目が覚めて一番に気になったのは 仕事の予定が狂ってしまうこと

職場に連絡してほしいと 何度も夫に頼んでいました

なかなか少ない人員で みんなめいっぱい仕事していたので 抜けることの罪悪感が残りました

そして 息子のお嫁さんが妊娠中だったにも関わらず来てくれていたこと

赤ちゃんのことが心配で 無理しないでと・・・・

時間の経過がわかりませんが 目が覚めた時は夜遅かったと思います

家族はすぐにベッドを離れ 帰っていったのか夫はドクターに話を聞いていたのかわかりませんが

私も休むように促され 眠っていました

 

手術の後 ICUに数日いました

その時いつもカーテンのそばに何か黒っぽい影が見えていました

おそらく 元気な人には見えないものだと思います

あの影は何?と看護師さんにも聞けないまま過ごしていました

とにかくベッドに寝たままなので 天井とベッド周りのことしか見えません

誰かに見守られていたのか シに神様だったのか

今 こうして生きてることを考えると見守られていたのかなと感じます

 

数日後ICUでトイレに行きましょうかと 看護師さん付き添いで歩けるようになって

そこでも数日してから一般病棟へ

救急車で運ばれたという事実がある割には 私自身 事の重大さをわかっておらず

本当は少し歩くだけでも息を切らし 体力の消耗を自覚していただけでした

歩くスピードが激しく落ちていて あぁ 大変だなと感じていました

今は回復プログラムが組まれ すぐにいろいろ動くことになります

そのほうが 早期退院につながるのでしょうね きっと・・・

 

おかげ様で 今は日常生活は不自由なく過ごすことができています

何ならそんな大病したの?と思われるぐらいに回復しています

数年前の1月末

自宅で意識を失いました

たまたま休日で家人がいたので すぐに救急車で運ばれました

救急車の中で 数十秒ずつですが何度か意識が戻った時があります

いろいろ計器を付けているので 救急隊員さんはそれを目安にしてるのでしょうか?

意識が戻っても 自分の手足を動かすことも 目を開けることもできません

ただ耳が聞こえてるだけです

一度目戻った時 

〇〇病院に行きますあと30分ほどです頑張ってください 

この時すでに自宅近くの病院でいろいろCTをとったり検査をしていたようですが

その数時間は全く意識不明 記憶がありません

なので近くの病院があるのになぜ?遠くの病院まで?という疑問がありました

あとから分かったことですが 近くの病院では対処できなかったようです

そこも結構大きな公的病院なのですが そんなこともあるのですね

二度目に戻った時は

あと10分ほどです 頑張ってください

トンネルを通っていたので 瞼越しにオレンジの光を感じていました

そして 私、もうシぬんだなぁ~と考えていました

ふと 臨死体験をした方がずいぶん昔にTVに出ていて

お迎えが来る というような話をしていたことを思い出し

私にはだれが迎えに来てくれるんだろう なくなった父親なのか?

それより 大好きなエンターテイナーがなくなっていたので

その人ならいいな・・・なんて馬鹿なことを考えていました

考えながらまた遠のいていく意識・・・・

三度目は病院についたらしく 

ストレッチャーからCTの台に乗せられる時でした

本当にドラマのように 1,2,3 と掛け声かけるんだわと思い

CT取りますよ 動かないでくださいね と言われてましたが

全く動くこともできません

それから 緊急手術になったと思うのですが 手術用の麻酔のおかげで

全く記憶もなく 目覚めたときは それもまたドラマのように

家族が 私をのぞき込んでいた という感じでした

私としては あぁ・・まだ生きてるんだと思い

せっかく命拾いさせてもらったのに申し訳ないですが 少し残念だったような気がします

救急車の中で シを覚悟したとき これでやっと身軽になれるんだわ と思っていたのに

生きることが少ししんどく感じました なんというバチ当たり者でしょうね

子供の頃自分がシんでしまうことがとても怖かったです

両親や祖父母からの言うことを聞かず 叱られたとき

必ずと言っていいほど地獄の閻魔様に舌を抜かれるとか

地獄に行って苦しむとか そういう叱られ方をしたので

シんでしまったら 真っ暗闇の中一人きりなのか 知らない人たちばかりなのか

苦しい場所から永遠に抜け出せないと思ってしまいました

 

この永遠という時間の長さが怖かったことと

いつかは必ずシが訪れる 100%シんでしまうと言う

どちらも抜け出せない と言う怖さでした

 

けれど あるときから子供の頃の様に怖くは無くなりました

 

生きてる事に気持ちを置き換えられたからでしょうか?

