昨日のブログに

元日のお節料理の事を書いた


『今年の御節料理 愚痴と今年の食卓方針』今年のお節料理喪中だから家族だけで静かに…と、内容も控えめそのせいか家族からは物足りないと不評この他に味噌仕立てのお雑煮手作りした伊達巻が予定より小さくなます…リンクameblo.jp

元日の夕食は

いつも通りのボリュームで

・牛肉のすき焼き風(コンニャクで大幅にカサ増し)

・アボカド+ツナ缶+ブロッコリーのディップとトルティアチップス

・スープ

・椎茸ピーマン鉄板焼き

・粉吹き芋

・雑穀ご飯

・お節の残り


美味しいと好評

でも、お節は人気なく私が殆ど食べた


で、気づいたこと


夫が12月に入るやいなや

「お節料理を買おう」とソワソワするのは


お節食材を買いたかったわけでなく

御馳走を買いたかったんだと気づいた


夫の発する「お節料理」にとらわれすぎていた


百貨店のお節料理の重箱を買って

何日も残るのは

いわゆる「お節食材」だった


本当に食べたいのは

重箱に入った「お節食材以外の御馳走」で

雰囲気がお正月ぽいから「お節料理」と表現しているだけ


いわゆるお節の

黒豆や紅白蒲鉾や伊達巻なんて

食べたく無いのだ


だから私が元旦の朝に出したお節料理に

不服申し立てされたのだ


食べたく無いものに

気力体力時間を費やして料理していたのは

私の理解力が不足していたから


「食べたいものが食べたい」のは

皆同じなのに

お正月らしさにこだわっていたのは

私だった


でもさ

お節料理って表現されたら

いわゆるお節をイメージするのが一般的だと思うのだが…


なぜ

「これじゃなくアレがいい」と

ハッキリ言わないのか?


言わないことが私のためと

優しさを発揮しているのか?


言えないムードがあったのか?


私側の問題が?


夫の表現力に 

たびたび悩む


あんなに読書家だから

言葉を知らない訳じゃなかろう


でも伝わりにくい


理解するために誘導して解読が必要


億劫だが

共に生きるなら

大事にやっていかなければ

新年早々気づく


それに気づける余裕が私にあったことが

喜ばしい


また来年「お節料理を買わなくていいのか」されたらしようと思うこと


お節料理チラシの写真を見せて

食べたいもの単品を赤ペンで囲ませる


それらを予算に応じて用意し

重箱に詰めて「お節料理」とする


それ以外は買わないし作らない

食べたいものを食べて満足することを優先する


新年を機嫌良く過ごしたい