6月17日

母が父のもとへ旅立ちました

85歳老衰

認知症で意思表示がほとんど

できなくなり

4月に誤嚥性肺炎で入院

検査で口から飲み食べができないと

わかり一ヶ月経鼻栄養

低栄養状態のままだった

その後少量の点滴のみで

一ヶ月も

よく頑張ってくれたと思います


1人っ子なので

甘やかしたくないと

いつも言っていた母

父が67才で急性心不全で突然逝った時


「お父さん、お父さん」

とずっと父の事を悔やんでいた母


自宅介護の時期は

とても辛かったけど

あの厳しかった母が

私の作ったおかずを

美味しい美味しいと

ニコニコ食べてくれた


葬儀では母の意思を組み

お花たくさん

美空ひばりさんの歌を

ずっとかけてた


10日経ちますが

段々と延命しなかった事を

後悔してしまい

余命一ヶ月と言われていたけど

二ヶ月頑張ってくれた

母は元気な頃

管まみれは嫌だから

自然でいい

父さんが亡くなった年齢の逆の

76歳まで生きればいい

と言っていた


私としては老衰とは枯れるように

自然で苦しくないと調べて

覚悟はしていた


施設に見に行く度

痩せ細り、目が窪み、目だけ開けて

喉がゴロゴロいって辛く見えた

そして悲しかった

最後は餓死させてしまった

延命を続けて貰えば良かった

と自分を責めてしまう


母の遺影、遺骨には毎日

飲み物、食べ物をお供えするが

辛かっただろうな


私は外に出ることができなくなった

心療内科の先生からも

外に出て無理に頑張っては

危ないので

家でできる範囲のことだけ

しておいてね

と指示がおりている


毎日何かしらの

手続きを電話で事情説明しては

情けない良い歳なのだから

親は先に旅立つものなのに


両親を亡くすと

わたしはこんなに弱かったのかな

ほんと情けない


母が危篤時

施設の部屋であった

最後の日に虹がでていた


母へ

長い間の認知症、慢性腎臓病

骨粗鬆症との闘い

お疲れ様でした


空から父や伯父さん、伯母さんと

仲良く私達家族を

見守ってください