りんごろく ~共働き夫婦の子育て日記~ -2ページ目

大事なハナシがあるの

当時はまだ恋人だった妻から

妊娠を告げる電話がかかってきたときのコトバ。

僕は、この一言を聞いただけで、

直感的に、それが妊娠であるとわかりました。


妊娠が分かった当初、
妻が最初に不安がったのは、産休・育休を経て、
職場復帰できるのか、社会に復帰できるのか、
ということでした。

こども未来会議しながわ

これを読んで、妻の妊娠当初のころを
思い出しました。

仕事を一通り覚えて、さあ、まさに
キャリアをこれからつくっていくんだ、
という時期の妊娠。

いま思い返してみて、果たして僕は
その大きな葛藤を100%共有していたかどうか、
今でも自信がありません。

所詮、男は当事者にはなれません。
応援し、励まし、支え、祈るしかないんです。

生まれてからの半年間、
僕が仕事で家を空けている日中、
どんなに孤独だったでしょう。
どんなに不安だったでしょう。

あのころは、僕もそれなりに必死でした。
あ、いまでも必死ですけど。
でも、それはやっぱりほとんどが自分のことで、
今思えば、妻に対する思いやりは
まだまだ足りなかったと思うのです。

幸いにして、妻の勤務先は
実に理解のある会社でした。

おかげさまで今でも楽しそうに働き、
しっかり家事・育児と両立させています。
僕が単身赴任している間も、しっかりと
生活のペースを保ち、なんと僕より先に
オーケストラに復帰してしまいました。

リンが生まれて、3年。
夫婦として、家族として、いつしか
落ち着いてきました。
はっきり言って、僕たち家族は、
かなり幸せなほうだと思っています。
3年前の大きな葛藤がウソのように。

あのときの妊娠がなければ、
もしかしたら僕たちはまだ家族ではなくて、
すなわち今の幸せもなかったことでしょう。

でも、だからこそ、ふと思うのです。

やっぱり妻は、リンを産んだことで、
何かをあきらめなければならなかったのか、と。

僕がもう少ししっかりしていれば、
それはあきらめずにすむことではなかったか、と。

こういうあきらめを、僕はこれから母になるであろう
女性たちから、すこしでも減らしたいと
思うわけです。

ビジネスという、資本主義のシステムの中で。

すごいでしょ

「すごいでしょ」


別に、なにかを自慢してるわけぢゃないんです。
ただ、父に向かって正しい日本語を
指摘しているだけで。

最近やたらチェックがきびしいんです。

食事のときに
「これ、すげーうめー」
などと言おうものなら、
「すげー、じゃないでしょ、すごい、でしょ」
「うめー、じゃないでしょ、うまい、でしょ」

などと、いちいち訂正されるわけですよ。

さらに、うまい、と言いなおしたら、
「うまい、じゃないでしょ、おいしい、でしょ」と、
ダブルチェック(誤)がはいりました。

三歳にして、父を反面教師として、
正しい日本語を学ぶリン。
その成長っぷりはとどまるところを知りません。

きれいな日本語、まことに結構。
だから、ごめんちゃい、
っていうのはやめなさいってば。

なっとうごはん!

