先日、アーユルヴェーダーの先生とお話しをする機会がありました。 アーユルヴェーダーとは、古代インドの伝統医療であり、生命の科学と呼ばれています。 古代の人が考えた心、身体、魂のバランスを保つための健康の科学です。 いくばくかスピリチュアルっぽい雰囲気が出てしまいますが、本場インドでは、政府認定の 大学を出たら、アーユルヴェーダ医師としての国家資格が与えられるという権威ある医療法になります。

 インドでは立派な医学の一つであるアーユルヴェーダを神楽坂で17年間実施している先生と話をしました。その先生がおっしゃっていたのが、今の20~40代の方は、五感を使って、世界を感じる。 自分を内省するという機会が少ない。 そのことによって、自分の体も含めて、小さな変化に気づくことが減っている、そうおっしゃっていました。

その言葉を聞いて思ったのが、受動的な情報量が増えて、主体的に想像しにいくという機会が減ってしまっているということ。 今の時代、youtubeや、newspick、netflixなど、手軽に情報やコンテンツを得れる媒体で溢れています。特に視覚的な認識を伴う媒体、動画などは、情報を受動的に受け取る可能性が高くなり、 自ら想像しに行くという体験が希薄です。 自ら想像しにいくというのは、答えの分からないものに思考を巡らすということです。

例えば、西洋の絵画を見て、その絵でどのようなことを伝えたかったのか、どのような時代背景の下に生まれたのかを考えてみる、最後がよく分からない映画の内容を考察サイトを見ずに考えてみるなど。 先日、ショパンコンクールがあり、その中での審査員の言葉が話題を呼びました。 若いピアニストたちは音楽を深く学ばず、YouTubeで見た演奏を真似しているだけ。観客ウケを狙って演劇のように弾いている。みんな近道でキャリアを築こうとしている。若者たちは読まず、分析せず、学ばない。 ショパンが生きた背景を知り、楽譜にこめた思いを想像し、表現するという営みが希薄化しているという警鐘です。

音楽に限らず、どの分野でも、自ら答えのないものを想像するということが減っているということの表れなのかと思います。

話を戻しますが、アーユルヴェーダでは、頭、耳、足裏のマッサージをして、自らの日々の変化に気づきましょうという教えがあります。実際に、自分の体の状態というのは日々違うと思います。 なぜ、今日は、頭が凝っているのかな、こういう理由かな、そんな自分との対話から想像力を働かせてみてはどうですか、という古代の人に教えられているような気がした1日でした。