わりも見えてきたし、薬で痛みもだいぶいいし、フラフラするくらいでとても元気な気分になってきてます
このままクリスマスと年末年始を楽しく過ごしたい
皆様も忙しくなる年の瀬 体調は大丈夫ですか?
どうぞ素敵なクリスマスと年越しが出来ますように
これから放射線治療と抗癌剤の先生の診察して参ります!
ではでは
妹の癌と私の癌②
妹の入院日、妹はお付き合いしてる方に車で送って貰って病院に来ました。
私は付き添うために病院に直接行き待ってました。
余談ですが、私も妹もこのがんセンターの隣りの高校を卒業してます。当時は衛生看護科という看護師になる為の勉強も出来る県立高校でした。
今は確か変わってるかな?
私も妹も毎日通り過ぎてたがんセンター。
まさかこんなに早くここにかかることになるとは思ってもいませんでした。
待ち合わせをして、荷物を車から出し、
その時の記憶も曖昧ですが、たぶん普通に話して病院の入り口に向かったような気がします。
一歩病院に入った瞬間、妹は崩れ落ち
泣き出し、「入院したくない…」と言いました。
何とかソファに抱えて移動しそこに倒れ込んだまま
何を話しかけても「入院したくない…」しか言わず
顔も上げず、入院予定の決められた時間も過ぎていく中、どうにもならず受付に相談しました。
外来か入院予定の病棟かの看護師さんが迎えに来ましたが、全く動かず。
迷惑かけて申し訳なく看護師さん達に頭を下げる私。
そのあとの記憶がこれまた曖昧なのですが、確か、「足は切らない、患部だけ取り除く手術をする。抗癌剤はしない。」という、妹の希望と言うかわがままを聞いていただく形で本人が渋々入院する事を決意し入院。そして手術が数日後に行われました。
手術当日も私は出向き、見送って手術後も麻酔が醒めたばかりの妹と話をしました。
ただ、この頃から妹は家族に心を開かなくなり、話しかけても表情を変えずに無視するようになりました。
手術のあとも、「もう帰っていいから!」と母に冷たく言い放ってそれ以外口を開きませんでした。
太ももの後ろから摘出した腫瘍は、本当にマンゴー位の塊で、「本人の意向通り腫瘍を取れる範囲で取りました。」と見せられた。
大きかった。
脂肪肉腫という癌を今まで見たことが無かった私も、ネットや色々な所から調べて、この大きさは抗癌剤は必須の大きさだと思った。
その日は帰り、私も当時は仕事もかなり忙しく、役職にもついていたため、なかなか休みが取れずに面会まで数日かかるなと思っていたのですが、まだ数日しかたってない頃に病院からと本人から電話があり、本人の強い希望で今日退院しました と 連絡があった。
半ば病院の先生も呆れた感じの話し方。
妹は、私との電話でもう既に心を閉ざしていて
人の話を聞き入れる余裕も治療を受け入れる事も何も出来なくなっていた。
「病院に迷惑をかけたことは理解してるけど先生と話して了解して貰ったしお姉ちゃんには関係ない!
抗癌剤なんかやらないから!髪が抜けたり、足を切ったらもう仕事も出来ないし、先の希望がもてない!
お姉ちゃんは結婚して子供もいるけど、私だって結婚したかったし子供だって欲しかった!