「リンちゃん、お昼になに食べたい?」
「なっとうごはん!」
「リンちゃん、晩御飯なに食べたい?」
「なっとうごはん!」
なんとも渋い好みです。
父の食の嗜好は、
 好き:カレー、焼きそば、ラーメン 
 嫌い:ピーマン
ですが、
リンの食の嗜好は、
 好き:納豆、キムチ、なす、ざるそば
 嫌い:甘いもの
となっております。
いずれにしても料理をしてくれる妻にとっては、
楽なんだかやりがいがないんだか。
しかしまあ、どう見ても年齢的には
親子逆転しているような気が…。
僕も妻も基本的には和食党ではありますが、
一部の英単語については
ネイティブなみの発音をするくせに、
顔と食文化は、筋金入りの和食党です。
ちなみに、時々なぜか、
「スパゲッティーたべたい」
というのですが、いざお店で注文すると、
ぜんぜん食べてくれなかったりします。
たいがい本人の希望は
「なすとほうれん草のミートソース」なのですが、
茄子だけをすべて食い尽くして、
あとは全部僕の胃袋の中に納まるわけです。
先日も家族で外出した際に
スパゲッティーを食べたいと言い出したので、
「五右衛門」に入りました。
残されるのはイヤだったので、
本人の希望を無視して、
「納豆とおくらの味噌風味」という、
なんとも和風なスパゲッティーを頼みました。
そうしたらもう、食べるわ食べるわ。
我が家で絶対に切らしてはならないもの、
それは、納豆とキムチです。
前述の通り、なにを食べたいか訊いても
「なっとうごはん」という答えしか
帰ってこないわけですが、リンの場合、
「なっとうごはん」には必ずキムチがついています。
キムチについては僕がすごく好きで、
ある日、気まぐれで納豆にキムチを混ぜて食べていたら、
妻がマネをしだし、いつしかリンも同じように
食べるようになりました。
辛いものはすべて食べられないはずだったのに、
僕が単身赴任している間に味覚も成長したようです。
たぶん、ものごころが着く前から納豆とキムチを
食べていたリンにとっては、
納豆ご飯=ご飯+納豆+キムチであり、
そのどれ一つ欠けてもリンは生きていけないのでは。
ちなみに、最近は新しいバリエーションとして、
ご飯+納豆+キムチ+生卵
というのが加わりました。
キムチの酸味と生卵のとろみのハーモニーが
なんとも言えない魅力をかもし出すのでしょうか。
まあ、とにかくよく食べます。
親としては、野菜を良く食べてくれるし、
健康的な好みで、実に結構なことです。
でも、若干心配なことがあります。
先のことではありますが、たとえばリンが
小学校の林間学校なんかにいって、
キムチを入れずに納豆ご飯を食べる友達をみて、
「なんでキムチを入れないの?」とか訊いてしまったり、
そもそも納豆が出るのにキムチが出てこなくて、
「この旅館ありえねー」とか言い出したり、
なんてことがないか、ということです。
それで友達がみんな怪訝な顔をして、はじめて
自分が「納豆+キムチ」がマイノリティーだと知る。
その年齢(推定10歳)まで、自分が信じてきた
「納豆ご飯=ご飯+納豆+キムチ(オプション:+生卵)」
という食文化が、実は世間と大幅にずれたものだった、
と気づいてしまう
(世間一般には、
 「ご飯+納豆+生卵(オプション:+キムチ)」
 だと認識してます、僕は)。
こうして、
両親の常識が世間の常識でないことを知り、
自分のアイデンティティーとは何か迷い始め、
世間一般でいうところの
反抗期に突入するのでしょうか。
たかが納豆ごはん(withキムチ)、
されど納豆ごはん(withキムチ)ですね。
追伸:
たくさんのコメント、読者登録、
本当にありがとうございます。
コメント返しきれてませんが、
いずれちゃんとします。
これからも是非、よろしくお願いします。
それにしても、妻のことを書くと、
みなさん僕ではなく 妻の味方なんですねー。
ま、そりゃそうですよね。
僕だって、客観的に見ればよくわかるもの。
我が家の夫婦円満のためにも、
今後とも、ぜひ妻の視点を教えてください。
でも、たまにでいいので、僕のことも擁護してください。
ちなみに前回のネタ、
掲載当初妻は怒っていましたが、
コメントが増えるにつれて、
むしろ勝利気分を味わったようで、
機嫌が良くなってきましたとさ。
  

オヤジちょー使えねーなー

「オヤジ、ちょー使えねーなー!」


いやー、娘から面と向かってこんなこと言われた日にゃあ、

一生立ち直れませんね。


が、これはリンではなく、妻の発言です。


ある休日の夜のこと。

夕食も終わり、お風呂にも入って、さあ、あとは寝るだけ、

という状態で、みんな寝室でごろごろしてました。


リンは、この時間帯になると、かならず

「ご本よんでー」となるわけですが、

少なくとも妻がいるときに限っては、

「ママよんでー」となるわけです。


でも、妻だって休日。

たまには寝転んで雑誌を読んだりしたいわけです。

雑誌を読みふけっていた妻を見て、

僕なりに気を利かせようとしたのが、悲劇の始まりでした。


リン「ママー、ご本よんでー」

僕「じゃあ、パパが読んであげるよ」

リン「いや!ママがいいの!」

僕「…(涙)」

妻「あー、もー!オヤジちょー使えねーなー!」

僕「!!(涙)」


娘にきっぱりと否定された上に、

妻にばっさりと斬られたわけですね。


断っておきますが、

僕の妻は聡明で素晴らしい女性であり、

僕は心から彼女を愛しています。

そんな彼女と結婚してかわいい娘までさずかった僕は、

三国一の果報者だと思っています。

彼女のいいところは、正直なところです。

(だって本当なんだもん、ですべて通用すると思うなよ。)

だから、彼女のコトバは直球が基本。

(たまにはオブラートに包んでもいいだろう。)

コミュニケーションがとりやすいので、

いつだって夫婦円満です。


以上、念のためフォローでした。


ヤックルトPlease!

