地元新聞、夕刊の「明日の運勢」

「人のことは放っておく。己の仕事に専心を」

数ヵ月前からママ友さん宅で運営する畑で働き始めた。

仕事中だから私語は全く必要ないんだけど、他2人のママさんが楽しそうに話してるのが気になる。
今日からもう1人新しいママさんが畑仲間になり、自分1人だけが取り残された感がこれでなくなるかと思いきや、新しいママさんも楽しそうに話の輪に加わっており、あれれ???…

仕事で動きながらだから、話せる距離に近づいた時は必死に話に加わる自分。
でも、うまく相づちが打てていないのか、うまく話に加われていない気が…(・・;)

その後の幼稚園のお迎えでも、他のママさんと必死に話に話そうとする自分。
「この人と話すと楽しい!」と思われたくて、笑顔で、できるだけテンションあげて話す自分。

でも、相手はしっくり感じてないのがヒシヒシと伝わってきて、毎回ひとり空回りしてる自分を客観的に見て、「本っ当に、うち痛すぎ(>_<)」って自分のこと思ってる自分がいる。

明日の畑仕事は、運勢通り、自分の仕事に専念しよう。

人に好かれに行ってる訳ではなく、仕事しに行ってるんだから。          
ダビングしておいた『甦る歌謡曲』を観ていたら、森昌子さんの『おかあさん』が流れてきた。

「痩せたみたいね  おかあさん~」

うちの母は、もうこの世にいない。
痩せたかどうかも感じることができないんだと思ったら、涙が出た。

あと2年で、うちは母が亡くなった歳の45歳になる。

あらためて、若くして亡くなったんだなぁと実感する。

私達兄妹が小さい頃から病気がちで、離れて暮らしていた上に、うちが7歳になる年に父と別れて、それから亡くなるまでの13年間会えずにいた。

やっと会えた時はお葬式だった。
火事で亡くなったから、顔を見ることもできなかった。

母との良い想い出は少なく、うちを産んで病気になってしまったので一緒にいた時間も少なく、うちのことは可愛いなんて大事になんて思ってないんだろうなと、ずっと思っていた。

でも、自分が母親になって初めて、母に大事にされ愛されていたことが分かった。

十月十日、うち自身が、我が子が無事に産まれてくるように大事に過ごし、どんな顔をしたどんなにか可愛い子が産まれてくるのかと楽しみにしていたように、父も母もうちの誕生を楽しみにし、産まれたら同じように喜んでくれたかと思ったら、今まで遠くに感じていた母を心から近くに感じ、ちゃんと愛されていたんだと実感することができた。

今、私は人より少し手のかかる兄弟を2人育てながら、必要最低限の家事しかできない(していない)半人前の母(妻)をしている。

そんな、器用にうまく生きられないのはどうしてかと、日々自分探しをしながら。

でも、母のように病気にならず、なんとかやってこられているのは、周りにいる家族のお陰で、家族のことで悩みながらも、その家族に助けられている自分がいる。

そして、こうして私達兄妹を育てることができなかった母も、一緒に子供達や私を見守ってくれていると改めて感じている。

死ぬまで、一人前の母や妻にはなれないかもしれないが、こうして家族の側で一緒に過ごせることに感謝して生きて行きたいと思う。

おかあさん、故郷から遠い場所にお嫁に来て、頼れる人がない中で、うちを産んでくれてありがとう。

子供の頃は、おかあさんの病気を理解出来なかったけど、今ならおかあさんが本当に大変で寂しかった気持ちが分かります。

共感できる時が間に合わなくてごめんね。


毎日怒ってばかり、悩んでばかりだけど、なんとか母親やってます。


~~つれづれ日記~~
http://s.ameblo.jp/rinrin-o

昨日からモンチの学校が始まり、このブログも夏休み中に何回か更新できたら…と思っていたのですが、相変わらずの一日坊主で、長いと思っていた夏休みも、気づけばあっと言う間に終わっていましたf(^_^;)

今日、半日終わりのモンチが赤い顔をして「話したいことがあって急いで帰って来た!!校長先生の手紙!!」と、探すのももどかしい手つきで、おたよりを渡してきました。

校長先生の手紙?と思いながら目を通すと「校長先生が亡くなった」とモンチが言ったか、「学校長御逝去のお知らせ」の文字が目に飛び込んできたのが先だったか、今となっては分からないぐらいの衝撃でした。

「昨日、元気な校長先生に会ったばっかりだったのに、びっくりしたね。ショックだったね」とモンチに言葉を掛けました。
「泣いてた子もいた」
そうでしょう…。

先生は昨日から調子が悪かったらしく、周囲の先生方にも体調不良を言ってらっしゃったようです。
帰宅途中の駐車場で痛みに耐えかね休んでいると、そのまま意識がなくなってしまったと…。
救急搬送され、懸命な治療を受けたものの、意識が戻らぬまま天国へ行ってしまいました…と全校集会で話があったそうです。

親からも聞いていなくて、学校へ着くなり突然、先生の訃報を聞かされた子供たちの心を思うと、胸が痛くなりました。
きっとモンチは学校にいる間中、頭の中は校長先生のことでいっぱいだったと思います。

校長先生は国語の先生でした。
ことあるごとに、その時話したい内容で物語を作って、子供たちに話して下さっていました。

今回の始業式のお話は、広島で起こった土砂災害のことでした。(いつも、学校だよりに掲載して下さいます)

「…夜中、寝ているときに突然土砂に巻き込まれて、たくさんの命が犠牲になってしまった。住む家があって、そこに大切な家族がいて、みんなそろってご飯を食べることができる…。当たり前だと思っていたことが、一瞬にして当たり前でなくなってしまう。当たり前にできていることが、なんと有り難いことか。…小学生の自分にとって、当たり前のことってなんだろう。当たり前のことを当たり前にできることを大切にしていこう…」要約すると、そんなお話でした。
最後には、校長先生の言葉として、「私をはじめ、先生方はいつでも皆さんの味方です」とありました。

改めて、モンチに読んで聞かせると、涙ぐんでいました。
もちろん、わたしも…。

そのお話を昨日してくれた校長先生が、今日も学校で「おはよう」と、いつものように迎えてくれると思っていた校長先生が、もう校長室にいない。
学校のどこを探してもいない。

校長先生が居てくれるのが「当たり前」と思っていた子供たち。
当たり前が、当たり前でなくなることを、身をもって実感した子供たち。
これから、何かがきっと変わっていくことでしょう。

わたしも、40年生きてきて、同じような突然の別れや悔いが残る別れがいくつもありました。
母親、恩師、親友、教え子、大好きだったアーティスト…。
その度に、今を大切に生きよう、会いたい人には躊躇せず連絡しよう、会いに行こう!!
「いつか」「そのうち」「また今度」とは思わずに…と何度思ったことか。

そして、わたし自身も、今日、命が終わってしまったとして、後悔しない生き方を、その日その日でしているかと問うてみると…。

今、一番思うのは、家族に笑顔でいたか、優しい言葉を掛けていたか。

つい、日常的にガミガミ怒って、イライラした表情をすることが多くなってしまうけれど、わたしに何かあったとき、子供たちや主人が思い出すのが、わたしの怒った顔や怒鳴り声ばかりだとしたら、どんなに悲しいことでしょうしょぼん

でも、今だったら、そうなりかねませんガーン

当たり前を大切に、今を生きる。

家族に、一緒に居て楽しかったことや、笑顔を想い出してもらえるように。

「今」を生きていこう。

忙しさにかまけて忘れかけても、また必ず思い出して、肝に命じて生きていこう。