3月19日に書いて
アプリに保存していた記事を
加筆訂正してアップしています
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記念の手形と足形がノートに貼られていた
2月25日の時よりも明らかに大きくなっている
体重2566㌘
身長46.5㌢
今日
3月19日に
りんりんは退院した
鼻のチューブがとれたのは
37週0日の3月13日だった
呼吸はとっくに安定していて
酸素濃度も問題なし
だけど、あいかわらず直母だけは
へたっぴだった
一昨日の17日まで
ほとんど飲むことができず
こっちが半泣きになりながら授乳していたが
みんなに応援してもらって
退院2日前から突然
ゴクゴクおっぱいを飲みだしたりんりん
やっとやる気を出してくれたようだ
この一週間
退院に向けて
聴力検査や脳のMRIもとったらしい
もちろん血液検査もしている
こんなに小さい身体で
生まれてからなんど注射したのだろう
今日も薬を飲んで、浣腸でうんちを出した
これから最低でも2年は
大学病院へ定期的に通う
発達と発育をみてもらうことになる主治医から
様々な説明を受けた
くる病予防の薬と鉄分補強のシロップ
さらに小児用グリセリン浣腸を大量にもって帰宅する
飲ませ方使い方は
入院中にすべて練習済みだった
冷凍母乳は余ってしまい
三日前からもう病院に届けていなかったけれど
それでも少し持って帰ることになった
可愛いセレモニードレスと
布製のクーハンに入り帰宅したのに
記念写真などとる暇もなく
Pは即仕事に出掛け
早速のワンオペ育児(笑)
ご多分に漏れず
おろおろするしかない母と
慣れない環境を察知し
深夜までギャン泣きの息子
二人で泣きながら過ごした
そしてなぜか大阪弁で
「お母さんが、りんりんのやりたいこと全部させたる。行きたい学校も行かせたる。働くで~」
と話しかけながらあやした
あと何年二人で病院に通うのか
どちらが先に真の卒業をするのか
これから競争だ
思えば
去年の7月に妊娠がわかり
9月にがんが確定し
検査をして、手術をして、りんりんを産んだ
たった数ヵ月間の出来事が
何年間ものことのようだ
これまで
仕事が全てで
自分勝手で
そろそろ老後のこととか考えないとなぁ
と本気で思っていたあたしが
45歳にして親になり
がんサバイバーになった
私は
これからできること
すべきことを模索していかねばならない
そして何よりも
この小さな命を大切に
どんなことがあっても
守っていかなくてはいけない
生かされた命が
ここに二つあるのだから
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長きにわたって
~妊娠~出産~闘病~
を綴らせていたただきました
去年からずっとお付き合い下さった方も
最近読者登録してくださった方も
(結構多くてびっくりしています)
これから何かの拍子に目にとめていただく方も
読んでくださってありがとうございました
いち個人の
人生における
ほんのちょっとの期間についてを書き留めた
リアルすぎる記録です(笑)
そして
とっくに妊娠・出産カテゴリーではないのに
そのまま継続して書かせて下さった
アメブロさんにも感謝しています
きっとご存知だったでしょうに・・・
だけど私の中では
3月19日が
りんりんのもう一つの誕生日のような気がしてならなかったのです
だから、セカンドシーズン・闘病記編(2018.7月以降ね
)も
どうしてもこのカテゴリーで書きたかったのです。
本来は4月3日の予定日で
せいぜい早くても3月半ばが普通の出産・・・
以前私は
「私のせいで早く産んでごめんとは一ミリも思っていない」
と書いたけれど
あれは本音であり、強がりでもあり
出産前の自分には
あのように言い聞かせるしかなかったのだと
今ならわかります。
【ブログ】はここで終了です
また明日
改めて最後のお礼だけ書かせてください
では!