「ヤクルトPlease!」


ある休日の朝。


リン「ママー、ヤクルト!」


リンは毎朝、ヤクルトを飲むのが日課です。

僕もヤクルトを飲むのが日課になってはいますが、

コンマ6秒くらいで飲み終えてしまう僕に対して、

娘の、くぴくぴ飲んで、ぷはーっと息をする姿は

なかなかかわいいのです。


妻「ヤクルト!だけじゃだめでしょ、

  ヤクルトをどうしてほしいの?」


僕はこのとき、布団の中で

このやり取りを聞いていました。

まだ、若干寝ぼけています。


リン「あ、えーっとねー…

   ヤックルト プリーズ!」


妻「はい、よくできました。どうぞ」


一気に目が覚めました。

妙にいい発音です。

「ヤクルト」にも英語的抑揚があります。

そもそも、そのアクセントで正しいのか?


うーん、その場合は、

「ヤクルトちょうだい」とか

「ヤクルトください」とか、

そういうのが模範解答じゃないのかな。


僕の妻は帰国子女。

小学校6年間と高校3年間をアメリカで過ごしたので、

英語は完全にNativeです。


いまではすっかり日本人となりましたが、

発音だけは生きています

(漢字・日本史の知識はいまでも死んでいます)。


ので、あくまで単語レベルですが、いろいろな

外来語の、本来あるべき発音を、ちゃんと

娘に教えているわけです。


そういう母親を持ったリン。

顔は完全に日本人ではありますが、

一部の英単語の発音だけ、やたら上手なわけですね。


顕著なのが、セサミストリートのキャラクターですね。

日本語が話せるようになる前から、セサミストリートの

キャラクターの名前の発音は完璧でした。


Elmoは、エルモとか言いません。

無理に日本語で表記するとすれば、

「ぇあーもー」です。


BigBirdは、ビッグバードとか言いません。

無理に日本語で表記するとすれば、

「びっぼー」です。


おそらく、ここに書いたように発音したほうが、

エルモとかビックバードとか、日本的に発音するより

アメリカ人には通用すると思います。


そのほか、

washing machine

motorcycle

grapefruit

cherry

などなど、生活に密着した単語をいろいろしっています。

むしろ、グレープフルーツとか言えません。

さくらんぼとか知らないかもしれません。


教育上どうなんですかね、こういうの。


ちなみに、風呂に入ると(まあ、長らく一緒にはいってないんですが)

おもむろに

one,two,three…と数え始めます(まあ、しばらく聞いていないんですが)

昨日やらせてみたら、Fiveの発音が良くてびびりました。


ちなみに、tenまで数えたら

「OK,Good job!」という自画自賛まで

オマケでついてきましたとさ。





きょうはとくべつだよ

「リンちゃん、たまにはお風呂、パパと入ろうよ」

「しょうがないなあ、きょうはとくべつだよ


赤ん坊のころは、週末だけは

僕と一緒にお風呂に入っていたんですが、

いつしか、僕がいても

「ママと!」しか入らなくなりました。


今日も僕は、「かたぐるま」のために

存在しているようなもんです。

夕食も終わってお風呂の時間、

早速リンは肩車をねだってきました。


リン「パパー、かたぐるまして」


そこへ、妻がうまく口を挟んできました


妻「一緒にお風呂に入らないと

  パパかたぐるましてくれないって。」


おいおい、そんなこと言ったおぼえはないぞ。

まあ、僕は一緒に風呂に入る分には

まったくかまわないのだが。

むしろ、一緒に入りたい。

妻の、たまにはゆっくり一人で風呂に入りたい、

というキモチも、わからないでもありません。


リンは抵抗します。


リン「いやー。ママとがいい!」


いつものとおりか…


僕「なんで、パパとじゃイヤなの?」


リン「だって、パパのことキライだから!」


!!