50歳を過ぎた頃 もうこんなに生きているのか・・・・と思い

御陰様で結婚して子供も生まれ その子も成人してもう私の事はそんなに必要ない

女性としてこの世に生まれてきて 一仕事終わったなと思い

これからは 私の時間を取り戻そうと思うことが出来たからです

 

若い頃から親に強制されて 

自分の思うように生きる事が出来ないと感じて居ましたので

残りの時間は自分だけのために使えると

残りの時間を精一杯楽しめれば シぬことは怖くないと

いつシんでも悔いはなさそうだと思うと怖さは無くなりました

 

 

親の介護は女性の子供がするのが当たり前?

 

私は弟と二人兄弟です

父親が長患いの末他界しました 闘病中は母が病院に寝泊まりしていましたので

家の事 弟の身の回りの世話をやって来ました

 

弟は現在結婚していません

母と暮らしています その母も高齢になり私に泣き言ばかり言って来ます

父が亡くなった後は 年頃の娘が家にいつまでも居るなんて体裁が悪いと

散々家の事 弟の世話 病院通いさせておきながら 厄介払いするように

嫁に行けと追い出して

弟とずっと暮らしています

弟の身の周りの事は 全て母がしていましたが 高齢になりままならないようです

すると私に愚痴を言います 弟は何もしない・・・と

私からすればそれは貴方(母)が何もしなくて良いと育てたからでしょ と思うのですが・・・

その上 私(母)が○んだら 弟の面倒頼むわね とまで!

どこまで私の時間を奪うつもりでしょうか

母の妹たちも 私が母の面倒や弟の面倒をみるように言います

とんでもない! 私は20代の大事な時間を弟の面倒や家の事で振り回されているのです

これ以上自己犠牲は出来ません

私も残りの時間が少なくなって来ました

母の面倒は ずっと身の周りの世話をしてもらって居た 弟がみれば良いと思います

母が亡くなっても弟の面倒をみないことは弟自身にも告げています

 

弟が母の面倒をみることが出来ないなら 施設に入れればいいと思います

周りは私の事を非難しますが 実際面倒みる気も無い人たちが何を言うのでしょうか

お金は出さない 労力も出さない だったら口も出さないでと思います

 

また大きな地震 島根県東部 

安来市あたりがずっと揺れている

 

午前10時18分頃

揺れは和歌山県にまで及ぶ

 

私の所も少し揺れた

石川県の地震と言い

お正月に揺れるのは何か意味があるのでしょうか?

沢山身内の悪口ばかりを書いて来ました

実は 同じような事を書いては退会し

退会してはまた入会し同じような私の愚痴ばかりを書いて居ました

 

しかし このあたりでしっかり終わらせてしまおうと

恥ずかしさも 愚かさも含めて 書いていきました

 

捨てようと思えば思うほど 思い起こされる過去

全て捨てる事なんてできないのだろうと 腹をくくりました

書いたところで起こったことは 無かったことにはならない

書こうとするには思い出してしまう

忘れるにも 忘れ切れない どうすればいいのか?

 

そんな事ばかり 同じところでグルグル回って居るだけでした

多分 これからも時々思い出しては 自分で自分を悲しくしてしまう

少し違う方向から 考えて行こうかなと思います

 

 

 

色々と母の事を悪く書いてきました

でも、書いてるうちに ふと思った事があります

 

もしかすると 母も親の愛情を感じて居なかったのかもしれない と

私自身 あまり親の愛情を感じずに大人になり 

我が子とどう接すればいいのか解りませんでした

私の同級生の話を聞くと 我が家と全く違う親子関係があります

え?母親ってそんな感じなの?と内心驚くばかりです

私の素行が悪いから 母親との関係が悪いの?

と 自分を責める事が多かったです

現に母親からは あなたが悪いから と言われることが多かったからです

そんな事を親から言われ続けると 自己肯定感が低くなります

 

母親の子供の頃の話を聞いても 戦争直後で貧しくて大変だった

そういう事しか出てきませんでした

 

子育てって・・・学校で細かく習う事でないので 自分が育ったように

我が子にも接してしまうように感じます

親にたたかれながら育った私もつい手が出てしまうことがありました

そして自己嫌悪になります あんなに嫌だったのに同じ事してると・・・・

親にされた様になってしまうのか?

