3月の日曜日に、江田島の海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡)へ行ってきました。

江田島は、瀬戸内海で4番目に大きな島です。

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広島港(宇品)から、江田島の切串港まで、フェリーに乗りました。所要時間約25分

短距離のフェリーに乗る際には、車検証の提示の必要がないのですね。
手続きがとても楽でスピーディー。
出発時刻まで、桟橋の所定の場所に車を停めて待ちます。
フェリーに乗船の後、車に乗ったまま、窓越しに運賃を支払います。

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元宇品の赤い灯台の横を通り抜けます。

瀬戸内の波は穏やかで、フェリーは静かに進みます。

客室へは行かず、車両甲板にいました。
海面は、すぐそこに。

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第1術科学校へは、小用港が最寄りなのですが、
広島港から小用港へは高速船の運行のみなので、
フェリーを利用する場合は、切串港行きです。

呉〜倉橋島〜江田島と橋がつながっているので、車で行くことができますが、船に乗ったほうが早いです。


切串港から術科学校まで車で約15分くらいだったでしょうか。

術科学校へ着くと、正門で受付を済ませます。
代表者が住所・氏名・人数などを記入して、見学者バッジを受け取ります。

入場料は無料です。
校内では、個人行動は禁止
 案内の方の誘導による90分間の集団見学コース(約1〜2km)を徒歩でまわります。

見学は時間が決まっています。
平日は、10:30〜、13:00〜、15:00〜の3回
土日祝日は、10:00〜、11:00〜、13:00〜、15:00〜の4回。

受付を済ませると、見学者控室(江田島クラブ)で時間まで待ちます。
江田島クラブには、レストラン売店があり、見学者に開放されています。


案内をしてくださる方は、自衛隊OBの男性です。
親しみやすい語り口で説明してくださいました。

以下、聞き逃しや聞き間違いがあるかもしれないのですが、書き留めておきます。メモ

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大講堂
貴人の為の車寄せがある玄関です。
こちらの玄関は、一般人は使用しません。

周囲には、ゴミ1つ落ちていないし、余計なものが一切置いてありません。
白砂がまるで禅寺のように文様を描くように綺麗に掃き清められていました。

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 大講堂は、大正6年に完成。
瀬戸内の島で産出された良質の御影石で造られています。

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大講堂内部。
ここでは、天皇陛下の名代で宮様が臨席、入学式などが執り行われていました。

終戦後、 米英の連合軍に接収された際には、大講堂にマリア像を設置し、聖堂として使用されていたそうです。

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幹部候補生学校校舎(旧海軍兵学校生徒館)
通称「赤レンガ」。

明治26年完成
昭和20年、海軍兵学校閉校。連合軍に接収。
昭和31年に返還後は、横須賀より海上自衛隊術科学校が移転。

ここでは、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケが行われました。


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煉瓦は、イギリスより1つ1つ紙に包んで大切に輸入された物なのだそう。
現在の価格に換算すると、煉瓦1つ2万円(!)だったとの説明がありました。
(ツルツルで高品質な煉瓦とはいえ、ちょっと高すぎやしませんか?・・)

かなりの費用をかけて建設された校舎です。

(※近年では、広島で焼いた物もあるという調査結果もあります。)

煉瓦の積み方は、イギリス式
特に壁面の掃除はしていないのだけど、いつまでも美しさを保っているのだそう。

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内部には入れませんが、ちらっと見ると、とても長い廊下がありました。

NHKドラマ「坂の上の雲」では、本木雅弘さん扮する秋山真之が歩いた廊下です。


余談ですが、坂の上の雲では、若き正岡子規と秋山真之が、四国の松山から大いなる夢を抱いて上京する場面が感慨深いです。
わが子も同じ瀬戸内の町から、彼らと同じ年頃に親元を離れ上京。後で知ったことですが、子規と真之が学んだ学校と同じ学校に進学したのでした。
彼らの足元にも及ばないのですが、同じ出身校ということで親しみを感じます

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教育参考館。 

昭和11年に、全額寄付金により建設されました。 

旧海軍の貴重な資料16000点を所蔵、
うち、1000点が展示されています。

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教育参考館の入り口

内部の撮影は一切禁止。スマートフォンの使用も不可です。

また、教育参考館は慰霊の場であるため、ノースリーブや短パン、ダメージジーンズや極端なミニスカート、ビーチサンダルや下駄などでは入館できません。

勝海舟や、海軍将校達のなどのほか、
横山大観らの戦争画が数点展示されていました。

藤田嗣治の描いた戦争画も2点、展示されています。

☆藤田嗣治『漢口突入』1938年
☆藤田嗣治『南昌飛行場襲撃の図』1938年
(画像はありません)

それぞれ、船と飛行機が描かれた突撃の場面ですが、『アッツ島玉砕』のような悲愴感や深刻さはなく、明るい色調の穏やかな雰囲気で描かれています。 

1938年(昭和13年)の作ですので、国立近代美術館に所蔵されている戦争画と比べると比較的早い時期に描かれた作品です。
当時は、まだ日本の戦況が良い時だったのですね。


軍神、広瀬武夫の血を浴びたコートは、非常に生々しかったです。
爆撃で、肉片になって飛び散ったとの説明書きがあり、絶句・・。


そして、やはり何と言っても涙を誘うのは、神風特攻隊として戦死した若者達の遺書の数々。

毛筆で丁寧に書かれた手紙。
そこには、直前に迫った死を見つめる現実がありました。


教育参考館の見学時間は、約40分間でしたが、じっくり見学するには時間が足りません。
1つ1つが、重い歴史を物語るものばかり。
さらりと拝見することを申し訳なく思ってしまいました。

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私は子どもの頃から、何度も見学をしていますが、
2人の子ども達にとって初めてでした。

自分達と同じ世代の若者の決然とした姿をみて涙が出たそう。
目の前にあるものは真実で、現実は綺麗事ではない。
そして、現代を生きる自分達は、もっと日々を大切にしなければならないと思ったそうです。

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戦艦大和の主砲の砲弾。
一発も実戦で使用されることはありませんでした。


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見学を終えて、江田島クラブの売店へ。
案内をしてくださったおじ様オススメの塩羊羹をお土産に購入。

本場の海軍カレーを食べて帰りました。カレー

少し甘めの海軍風。
家庭的で美味しかったです。


多くの人が訪れるべき場所だと思います。


江田島第1術科学校(旧海軍兵学校)のホームページもご参照ください。→こちら


見学ツアーの動画もどうぞ。