今日は私の幼少期の暗い物語り。

書こうか3時間迷ったけど、自分の記録として
残そうと思って書こうと決めたよ。
興味のない人はスルーしてね
私は小学校の時から、父親が怖かった。
酒乱だっから、帰って来るといつも母親とケンカ。
殴る、蹴るなんて毎日だった。
私は父親が帰って来るのが怖くて、
ドアが開かないように、つっかえ棒をしないと眠れなかった。
で、玄関の「バタン!」の音。
やばい!帰って来た!!
「ババア、腹減った。なんか作れ!」
「こんな時間にラーメン位しかないのよ」
「まずいなー!」
「バシッ!!」母親を殴る音。「ドンッ!!」
突き飛ばす音。
助けなきゃ!
「お父さん、やめて!」
間に入って、私が今度は殴られる。
お父さんの力は強くて、殴られて吐きそうな位痛かった。
裸足で何度逃げただろう。家の近くに高校があったから
そのグランドに寝そべって、
星空を見つめながら、
いつまでこれが続くんだろー。
違う家に生まれたかったな。
いつも青アザがあった変な子供だった。
唯一の楽しみは学校。
明るく元気に振る舞えば、きっと友達も沢山出来る。
実際、友達は沢山いた。いつも笑っていられたの。
家に帰るのが本当に嫌だったな。
母もストレスが溜まっていたんだろう。
夕食で掛け算が出来なければ、押し入れに入れられた。
いつも、お母さんをかばってるのになんで?
家ではいつも独りぼっちだった。
ある日、母が私の日記を読んだ。
「この家にはお星様が一つもない暗くてこわいところ」
これを機に、母は別居することを決めた。
おばあちゃんの所に。
友達が沢山いたから、転校は嫌だったけど、
この家から解放される。
また明るく元気に振る舞えば友達も沢山出来るな。
そんな期待をしながら5年生から転校することになったの。
でも、そこで待ってたのはイジメだった。
母親はいつも私にキレイな服を与えた。
その日の服を選ぶのはいつも母だった。
おばあちゃんの家は田舎だったから、
服装だけで、すぐ目を付けられた。
「都会ぶってんじゃねーよ!!」
って言葉は今でも覚えてる。
早く休み時間のチャイム鳴らないかな?
私と話ししてくれる友達は一人もいなかった。
授業中、決して私には回って来ない紙。
私を見ながらコソコソ話ししてる光景。
我慢しなきゃ。お父さんの所に帰るよりまだ
ここの方がいい。
母は「どう?学校。新しい友達は出来た?」
「うん。出来たよ。一番仲良くしてくれるのは美保ちゃんと晴美ちゃん」
「良かったね」
それから、母にいつも
「今日は休み時間に美保ちゃんとこんなお話ししたの」
「今日は千紘ちゃんとブランコ乗って楽しかった」
なぜか本当のことは言えなかった。
その半年後位に母が言った一言は、私が大人になっても忘れられない言葉だった。
「お母さんね、ここから仕事通うの遠くて大変だから、お父さんのところに帰ろうと思うの。
りんごにも友達が沢山出来たみたいだから、ここに居なさいね」
何かがプツリと崩れた瞬間だった。
なんで、あんなに嫌ってたお父さんのところに戻るの?
私、本当は友達なんて一人もいないよ!!
また一人ぼっちじゃん!
私、本当はイジメられてて・・・
「何を泣いてるの?」
「あそこにまた戻るの?」
「仕事があるから仕方ないの」
また、我慢だ。
それから、中学になったら、両親のとこに帰って復讐してやる!!と思った。
実際に迷惑もかなりかけて、泣かせたりした。
大人になっても、赦す事が出来なかった。
その12年後、当時のセミナー講師が言ったの。
「この中には良い両親に恵まれなかった人もいます。でも、両親はその時、その時で1番ベストだと思う方法を取ってきました。そろそろ赦すことにしませんか?」
その時、迷惑をかけたこと、泣かせたこと、色んな想いが交差してね。
子供の時のこと、母親が泣いた時、父親が困った顔をしたこと。
私はなんてことをしてしまったんだろう。って思ったら、涙が溢れてね。
母親から「お父さんのところに帰るね」の一言を
忘れることにしたの。
セミナーが終わった後、大切な人に電話して
あなたが伝えたいことをしっかり伝えることが
今日の宿題です。って言われたから
母親に電話した。
最初はなんて言っていいかわからなかったけど
泣きながら
「産んでくれてありがとう」って心から伝えたよ。


母の返事は忘れちゃったけど。
私は「我慢した」ってことを認めてもらいたかっただけかも知れない。
そんな小さなことなんだけどさ。
理解してもらいたかったのかも知れないね。
いつも、気づけなかった事に気づくのは怖いものなんだけど。
産まれてきてくれてありがとう。
って思ってもらえるように。
自分らしく生きていこうと思ったよ
父親に抱っこされたかった子供時代。
その夢はもう叶わないけど(笑)
