輪廻転生

輪廻転生

橘 橙蓮(たちばな とうれん)の書き記しておきたいこと

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私、普段あんまりテレビを見ない人なんです。

友人から聞いたのですが、最近ホテルやデパートなどで

食材の誤表示問題が騒がれているみたいですね。
 
間違えてしまったのか、それとも偽ってしまったのか。




誰にだって間違えることはある。

私もよく間違える。

間違えたと気づいた瞬間、落ち込むこともある。

やっちゃったあ・・・と自分がイヤになることもある。


でも、ときには知ってて偽ってしまうこともある。

それは自分が弱いとき。

もしかしたら、誰もが間違えることと偽ることを

経験しているのではないでしょうか?




人は弱いものですよね。

知ってて偽るときというのは、何かを隠そうとしているとき。

そんなに隠してどうするのかと自分でも聞きたくなります(笑)

でも正直になる勇気がなくて、または素直になることを恐れて

つい偽ってしまう。


間違えたのか、偽ったのか。

確かにそこで捉え方が大きく変わってくるんだと思います。



でも、もっと大事なことはそれからどうするのかということ。


間違えたにしろ、偽ったにしろ、それから先に失うのは

「信用」です。


自分を信じてもらえなくなるということ。

自分は疑われてしまうかもしれないということ。



これは、目に見えないことなのでつい疎かになりがちですが、

人が生きていく上で一番恐ろしいことなんです。


間違えたというだけでは、場合によっては信じてもらえない

ということにはならないかもしれませんね。

でも、また同じ間違いをするんじゃないかと思われてしまうでしょう。


逆に自分の周りの人が何か間違いをしたら、きっと自分も

同じことを考えてしまうでしょう。


間違えることや偽ることは、できれば少ないほうがいいのは確かです。

でも、弱い人間同士のやることですから、つい・・・ということや

うっかり・・・ということもたくさんでてきます。


私の魂主がこんなことを言っておりました。


間違えることや偽ることによってその先に学ぶことがある。

全ては学ぶためにある。

それは大きなチャンスにもなるし、自らチャンスを逃すことにもなる。

全て自分次第なのである。

間違えることや偽ることに何か気づいた瞬間にどう変われるか。

どれだけ素直になれるか。

どれだけ欲やしがらみを捨てることができるか。

間違えたと気づいたとき、または偽ったと自らを振り返ったとき、

それが自分にとって不必要な言動であることに気づかなければならない。

必要ないからこそ、または無駄なことだからこそ、間違えたり偽るのである。

それにはどれだけ余計なものを切り捨て真の心で物事を

見つめることができるかで決まる。




間違えてしまった、偽ってしまったと思ったら

素直にごめんなさいというところから

スタートなんですよね。



当たり前のことなんですけど、ホントにここからなんですよね。

でも、きちんと真の心を保っていれば

いつか必ず信用は取り戻せるのだと思います。


真の心。

弱い人間には大きな課題ですね。