はじめまして。
コンサルタントの末端に名前を連ねている。
人は風俗に行く。日々のストレスを晴らすため、癒しを得るため、一時の恋愛を求めて。
いろいろ理由はあるだろう。
私がそうする理由も書くことによって、露見するだろう。
露見することによって、私の「私」に対する理解が深まるかもしれない。
思えば、私の人生は、風俗とともにあった。
いや、そんなことは無いのだが、風俗に行くということはあまりおおっぴらに語れることではない。
もちろん、人による。
おおっぴらに語ることができる人もいる。
公私へだてない人もいる。
確かに、私も友人のいくらかにはそのような話をする。
しかしながら、つまびらやかにそういった話をするかというと、そうではない。
語られない自己と語られている自己に、自然と分断が生じる。
それは風俗に限ったことではない。
人が生きるということはそういうことだ。
しかし、語られない自己が、抑圧されている自己なのであれば、我々は語る必要がある。
それは、誰かに伝えるためではなく、吐き出すために語られなければならない。
もし、誰かに伝える必要があるとするならば、届ける必要があるならば、それは我々の耳にだ。
我々は、人生をか けた問わず語りをしているようなものだ。