またですか。

またそういう仕打ちですか。


僕「じゃ、いいもんね。かたぐるまもしないもんね。」


精神年齢がほぼ同じな反応をしてみました。


リン「えー、ちがう!パパのことすきだから!」


そんなに肩車がすきなのか。


で、こういう流れです。


僕 「じゃあ、たまにはお風呂、パパと入ろうよ」

リン 「しょうがないなあ、きょうはとくべつだよ


リン、

確かにお父さんは

たまにはキミとお風呂に入りたいさ。

だって、父親なんだから、

3歳のムスメとたまに風呂に入る程度の

スキンシップがあったっていいだろう?

それが親子ってもんだろう?


それが、なんだ。

そんなに特別なことか?

3歳のムスメが父親と風呂に入るのが

そんなに特別なことなのか?

それは、「しょうがないなあ」などと

ため息混じりに、いやいや

するようなことなのか?


スーパー銭湯でも、10歳までは

異性の風呂に入ることが認められているんだぞ。

あと7年。あと7年もあるんだ。


それは言い換えれば、

あと7年しか時間がないということなんだ。


そりゃあ、いくつになってもお父さんとお風呂に入る、

そんな娘だっているさ。

でも父さん、リンがその年頃になったら

たぶん恥ずかしいだろうなって思うから、

いまのうちにスキンシップを取っておきたいのさ。


まあ、いい。

いまは口が達者な年頃だから。

プライドの高いムスメだ。

オトナとして、ここは度量広く受け止めてやらねば。


そして、肩車で我が家を2周。


僕「じゃ、お風呂にはいろう」


リン「うーん、やっぱり、明日ねだってとくべつだから!」




えーと…。

そもそも3歳児(女)は、

誰とお風呂に入るのが

妥当なんでしょうか?


ご意見をお待ちしております。





だってかたぐるましてくれなかったんだもん

だって、かたぐるましてくれなかったんだもん



朝は、妻が先に出かけてから、

保育園に行くまでの間は

しばらく二人で過ごしています。

まあ、基本的には妻より甘い僕ですが、

父親というか保護者として、

「~しなさい」的なことを

言わなければいけないこともあるわけですね。


リンはまだまだ気分屋さんな年頃。

時には、

「いや」とか「あとで」などのコトバを駆使して

反抗してきます。


で。

リンの反撃のコトバ。


「パパ、キライ」。


きつい。

実にきついんですね、これが。


パパだってそんな、

しかりたくてしかってるんじゃないんだよ。

でも、きみがく立派な大人になるために、

パパは心を鬼にして言わなきゃいけないこともあるんだ

じゃないと保育園遅刻して

俺が園長先生におこられ…


嫌われているままでいるわけには行きません。

こういうのが発端で、いつしか

父娘は言葉を交わさないようになり、

お父さんがお風呂に入った後は

お湯をいれかえてだの

お父さんと同じ洗濯機で

洗濯しないでだの…


だから、、こういう芽は

すぐに摘み取っておかないと。


それは、リンも同じことを

感じているのかもしれません。


そこで。


僕は訊くのです。

「リンちゃん、なんでパパのことキライなの?」

リンは答えます。

「だって、パパ肩車してくれなかったんだもん」

 (僕は日常、かなりの頻度で肩車してますよ)