自分で治すからいい!!」
って。
これ…亡くなるまでに何度言われただろう…
私は、先生の言われる治療をちゃんとやろうよ
言われたことはちゃんとしようよ
って、ずっと思っていた。最後の方はもう諦めて
本人に言って無駄な言い合いになるのは避けたくて、本人がやりたいようにやってもらいただただそばに居た。
最後まで自分の意志と言いたい事決めた事を貫いて亡くなっていった。
その分、たくさんの病院や先生、看護師さん、訪問看護師さん、ヘルパーさんにご迷惑をかけっぱなしだった。それが本当に申し訳なくて、どこに行ってもずっと私は頭を下げていた。
腫瘍だけ取った妹は、自分の力で治す!死にたくないし死なない!と言い、今の病院でやっている医療ではなく、自然療法や免疫療法にのめり込んで行った。
病院には定期的に検査をしに行って自分の身体の状態を把握するだけ。
玄米や無農薬の野菜、ゲルマンだかゲルソンだかの療法、温熱療法。
会いに行くと、
こうやるんだよ!って説明してくれた。
なんかの集まりにも「一緒に行ってみて!」って言われて、大きなホールに連れて行かれた。
癌で闘病している人達が壇上に上がり、妹もその中におり、「私は死なない!!私は治る!治る!!」とみんなで何度も大きな声で唱えていた。
一種の宗教のように見えた。
妹の考えを受け入れつつも、頭の片隅では、こんな事をしてる間に癌が進行してるのではないか…
今の進歩した医療に従った方がいいのではないか…
と、半分は妹のしている事への不信感が拭えず、誘われても説明されてもあまり乗り気になれていなかった。
そんなこんなで、時々出る私のちゃんと病院で治療した方がいいんじゃないかっていう言葉がケンカに繋がり、「もういいよ!自分でやるし、どうせお姉ちゃんに私の気持ちがわかるわけない!」って言ったきり、連絡が途絶えた。
家族とは全く連絡を取らなくなった。
アパートで一人暮らし。
お付き合いしてる方は、妻子のある方。そこまで妹の面倒がみれるわけがなく…
次に連絡があった所からはまた次で書かせてください。
あっ、これは少し早めに書いておきたいのですが、
妹が当初お付き合いしていた方については、
不倫であり、私もその時はなんでそんなお付き合いをしてるのかと、少し嫌悪さえ覚える時もありましたが、
その方は、本当に良い人でした。
妹は数人とお付き合いしてきて良い人に巡り合わず
DVな人だったり、お金目当てだったりでお別れしており、そんな人生に悲観していた時に知り合ったそうです。
私とゆっくり話すことはその人はありませんでしたが、いつも申し訳なさそうに…
でも、妹が最後の入院になった時も、お見舞いには1度も来れませんでしたが、いつも綺麗な花かごが本人宛に送られてきており、メールでずっと癒しと励ましを送って会話をしてくれていたようです。
妹が亡くなった時、妹から自分が死んだらこの人に電話で伝えて…と聞いていた電話番号に電話しました。
その方は、電話口で声を殺して泣いていました。
「あの子はずっとかわいそうな子でした…。支えてあげたかった。元気に治って貰いたかった…。
このような立場でお葬式には出れませんので、もしも良かったら埋葬される先が分かりましたら教えて頂けますか…。お墓には行かせて頂きたいのですがよろしいですか…?…」
と、ずっと泣いておられました。
世間的には、あってはならない関係なのかもしれませんが、私はこの人がいてくださって妹はどれだけ救われていたのかなと思うと、ご家庭の御家族様には申し訳なかったですが、ありがとうございましたという気持ちでした。
これに関しては賛否両論出るかもしれませんが、どうかもう過ぎた事なので、流して下さると嬉しいです。
さて、
私ですが、一昨日位からトイレの時の痛みがピークです(笑)
これがピークでないなら、死んでしまうかもしれないくらいには痛いです(笑)
例えると、熱した鉄の棒をお尻に突っ込まれているような痛さをトイレに行きたくなってから済んでしばらくまでずっと続きます
それプラス吐き気
もうね、放射線の看護師さんに泣き言言っちゃいました。
「つらいですーいたいですー」って。
そしたら診察になって、先生から
Dr「痛いですよねー薬をもう少し強くしましょうねー 」
私「ここがピークならガマン出来るかもですがピークはまだなんですよね?」
Dr「そーですねー薬で何とかコントロールして乗り切りましょう!」
って事で
医療麻薬出ましたよ
何度も患者さんには飲ませてあげてた
コンチンとオキノーム
まさか自分が飲むようになるなんて
大丈夫かな?これ飲んで電車乗って来るんだよ?
大丈夫かな?
不安だーーーー!
でも、何事もやらなきゃ分からないからね。
今日の夜から飲んでみます!
