自分という存在を複数抱えている人間はどのくらいるだろうか?

学校の時の自分、彼女と過ごしている自分、仕事をしている自分、それぞれ場面でうまくやり過ごすために自分を演じる人間は大きくいるだろうが、ぶれない芯を自分に持ちつつ少しその形を変容させているのでのではないだろうか。ましてや人前で好みやキャラクター180°変える人間はいないだろう。もちろん自分は180°変える側の人間だ。その根源には、2人の自分がいるからだろう。

「社会に適応したい自分」と「本当の自分を認めてほしい自分」これが二律背反的に存在するからであろう。だから、「社会に適応したい自分」を前面に出しているときは非常に疲れる。何でこうなったかのか分析したい。

元々幼少期から、叱られて育ってきたため、自分のやりたいことのなどは抑制されていたし、今でも自分は何がしたくて、何が嫌いで、何が好きかどんなことに適正があるのかを全くと言っていいほどわかっていない。他人より自我がなく、主体性や人生に当事者意識がない。そんななか、一つだけ好きなものがあった。それは「アニメ」だ。アニメを見ている時間だけは時間を忘れてい見っていた。そのため、中学時代には名作といわれるアニメは全部視聴し、アニメオタクへ昇華した。生きがいにもなっていた。だが、アニオタを隠して生活していたため、普通に友達いたり多くの人に囲まれながら生活し、卒業した。大変だったのはその後だ。中学時代にアニメしか見てこなかったために、会話の引き出しがゼロに近く、それを隠してもいたためなんにも特徴のない人物となっていしまった。それゆえ、高校一年時の友人は0人だった。圧倒的劣等感を抱えることに加え、アニメは社会的に受けないと自覚した。そっから俺は変容した。受けのいい趣味を探した。それにたどり着いた趣味はアイドルだった。大好きだったアニメを捨て欅坂46を押すことを決め、前面に出した。高1でも効果は出始めた、何となくのかかわった人からアイドルの話をされることもあったし、話かけられることもあった。社会的に有名なもの需要のあるものを知ることで話の話題になることや社会に順応できることに気が付いた。そこからは世間体を気にした趣味に興味を持つように尽力した。ファッションやKPOPを好きになったのもその一例だろう。そうすることで話を常げることに成功してきた。だが、ほんとにおもしろいと思うことは深夜アニメであることが消えなかった。ラブライブも好きだし、コードギアスも大好きだが他人に進めることができない。なぜなら人も目が気になるからだ。自分自身を消し無難な回答をすることで逃げてきたが限界が来た。本来の自分と社会に適合したい自分をうまく折り合いをつけてその狭間を狙えるようにしていきたいが、不安しかなが、これも自分と受け入れていくしかない。