きっと母もたたかれた記憶があるのでしょう

自分の親と同じようにしか 我が子に接することが出来なかったんじゃないかと思います

 

私が育った時代では 回数やタイミングは違っても 

まだ親が子供をたたく事は いまよりもあったと思いますし

周りからも許されて居たように感じます いまなら虐待だなんてすぐに言われますものね

 

そこまで思いを巡らせて見ても 私はやはり母の事が赦せません

 

やっと自分で子育てを始めて見て 母の言う大変だと言うことは理解出来ました

しかし 母と同じようにはなりたくない 

ただただその思いだけで 子育てが始まりましたが

子育てという物を学校の授業では 細かくは教えてもらえません

良い親子関係の新しいお母さんは 自身の母親に聞いたり出来るのでしょうが

私は聞くとストレスがたまるような答えしか返ってこないので 聞くことさえしませんでした

 

母と同じになりたくない そう思いましたが

気付けば 同じような事をしていたのです

された様にしか子育て出来ないのか・・・と少し落ち込みました

された事、それこそが学習になるのですから・・・・

けれど ここで負の連鎖を切らなければ またこの子も将来ひどい親になってしまう

そう思って 私自身もこらえながらの子育てでした

 

子供も成長すれば 反抗期もあるし

それは自分も親に反抗したし 自分の時を思い出しながら

あのときの親の対応は嫌だったので そうではないことをしてみようと

色々考えていましたが なかなか難しい物ですね

何が正解か解らない 近所の同世代のママたちと公園で話ししたりしていました

そこでも 考え方の違いがあるので 賛成出来ない事も共感出来る事もあります

この子たちの未来は一体どうなってるのだろうか

心配して見ても 未来がハッキリ読める訳ではないので

どんな未来にも対応できる そんな底力をつけて行かないと

社会生活は厳しいな と言う思いだけでした

せめて 警察のお世話にはならないような人間に育てなくては と言う思いでした

結婚して子供を授かり こんな私も親になってしまいました

さて、子育ってってどうするの?

自分の母の様にはなりたくない そんな思いだけでした

また、聞いても居ないことを色々アドバイスしてきます

それもまた私にとっては有り難迷惑でしか有りません

当時の育児書などを見ても母の子育て・・・つまり私を育てたときとは

考え方が大きく変わって居ます

なのに これはこういう物、この時はこうする物

そんな事をしていては抱き癖がつく お腹が減ってるかおむつを取り替える時なのか

泣き声聞いてれば解るでしょ

私が体調を崩せば 子育てしてるときは風邪一つ引かない物だ

何故あなたはこんななの 生まれた赤ん坊にもなんでこの子はこうなの

なぜ?どうして、こんなんなんだろう

そんな事ばかり言って来ます それがストレスでした

生まれて病院を退院するときも私の実家には帰りたく無かった

けれど 一月は寝ていないと後で大変な思いをする かえって来なさい

帰らないなんておかしい と無理矢理連れて帰られ

自分は 孫が出来て娘が帰ってきて大変だと近所に吹聴して回り

まるでミュンヒハウゼン症候群の様にさえ感じました

当時でさえ髪を一度はシャンプーして退院しましょうだったのに

一月は洗ってはだめ と自分の時代の事を押しつけ 蒸し暑い季節であったのに

髪もシャンプー出来ず 気持ち悪くて余計にストレスがたまります

やっと美容院でシャンプーしてもらったときも え?今時?と言われて

私自身恥ずかしさを感じました

とにかく母は 先に体験してるのだから自分の言うことが正しい と言う考えを

娘の私に押しつけようとしてました

一月ほどたって やっと自宅に帰る事が出来たときは 母から解放されて

本当にほっとしました

昨夜 青森県東方沖で大きな地震がありました

 

どうか 被害が最小で済みますように

被災された方々が 少しでも健やかで居られますように

遠い所から祈っています

 

思えば 阪神淡路大震災から30年

あれから大きな地震が頻発するようになったと感じて居ます

それまでは子供だったので 大して感心がなかったのかもしれません

けれど 私が思うのは あれから何かが変わったのだと感じて居ます

 

あのとき大きな被害が出た神戸市

神戸とは神(かみ)の戸(と(扉))と書きます

友人がそう教えてくださいました

 

あのときから 何かが変わった そのように感じて居ます