「じゃあ、肩車したら、パパのこと好き?」

「うん、すき」

「じゃ、してあげるからおいで」


こうして、父と娘は、めでたく仲直りするのでした。


と、まあ、結局平和な結末、というのが

これまでの日常だったのですが

最近、新しいバージョンが…


「リンちゃん、なんでパパのことキライなの?」

「だって、パパ肩車しかしてくれないんだもん」

「……。」





母親の雇用を義務付ければいいのよ

中規模以上の企業は、

一定割合以上の「母親」の雇用を

行政が義務付ければいいのよ


断っておきますが、

これは娘の言葉ではありません。

てゆーかこんな3歳児ぜったいイヤです。

ま、それは置いといて。


これは、僕が、少子化というより、

今週号のAERAで募集していた、

「育児支援のために政治や行政に

してほしいこと」について

意見を求めたときに、

妻から発せられた言葉です。


うーん、なるほどなあ。

大胆だ。

僕も、もっと育児支援の政策を

してほしいと感じている一人ですが、

ここまでダイナミックな案は

浮かびませんでした。

たぶん、働く母親でなければ

こういうことを真顔では

言えないだろうなあ。


ってことは、ウチの奥さん、

やっぱりストレスたまってんのかな。

仕事と育児の両方にもまれて。


確かに我が家は両親の協力もあって

恵まれてるほうだとは思うけど、

比較の問題じゃないし。

もう少し、僕が家事をすることにするか。


それにしても、

たとえば、障害者雇用と同様に、

母親の雇用が一定割合に満たない場合には

高めの罰則金を企業に課す、とかすれば、

確かに働くママの数は増えるかもしれない。

で、働くことで発生する保育コストや、

家庭での時間のことなんかを考えると、

やっぱり大半の母親は

残業するのが難しくなるので、

むしろ業務の効率化や

ワークシェアリングも

進むようになるかもしれない。

みんなが幸せになれるような

気すらしますね。


もし本当に施行されたら、

母親専門の

人材紹介会社でも立ち上げようかな。

マイホーム系キャリアコンサルタントとして。


ただ、「働く母親」というのが

行政上、特別な存在として

分類されてしまうのは、

なんとなく違和感がありますね。


だって、

そもそも現代日本の教育は、

どう考えても、

男女関係なしに、

家庭以外に、つまり社会に対して

何らかのアウトプットを出すことを

求めることが根底の思想に

あるぢゃないですか。


まあ、いろいろなアウトプットの

仕方があるとは思いますけど、

やっぱり一番わかりやすいのは

仕事ですよね。


で、仕事する場所の大半は、

やっぱり企業ですよね。

ま、役所とかNPOとか、

あるいは個人で仕事するとか

いろいろありますけど、

働く場所は大小問わず、

企業が一番多いはず。


さらに、日本ていう国は、

企業に勤務する人が多いほうが、

税収入が安定するようにできています

(変わりそうですが)。

つまり、そのほうがいろいろと

都合がいいんです。


わかりました。

その流れに従います。

ということで、僕の妻は会社に入って

働いてるわけですよ、実際。


で、子供も産め、と国は言う。


そしたら、「企業で働く母親」が

「普通」の存在であるべきでしょう。

いいとか悪いとかじゃない、

どこにでもいる、「普通」の存在ですよ。

わざわざカテゴリー分けされるような

存在じゃない。

むしろ「その他大勢」でいいはずです。


僕は、食えるんだったら

働こうが働くまいが、

どっちだっていいと思います。

専業主婦だって、生き方のひとつです。


ただ、自分の意思で「働かない」という

選択をした人にたいして、

配偶者控除とか配偶者特別控除などで

補助する必要は、一切感じてません

(現状、働きたくても働けない、という人は

 たくさんいて、しかもそれが、どうみても

 行政の責任に見えます。そういう人には

 手厚い補助をするべきです)。

なんで僕と妻が働いて払っている税金が、

働く意思がない=税金を払う意思がない人のために

使われなければならんのですか。

…これは昔も別のブログで書いたような気がしてきた…


ただ、

育児のために仕事を犠牲にするとか、

仕事のために育児を放棄するとか、

そういうのがイヤなんですよ。

もう、時代が違うんです。

育児のために夢をあきらめるのが美徳、

みたいな考えはやめにしませんか。


でも、現実に、そうせざるを得ない人たちが

たくさんいますよね。


で、我が愛する妻は、冒頭の通り、

国家の中心に案を叫ぶわけですね

(別にこれが言いたくて長々と

 書いてたわけぢゃないです)。


あ。

そもそも現状の法律上は、

男女雇用機会均等法違反?