そして麻酔入りの塗り薬ベタベタ塗ります!
ヤク中です!(笑)(笑)
早く元気になりたいなーーー
てか、お昼から来てまだ病院で薬待ってる(笑)
はよーーー!
ではまた
妹の癌と私の癌①
私は父を膵臓癌で亡くし、数年後に妹を脂肪肉腫という癌で亡くしてます。
父は、体調不良を訴え入院して膵臓癌と診断され2週間もせずに亡くなりました。ずっと胃潰瘍だと通ってた病院だったのですが、そんなになるまで分からなかったみたいです。
どんどん痩せてたまにお腹を抑える父に、「病院行ってるの?」と聞くと「行ってるよ。胃潰瘍なんだ。」っていってたのに、入院してから面会に1度行けたきり、次に母から電話が来た時は危篤の連絡で、駆けつけた時は死亡宣告されたあとでした。
その2年後、私とおなじように看護師をしていた妹から「お姉ちゃん、私 ガンかもしれない…」と電話が来ました。
大腿の後ろにしこりがあって、いつもはいていたジーンズが入らなくなって気づいたようで、自分の病院で検査をしたら「癌の可能性があるからがんセンターに行きなさい」と言われたと。
泣いてました。
妹はまだ結婚もしてなくて、母は父を亡くしてから気落ちしてるので頼れないから私に一緒に行って欲しいと。
妹は看護師なので、ネットや色々な資料から自分の癌の可能性を調べたようです。
そしてそれが、悪性度の高い癌だと言う事、治療するには下肢を切断して抗癌剤が必要かもしれないことなどを悟っていました。
がんセンター受診の当日、妹は笑顔で待ち合わせ場所に来ました。その時、お付き合いしている方と一緒に。初めてお会いして挨拶しました。かなり年配の優しそうな方。そして高級車。妹は紹介したあと、実は「この方は妻子があって、この人に頼ることは出来ないの。」って笑顔でさらっと言った。
その人は本当に申し訳なさそうに小さな声で「すみません…。できる範囲の事はさせていただきます。」と言った。どう反応していいかわからないまま「姉です。よろしくお願いします…」といった。
病院について受診の時は、車で待ち私が付き添って病院に入った。
妹は笑顔だった。「この変なんだよね」って触らせてもらった腫瘍は想像してたより大きかった。マンゴーくらいあるじゃん…!
「全然気が付かなかったの?」
「痛くなかったし後ろ側だからあまり気にして触ること無かったし、片方だけジーンズが入らなくてあれ?って思って触ったらあったの。」
と待ち時間で話していた。色々検査のあと診察に呼ばれた。
先生から
「これは脂肪肉腫だとおもわれます。手術をして抗癌剤をします。脂肪肉腫は転移が早いちょっと厄介な癌なので、処置は早い方がいいでしょう。」
このあとの会話をハッキリ思い出せないのですが、
妹が足を切るのか、抗癌剤は毛が抜けるのかなどを聞いていたような気がします。
かなり大きく骨にも接してるようにも見えるから、その可能性もある。抗癌剤はちょっと強いものを使うから申し訳ないけど、髪は1度全部抜けると思います。また生えてきますからね。
みたいな会話だったかな。
診察が終わり、入院の日を決め、説明を受けて
病院を出るまで妹は気丈に進めていました。
そして車に戻り乗ったとたん、ポロポロと泣き出し、何も話さなくなりました。お付き合いしてる方は黙って背中をさすり、私を駅まで送ってくださり、
「大丈夫です。あとは落ち着くまでついていますから。」
と。
「お願いします」と言って車を降りた。
入院日からの話は次にします。
私はと言えば、
おしりいたーーーーい!!!(笑)
トイレが恐怖の場所になりつつある(笑)
良くなるかなぁ。なるようにしかならないもんね
今はこの痛みと戦って受け入れるだけです
でもね、なんだかんだ 私は幸せなんです
だからがんばれる!
今日はまあまあいい天気ですが寒いですね
皆様も体調は気をつけてくださいね