ぜひ、ご意見お寄せください。



おもいでしょ。大変だね

「パパ、重いでしょ。大変だね」


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リンは、とてもとても優しい子です。

どんなときでも、気遣いを忘れない、

慈しみに満ち溢れた子なのです。

だからこそ、こういう言葉が出てくるわけです。


ただ、大人の社会においては、

そういった気遣いが、

逆に相手の心を逆なですることがあります。

良かれと思ってしたことが、

相手にはとっては

悪意に感じられてしまうこともあります。


もちろん、まだ3歳。

こういうやさしさをストレートに表現できることを

親としては喜ばなければいけないことは

頭ではよーくわかっています。


リン、きみは確かに、本当にやさしい子だ。

パパは誇りに感じてるよ。

むかしのCMにあったっけ。

「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」

それはそれでいいかもしれないけど、きみには

「よわむしでもいい。やさしく育ってほしい」

そう思ってもいる。

そして、そう育ってくれているとも思う。


だから、どんなシチュエーションであれ、

愛情あふれるリンのコトバには、

にこやかにうなずいて、

肯定しなければいけないのです。

父として。


こうしたコトバに笑顔で応えることが、

この子が持っている生来の優しさを引き出す、

そして伸ばしていく一番の方法なんです。


それは、頭ではよーくわかってるつもりです。

だから、昨日の自分を、

すごくすごく反省しています。


僕は、精一杯笑顔を返したつもりです。

あれが、あのときにできた、

僕なりの最大限の「肯定」でした。


でも、ひきつってました。たぶん。

本当に笑っているときと、

顔の筋肉の使い方が違ったのが

はっきりとわかっていたから。

心の底からの笑顔ではなかったから。


そう。そもそも、どういう笑い方をしたかどうかという

ハナシではなく、心の底から笑えなかったことが

問題なのです。


小さいなあ、俺。


たしかに、

ズーラシア、肩車しっぱなしでほぼ一周

して、疲れがピークに達しているときだったさ。

まったく疲れてなさそうな、

エネルギーに満ち溢れた顔

頭の上から「大変だね」とか

他人事みたいにいわれたさ。


でも、

お前がそこにいるからいけないんだろうが

そんなこと、ほんの一瞬、

脳裏をよぎってもいけないのです。

父親ですから。


父として、昨日の自分の

ひきつった笑顔を深く反省し、懺悔します。


でも、それはそれとして、
コトバの使い方は教えないと。

この場合「大変だね」ではなく、

ありがとうね」が適切です。


だって、あなたのせいなんですもの。

うんちでたい?

「うんちでたい!」


今朝は、リンの発したこの言葉で目が覚めました。

妻の耳元で、リンが連呼しています。

どうも、なぜかウンチに関しては、リンは僕より妻を

優先的に起こそうとします。


妻は例によって、確固たる意志を持って、起きようとしません。

その芯の強さ、もはや見習いたいレベルです。


その血を継いだリンも、これまた負けてはいません。

まさしく、「連呼」しています。

おそらく、20回近くは、まったく同じ言葉を発しないまま、

ひたすら「うんちでたい」だけを口にしています。


最初に折れたのは、妻でした。

「パパに一緒にトイレにいってもらえばいいでしょ」

むむ、やはりそうきたか。この時点で、僕は寝たフリをしています。

「だって、パパじゃいやなの。ママがいいの」

むむ、やはりそうきたか。ついに最近、こういう扱いに慣れてしまいました。

「なんで、パパじゃいやなの?」

追求しなくてもいいじゃないか。ご指名なんだから、さっさと行ってやれよ。

「だって、パパはかたぐるましてくれないんだもん!」

おいおいおいおいおい、昨日もしたぢゃないか。

むしろ、ママはしてくれないだろう。


このように、朝から「うんち付添い人」について

母娘が議論している間に、僕は寝たフリをしつつ

以下のような思考をめぐらせておりました。


うんち、出たい?


うーん。どう考えても、「うんちしたい」、じゃなかろうか。

あるいは、うんち出したい、がより正確かもしれない。

なんにせよ、

日本語は主語がなくても文章になっちゃうからわかりにくいけど、

この場合は

私(主語)・したい(動詞)・うんち(目的語)

じゃないのかな。


かりに「うんち出たい」というコトバを解析すると、

うんち(主語)・したい(助動詞)・出る(動詞)

となるような気が…。


あ、そうか。

リンは視点を自分ではなく、自分の腸ないしは肛門で

悶々としているウンチを主体にすることで、

彼(男性詞であることに意味はないです)が

いますぐに出たがっているんだぞ、という

強いキモチを、代弁しているのか。


すなわち、大便の代弁…。


おそらく自分はいま、今まで生きてきた29年の中で

もっともアホなことを考えているんだろうな、と

思ったそのとき、リンがコラーゲンたっぷりの

おしりをぷりぷり振りながら、トイレから出てきました。


何かが吹っ切れた、すがすがしい、いい表情です。

その表情を見て、アホな父親をもったわが娘を

他人事のようにあわれんだ、秋晴れの朝でした。


お食事中の方、大変失礼いたしました。